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身震いするほど実感する皇室報道の難しさ by 麹町のアン───雑誌ジャーナリズムの最前線で [皇室報道]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


 天皇学の構築を目標とする当メルマガは、目下、私個人の媒体から、より開かれたメディアへの脱皮を図っています。「学問は1人でするものではない」と信じるからです。

 そのため葦津泰国さん、市村眞一先生、佐藤雉鳴さん、高井三郎先生など、私以外の方々のエッセイなどを掲載しています。今日、お届けするのは、雑誌編集記者として皇室報道にたずさわる、麹町のアン様による皇室報道論です。

 とかく批判の多い皇室報道ですが、当事者側からの反論ないし生の声というものを聞く機会はあまりないと思いますので、今回はたいへん貴重な機会かと考えます。

 ところで、先日、デンマーク人と話していたら、「王制はsillyだ(バカげている)」と強い調子で批判していたのには、驚きました。デンマーク国民の王制への信頼は揺るがない、と思い込んでいた私がステロタイプだったようです。

 このデンマーク人は「誰でも大統領になれる」という共和制の方が優れている、と信じて疑わず、議論の余地もないほどでした。

 日本にもそのように確信的に考える人がいますが、だとすれば、君主制、あるいは天皇の本質、存在意義というものを理論的に、かつ現代的に深める必要があるとあらためて考えています。感情論では議論は少しも進展しないからです。相手を説得することはできないからです。

 それでは、本文です。


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 身震いするほど実感する皇室報道の難しさ by 麹町のアン
 ───雑誌ジャーナリズムの最前線で
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 私はある月刊誌で毎月、皇室記事を執筆している。担当するようになって2年以上が経過するが、日に日に遅筆になり、考えがなかなかまとまらないのが現状である。なぜなら、皇室は非常に奥深く、一言でいうならば“日本史”をおさらいして、現在の皇室のトピックスと結びつけるという、いわば強引なやり方で執筆しなければならないからだ。

 たとえば、いま国民的な関心事になっている「愛子さまの不登校騒動」である。

 週刊誌などは「乱暴なA君」が誰なのか、どんな「乱暴」があったのかとか、雅子さまと愛子さまが何時間目に登校し、下校は何時ごろだったのか、給食は食べたのかどうなのかなどの表面的な事象を取り上げている。

 しかし、この騒動の本質は「皇室の在り方が根本的に変わる」というところにあると私は思っている。私を含めた皇室担当の記者たちは、まずこのことに呆然(ほうぜん)として、次に蜂の巣をつついたような騒ぎになった。


◇1 直接取材で確認できないもどかしさ

 2000年の長きに渡り、わが皇室は「私事よりも公」を優先し、国民のために祈ることを“家訓”にしてきたと思う。また、どんな立場の人にも公平にその慈愛を注いできた。だから、国民は皇室を敬ってきたのだと思っている。つまり、国民と皇室の関係は慈愛と敬愛を仲立ちに成り立ってきたのだと思っている。

 ところが、3月5日に野村一成東宮大夫(とうぐうだいぶ)から発せられたのは「愛子内親王が“乱暴な男児”に怯(おび)えて登校を躊躇(ちゅうちょ)されている」という衝撃的な内容だった。当然、皇太子ご夫妻のご意向を踏まえての発言だったと考えるのが自然で、結果的に“国家”の体現者がわずか8歳の子どもを“告発”したかたちになったのとニアリー・イコールだと思う。

 いまだに皇太子妃殿下は毎日車で“同伴登校”を続けられているし、授業も参観されている。愛子内親王のご不安がそこまで強いというのはお気の毒としかいいようがない。母親なら誰でもそんな我が子をなんとかしなければならないとパニック同然に陥るはずだ。

 しかし、皇太子妃殿下という「立場」を考えると、厳しいようだが首を傾げざるを得ない。一連の騒動ではっきりしたのは、皇太子妃殿下が「公よりも私事を優先」するご姿勢が強いと見られても仕方がないことである。

 しかし、このことをご本人をはじめ、皇族方に取材するすべはない。“確認”できないから、どうしても安易な枝葉末節な事象にスポットを当てざるを得ないのが現状だ。靴の上から足を掻(か)くようなもどかしさがある。


◇2 ブラックホールと隣り合わせのような緊張感

 未成年皇族と一般教育の問題点も表面化したといえる。

 皇太子同妃両殿下は学習院側に「普通の子どもと同じように扱ってください。特別扱いはしないで下さい」とご要望だったと聞いている。しかし、私が取材する限り、学習院側は愛子内親王のご入学にあわせ、さまざまな特別体制を整えていた。

 大人の世界では“特別扱い”を「特別なお立場の方なのだから当然のこと」と受け止められても、子どもの世界、特に低学年までの間にはそういう大人の論理は通用しない。愛子内親王といえども“揉まれる”のが避けて通れないのではないだろうか。

 妃殿下のご病気のことは承知しているつもりだが、今回のことは、どう考えても皇室の「私事より公を優先」という伝統からかけ離れすぎていると思えてならない。これまでも皇太子妃殿下が静養ばかりしているとか、三ツ星レストランに出かけたとか、ご実家とばかり交流しているなど、バッシング記事が頻繁に掲載された。しかし、ここまで「公よりも私事を優先」という強烈さはなかったように思う。

 皇室問題はじつに奥深く、まるで大きく口を開けたブラックホールと隣り合わせにいるような緊張感がある。

 たとえば宮中祭祀に関する記述をするとき「御代拝」を「ご代拝」と記せば、記者の能力が問われるし、記事全体がとたんにうそ臭くなる。政治問題とも密接に関わっている。つまり、あまりの広がりに呆然としてしまうことも多々あるのだ。

 枝葉末節の事象を面白おかしく書き連ねる雑誌の皇室報道にご批判があるのは十分承知している。しかし、10人集まれば10人それぞれに違った皇室観があること、勉強を重ねなければ枝葉末節の事象の本質を理解できないこと、皇室の歴史は日本史そのもの──などの特殊さもあり、皇室の報道は非常に難しいのも事実なのだ。

 毎回、記事を執筆するたびに身震いするほど実感している。


タグ:皇室報道
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中国海軍の増強にいたって呑気な「友愛」総理 by 高井三郎───15日間の「東海艦隊」機動訓練が実証した能力 [軍事情報]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジン(2010年5月10日)からの転載です


 今日は軍事専門家として内外で活躍される高井三郎(たかい・みつお)先生のエッセイをお届けします。

 先月上旬、中国海軍のヘリが海上自衛隊の護衛艦に異常接近するという事件がありました。東シナ海で何かがうごめいているようです。迷走する普天間基地移設問題と重ね合わせたとき、中国側に軍事的空白につけいろうというような意図があるのかどうか。

 読売の4月25日の報道では、中国軍内部の指揮系統のトラブルが原因だとする防衛省の分析を伝え、偶発的事故の発生についての懸念を説明しています。
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20100425-OYT1T00860.htm

 一方、同じ読売が27日に伝えたところでは、駐日中国大使は日本記者クラブでの会見で、日本の護衛艦がしつこくつきまとったのが原因だと、逆に日本側を批判しています。
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20100427-OYT1T01087.htm

 いったいいま東シナ海で何が起きているのでしょうか。

 もうひとつ、東京・八王子にお住まいの読者の方から、佐藤雉鳴さんの連載についてのご感想を頂戴しましたので、掲載します。


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1 中国海軍の増強にいたって呑気な「友愛」総理 by 高井三郎
 ───15日間の「東海艦隊」機動訓練が実証した能力
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◇1 放胆かつ異常な大規模訓練

 本年4月7日から22日までの間に、中国東海艦隊は、有力な一部をもって、東シナ海および沖縄本島南方の海上で、かなり大規模な海上機動訓練を行った。中国当局は、これを「遠洋訓練」と公称している。わが海上自衛隊艦艇との異常接近もあった。

 まず、7日から9日までの間に、艦艇5隻が東シナ海中部で、ヘリの飛行を含む訓練を行った。8日に、訓練の状況を視察中の海上自衛隊護衛艦「すずなみ」に対し、中国軍ヘリ1機が至近距離まで接近した。

 次いで、10日から22日まで、艦隊は、東シナ海から沖縄本島と宮古島間の海域を通過して、500キロメートル以上も南方の太平洋上で行動後、反転し、元の経路を辿り、東シナ海に戻っている。

 この間、21日に沖縄本島南方の北回帰線付近で護衛艦「あさゆき」に、中国軍ヘリ1機が再度、至近距離に迫ってきた。

 日本の防衛当局は、東海艦隊の南西諸島を横断するという放胆な行動および2回にわたるヘリの異常接近に対し、異常な危機感を抱いた。官邸サイドは、防衛当局の報告を受け、外交ルートを通じ、3回の申し入れと1回の抗議を行った。

 ところが、鳩山総理は、艦隊が太平洋で訓練さなかの13日に、ワシントンで胡錦濤首席と50分間も会談したにも関わらず、「東シナ海は友愛の海」という呑気な話を繰り返すだけで、まったく警告を発しなかった。

 したがって、民主党政権は、半年を超える普天間基地の移転先の混迷と相まって、国民に対し、外交上、防衛上の鼎(かなえ)の軽重を問われる問題をさらに提起したのである。


◇2 沿岸海軍から海洋海軍へ脱皮

 今回の主役、東海艦隊は、淅江(せっこう)省寧波(ニンポー、ねいは)に司令部を置き、江蘇(こうそ)省北端から福建省南端までの南京軍区の海正面における沿岸警備および台湾、南西諸島、九州各方面への作戦行動を担当する。

 これに対し、山東省青島(チンタオ)に司令部を置く北海艦隊は渤海(ぼっかい)、黄海および朝鮮半島を、広東(かんとん)省湛江(じんこう)に司令部を置く南海艦隊は南海および東南アジアを担当する。北海、南海両艦隊も日本に脅威を及ぼす存在であり、軽視すべきでない。

 日本にとり、当面の潜在脅威は東海艦隊である。駆逐艦6隻、フリゲート21隻、原子力潜水艦2隻、通常型潜水艦7隻と、1990年代に比べると5割以上も膨張し、有力な航空部隊と海軍陸戦隊(約5000人)も固有する。

 今回の大規模訓練によって、東海艦隊は、東シナ海を守備範囲とする伝統的な沿岸海軍(ブラウン・ウオ-タ-・ネイビ-)を脱皮し、太平洋域でも作戦行動が可能な海洋海軍(ブル-・ウオ-タ-・ネイビ-)に成長した姿を誇示したように思われる。

 すなわち、水上艦、潜水艦及び支援艦艇から成る任務部隊(タスク・フオ-ス)を編成し、彼らの戦略目標である南西諸島から太平洋で行動する能力を実証した。

 訓練は、駆逐艦2隻、フリゲート3隻、潜水艦2隻、補給艦、救難艦、曳船各1隻という編成で行われた。救難艦は、潜水艦の救助機能のほかに、艦隊の指揮機能も具備しており、アメリカ第7艦隊の指揮統制艦隊「ブル-リッジ」と同じ役割も果す。この点から察するに、彼らなりの創意工夫の努力の形跡が認められる。


◇3 海上自衛隊護衛艦を目標に監視偵察訓練か

 この任務部隊は、空母1隻を中心に置く、アメリカ海軍の空母打撃群(キャリア・ストライク・グループ)、あるいは揚陸艦2ないし4隻を増強すれば、遠征打撃群(エキスペデイショナリ-・ストライク・グル-プ)の基盤になる。

 駆逐艦、フリゲ-トは、水上戦、対空戦および対潜戦が可能であり、艦対艦ミサイルの威力圏は、おそらく100キロメートルを超える。

 海面偵察およびソノブイ(音源・磁気センサ)による海中目標の探知に任ずる艦載ヘリは、今回、わが護衛艦を目標に監視偵察訓練を行ったように思われる。要するに、搭乗員による唯の跳ね上がり的な行動でなく、戦術技術上の合理性がある。

 韓国、東南アジア諸国の各海軍は、これだけ大規模な任務部隊を海洋に進出させる能力はない。日本では、中国海軍は、西側よりも技術が遅れているという先入感に支配されて、彼らの戦力を評価する向きが多い。

 思うに、わが方は、今後、東海艦隊の動きに対し、色々な角度から注目し、然るべき対応策を講じて行くべきである。


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2 読者の声 by 八王子の素老人FT様から
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斎藤様

 69歳、エンジニア出身の年金生活者で、この方面のまったくの素人なので筋違いの感想を述べます。

 ご多忙と思いますので、特に読んでいただかなくても結構です。気にしないで下さい。

 教育勅語の「之を中外に施して悖(もと)らず」の解釈で、佐藤雉鳴氏が綿密な考証をされているようですが、すでにご承知と思いますが、杉浦重剛が昭和天皇の皇太子時代である大正3年から4年にかけて御進講された記録(?)、『昭和天皇の学ばれた教育勅語』(勉誠出版、平成18年初版)によれば、第11回にて「中外」が「国の内外」として説明されています。(151頁)

 けれども、教育勅語が渙発されたのが明治23年で、まだ日露戦争はおろか日清戦争以前の時代で、国の内外に施して悖らずいうほどの勇ましさ(?)はなかったのではと推測します。

 したがって、「古今に通じて謬らず」(時間軸)の対のフレーズとして、「中外に施してもとらず」(空間軸)と表現したのは、「国の内外」ではなく、「朝野」と解釈するのは妥当のように思えます。

 もともと中外が日本国内にとどまるフレーズなら、天皇のお言葉であれば、わざわざ言わずもがなという気もしますが、時間軸を表現すればバランス上、空間軸も入れる修辞的意味合いかと思いますが・・。

 しかし、韓国併合(明治43年)を経験した、大正3~4年には視野が広がり、杉浦重剛はこれを国内、海外という解釈になったような気がします。


☆斎藤吉久から

 つたないメルマガを読んでいただいたうえに、ご感想までお寄せいただきまして、ありがとうございます。

 「中外」の解釈について、おっしゃる通りだと思います。で、「中外」の意味が「国内外」に固定化していったのはなぜか、というのが次のテーマかと思います。

 なぜ「軍国主義・超国家主義」の元凶のように考えられるようになったのか、ということとあわせて、丹念な歴史検証が必要になると思います。



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「教育勅語」異聞──放置されてきた解釈の誤り by 佐藤雉鳴  第6回 「徳目」論に終始し、本質論が欠けた戦後の論議 [教育勅語]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジン(2010年5月3日)からの転載です


 鳩山首相が7日、徳之島の3人の町長と都内で会談するようです。政府は普天間基地の移設先として徳之島を検討し、他方、町長たちは受け入れ拒否の姿勢を変えていません。

 軍事専門家の高井三郎先生が先週、当メルマガへの寄稿文で指摘したところによれば、徳之島移設では海兵隊の最大の任務である即応力が低下すること、つまり在日アメリカ軍の弱体化は否めません。

 というのも、徳之島は沖縄本島(地上部隊)から200キロ以上離れているからです。配備が検討されているという垂直離着陸機MV22オスプレーは速度が高速ヘリの1.5倍、時速500キロ超あるとはいえ、中国海軍の台頭著しい東シナ海の前線から一歩後退することになるのは間違いありません。

 もともとリアリズムのない鳩山首相に軍事的現実主義を説いても始まりませんが、「基地は不要」と拒絶する沖縄や徳之島の政治家や住民たちに軍事論上の現実的対応を期待することもやはり難しそうです。

 それは地上戦の経験を持つ沖縄だけでなく、日本人全般に軍事問題へのアレルギーが強いからです。戦前の「軍国主義」の歴史を真っ向から否定し、戦後の「平和主義」を手放しで賞賛する、きわめて図式的な観念論から解放されていないからです。


▽1 「軍国主義の元凶」神道への圧迫をやめた占領軍

 今日は憲法記念日です。現行憲法には政教分離主義が規定されていますが、佐藤雉鳴さんが当メルマガの連載で明らかにしているように、実際のところ、戦後の政教分離主義は日本の宗教伝統である神道を圧迫し、一方でキリスト教化を推進するものでした。

 これは政教分離の名に値しない、ほかならぬ憲法の精神に反するものです。

 アメリカは、つまり占領軍は、占領から数年を経ずして、神道圧迫政策をやめています。けれども、独立を回復し、神道指令は失効しているのに、今日なお、ダブル・スタンダードの政教分離政策は続いています。

 なぜアメリカは神道圧迫政策を採るようになったのか、といえば、日米戦争中、アメリカ政府が「国家神道」こそ「軍国主義・超国家主義」の主要な源泉である、と本気で考えていたからにほかなりませんが、それならなぜ、占領軍は数年を経ずして、簡単に神道圧迫をやめたのか?

 これは占領史最大の謎であると同時に、日本の近代と現代を歴史的に検証する上でぜひとも解き明かさなければならない歴史的テーマです。

 この謎を追究しようと、数十年前にアメリカに渡り、関係者を取材しようとした人物がいます。戦後唯一の神道思想家・葦津珍彦(あしづ・うずひこ)です。しかし目的を果たすことはできませんでした。わずかに残る生存者はお茶を濁すばかりだったのです。謎は謎のままで終わっています。


▽2 日本の多神教文明と異なる戦後体制

 佐藤さんが今号に書いているように、アメリカの神道敵視は宗教政策のみならず、佐藤さんが追究する教育問題など広範囲に影響を与えています。総合的な政策の展開こそ、アメリカが得意とするところです。

 とすると、アメリカは日本の宗教伝統を悪魔視することの誤りに気づきながらも、もはや後戻りすることができなかったものと想像します。神道敵視をやめた理由を聞かれても、関係者は口をつぐむほかなかったでしょう。

 問題は結果として、何が起きたのか、です。

 たとえば教育です。明治に渙発(かんぱつ)された教育勅語は本来、天皇は国民の思想の自由に干渉しないことを第1の原則としていました。ところが、戦後の教育行政は、戦前と同様、この教育勅語の根本精神を理解できずに、つまり、多神教的文明の価値を理解できずに、逆に国民のキリスト教一神教化を進め、多神教文明の歴史を破壊したのです。

 見てください。昭和23年に制定された国立国会図書館法に基づいて設置された国会図書館のカウンターの壁には、「真理はわれらを自由にする」という同法全文の一句が刻まれています。いうまでもなく、聖書の言葉です。

 北海道砂川市の市有地に神社の鳥居や祠があることを問題視するキリスト者たちが血相を変えて訴訟を起こし、マスコミを賑わす反面、国会のお膝元にある国会図書館はその根拠となる法律にキリスト教の言葉が引用されているのに、誰も問題視することがありません。

 戦後日本の宗教政策が一貫性に欠けているだけではありません。現行憲法を中心とする戦後体制はそもそも日本の多神教文明と異質なのです。

 それでは、佐藤雉鳴さんの連載「『教育勅語』異聞──放置されてきた解釈の誤り」の第6回をお届けします。


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「教育勅語」異聞──放置されてきた解釈の誤り by 佐藤雉鳴
第6回 「徳目」論に終始し、本質論が欠けた戦後の論議
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◇1 田中耕太郎は擁護論者ではない
教育勅語@官報M231031

 教育勅語は敗戦の翌年、神聖的な取り扱いが禁止され、2年後には国会が排除・失効確認を決議している。その背後にGHQの存在があることは自明である。

 しかし占領下にあった我が国の、当時の教育勅語に関する話には奇妙なものがある。代表的なものは、文部大臣にもなった田中耕太郎が教育勅語を擁護したとする話である。

 田中耕太郎の著書『教育と政治』(昭和21年3月)の「教育勅語論議」と題する一章に、田中の擁護論が載っている。

「教育勅語には個人道徳、家庭道徳、社会道徳、国家道徳の諸規範が相当網羅(もうら)的に盛られている。それは儒教仏教基督(キリスト)教の倫理とも共通している。『中外に施して悖(もと)らず』とは此(こ)の普遍性の事実を示したものであり、一部国粋主義者の解説したように、日本的原理の世界への拡張ではない。又『一旦(いったん)緩急(かんきゅう)』云々(うんぬん)は好戦的思想を現しているものではなく、其の犠牲奉仕の精神は何時の世にも何(いず)れの社会に於(おい)ても強調せられなければならない。其処(そこ)には謙虚さこそあれ、何等(なんら)軍国主義的過激国家主義的要素も存しない」

 普通に読めば、たしかに教育勅語擁護論である。

 しかし田中耕太郎は、教育改革を進めるGHQに呼応する「米国教育使節団に協力すべき日本側教育委員会」の委員であり、その昭和21(1946)年2月の報告書では6つの意見のうちの第一に「教育勅語に関する意見」があることからすれば、擁護論者ということを簡単に肯定するわけにはいかない事実がある。


◇2 個人が優先される田中の教育論

 意見を要約すると、教育に関する新しい詔書を賜りたいとして、

(1)教育勅語は文体を含め時代に適さざるものになった
(2)生徒教職員等のみならず一般国民にも呼びかけたもうもの
(3)徳目の列挙を避ける
(4)普遍的道徳、個人と人類の価値を認める

 ───とするものであった。

 この意見には、むろん田中耕太郎以外の委員の主張も含まれているだろう。しかし田中耕太郎の一連の行動には彼を擁護論者とすることに反する事実がある。

 教育勅語の記述内容は国家→社会→家族→個人→国家の順であるが、田中耕太郎の優先順位は個人→家族→社会→国家である。これは個人から次第に大きな共同体へと並べただけと解釈するのはいかがなものか?

 田中耕太郎が尽力した教育基本法の第一条(教育の目的)は「人格の完成」であり、個人が優先している。上記の日本側教育委員会の報告書にも個人と人類の価値、というのがある。国家は軽視されていると言われても仕方がないだろう。田中はけっして教育勅語を擁護してはいない。

 また田中は『教育基本法の理論』(昭和35年)では次のように述べているのである。

「要するに人格の完成は、完成された人格の標的なしには考えられない。そうして完成された人格は、経験的人間には求められない。それは結局超人間的世界すなわち宗教に求めるよりほかはないのである」

 政教分離が大きなテーマのひとつだった時代にあって、「人格の完成」ということが新憲法の精神の下で堂々と述べられたことを考えると、当時の政教分離が国家と神道の分離のみを目的としていたことがよく分かる。


◇3 教育勅語を「徳目」と捉えたゆえの擁護論

 人格の完成を宗教に求めるということは同じキリスト者であった南原繁らも支持していたことである。多くの日本人には理解できないものであり、教育基本法により事実上我が国の道徳教育は消滅した。本質的に田中耕太郎は自然法論者であり、教育勅語は歴史法学的立場で書かれている。教育基本法と教育勅語の拠って立つところはまったく別なのである。

 そして田中耕太郎の語った教育勅語は「徳目」である。第二段落のみである。もともと忠孝以下の徳目は擁護云々の話にはならないものである。問題は第一段落と第三段落にある。「肇国の大義」を「中外に施して悖らず」としたところが問題とされたのである。終戦直後の議論では教育勅語の「斯の道」の定義があいまいなまま、「徳目」と捉えた者は排除を語らず、軍国主義・過激なる国家主義と捉えた者はこれを否定したのである。

 竹前栄治『日本占領』にあるGHQ民政局次長であったケーディスの談話によれば、GHQ民政局が田中耕太郎文相に示唆(しさ)して国会で廃止決議をさせたことがあるという。田中文相もこの民政局の示唆について、「それはグッド・アイディア」と言って反対しなかったとある。

 田中耕太郎が文相だったのは、昭和21年5月22日から昭和22年1月31日までである。教育勅語の排除・失効確認決議は昭和23年6月19日であるから、この話は少なくとも排除の約1年半以上前の段階のことだと分かる。

 この間すでに文部省は昭和21年10月8日の通牒ですでに教育勅語の奉読を禁止している。田中耕太郎大臣の時代であった。


◇4 勅語解釈の本質に迫った佐々木惣一

 終戦直後の価値の混乱はやはり異常である。昭和20年9月15日発行の小川菊松『日米会話手帳』が大ベストセラーとなった時代である。幕末から明治初期の英語学校ブームに近く、急激な欧米化は開国後も終戦後も同様である。したがってこの時期の教育勅語論議は、つまるところその存廃をめぐる論議だったと言えるだろう。

 ただ、昭和22年3月19日の第92回帝国議会貴族院本会議における佐々木惣一(そういち)議員の質問は、教育勅語解釈の本質に迫る貴重なものであった。

「一体君主国の君主たる一個人が、人間の道徳に関する、即(すなわ)ち道徳的行動、人間の心術を規定するやうな、さう云(い)ふやうなことが至当であるかどうかと云ふことは、実(じつ)は非常な問題となったことがあるのであります」

 これは井上毅の起草七原則ともいういべきものの、(1)君主は臣民の心の自由に干渉しない、に関する重要な内容である。

「此の問題は今日殆(ほとん)ど何人も忘れて居るが、兎に角(とにかく)さう云ふことが問題となったのでありますが、而(しか)も其の内容は兎に角重大なものとありまして、嘗(かつ)てイギリスからも我が国に於ける教育勅語と云ふものの非常な効果のあったと云ふことを著眼(ちゃくがん)しまして、特に教育勅語の説明をする者を派遣して呉(く)れと云ふ要求があって、確か沢柳政太郎(まさたろう)博士であったかと思ひますが、その方がおいでになって、特に教育勅語のことを説明したと云ふやうなことでありまして、……」

 日露戦争後に欧米で教育勅語の評価が高かったことは先に述べたとおりである。そしてその評価された部分が第二段落であったことも『教育勅語国際関係史の研究』や『金子堅太郎著作集』にあるとおりである。


◇5 終戦直後のもっとも貴重な機会を失った

 しかし佐々木惣一の質問は徳目の内容に触れていない。まさに教育勅語が、(1)君主は臣民の心の自由に干渉しない、に抵触するか否かの話であって、井上毅が金子堅太郎に相談した内容と同じことを質問したのである。

「そこで内容其のものの問題は非常に重要視されて居るが、併(しか)しながら兎に角ああ云ふやうな君主が一個人の自己の道徳観を以て、国民一般の道徳観を律することが出来るかどうかと云ふことは、実に問題であったのであります。それは今日はさう云ふ問題は忘れられて居るが如くなってしまって居るのでありますが、兎に角さう云ふ実は、極(きわ)めて内容とは別の点から申しましても、非常に重要なもんでありまするからして……(後略)」

 結局この段階では教育基本法との関係で教育勅語がどうなるのかという質問になったのであるが、「之を中外に施して悖らず」の誤った解釈を正すまでには至らなかった。

 そして高橋誠一郎大臣は、「個人」「人格の完成」「普遍性」を語り、教育勅語の学校に於ける奉読を廃止し、しかしながら敢えて之を廃止するという考えは存しない、と答えたのである。

 この後、教育勅語は新憲法や民主主義に沿わないものとしてほぼ合意され、佐々木惣一のような議論はなくなっている。

 ここを追及すれば「之を中外に施して悖らず」の「中外」が「国の内外」ではなく、「宮廷の内外」「朝廷と民間」広く言えば「全国民」であり、「之を全国民に示して(教えて)悖ることがない」と正しく解釈できたはずである。終戦直後のもっとも貴重な機会を失ったといえる。

 そして排除・失効確認決議から今日まで、ここを解読した著作は、拙著『繙読(はんどく)「教育勅語」──曲解された二文字「中外」』(ブイツーソリューション)を除き、ひとつも見当たらない。(つづく)

 ☆斎藤吉久注 佐藤さんのご了解を得て、佐藤さんのウェブサイト「教育勅語・国家神道・人間宣言」〈 http://www.zb.em-net.ne.jp/~pheasants/index.html 〉から転載させていただきました。読者の便宜を考え、適宜、編集を加えています。

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