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「女帝の子」ではなく「女も帝の子」 ──何のための歴史論か 3 [女性宮家創設論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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「女帝の子」ではなく「女も帝の子」
──何のための歴史論か 3
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 私は運動家ではありませんが、やむにやまれぬ思いから、「御代替わり諸儀礼を『国の行事』に」キャンペーンを、ひとりで始めることにしました。いまのままでは悪しき先例が踏襲されるばかりです。趣旨をご理解の上、友人知人の皆様への拡散を切にお願いします。
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 さて、以下、拙著『検証「女性宮家」論議──「1・5代」天皇論に取り憑かれた側近たちの謀叛』からの抜粋を続けます。一部に加筆修正があります。


第2章 有識者ヒアリングおよび「論点整理」を読む

第5節 何のための歴史論か──「女性宮家」創設論のパイオニア・所功京産大名誉教授


▽3 「女帝の子」ではなく「女も帝の子」
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 女性天皇が過去に存在することは知られています。問題は後者です。

 所先生は17年の皇室典範有識者会議のヒアリングでも、8世紀に完成した「大宝令」や、これに続く「養老令(ようろうりょう)」に、皇族の身分や継承法を定めた「継嗣令(けいしりょう)」という規定があることに注目し、同様の発言をしています。

 継嗣令の冒頭の一条(皇兄弟子条)は、

「凡そ皇(こう)の兄弟、皇子をば、皆親王(しんのう)と為(せ)よ。〈女帝(にょたい)の子も亦(また)同じ〉。以外は並に諸王と為よ。親王より五世は、王の名得たりと雖(いえど)も、皇親の限に在らず」(『律令』日本思想大系3、井上光貞ら、1976年)

 とあります。〈 〉の部分は原注です。

 この「女帝の子も亦同じ」について、先生は、

「天皇たり得るのは、男性を通常の本則としながらも、非常の補則として『女帝』の存在を容認していたということであります」

「これは、母系血縁あるいは母性というものを尊重する日本古来の風土から生まれた、既に6世紀末の推古天皇に始まる『女帝』を、当時の最高法規である律令が公的に正当化したものとして重要な意味を持つものだと思うわけであります」

 と述べています。

 しかし、

「女帝の子もまた同じ」

 と読む解釈には無理がある、という指摘があります。畏友・佐藤雉鳴氏の指摘です。

「女(ひめみこ)も帝の子はまた同じ」

 と読むべきであり、天皇の兄弟、皇子と同様に、女子も(内)親王とする、と解釈すべきだというのです。女性天皇の子孫についての規定ではないというわけです。


以上、斎藤吉久『検証「女性宮家」論議』(iBooks)から抜粋。一部に加筆修正があります
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古代に女系継承が認められていた? ──何のための歴史論か 2 [女性宮家]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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古代に女系継承が認められていた?
──何のための歴史論か 2
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 私は運動家ではありませんが、やむにやまれぬ思いから、「御代替わり諸儀礼を『国の行事』に」キャンペーンを、ひとりで始めることにしました。いまのままでは悪しき先例が踏襲されるばかりです。趣旨をご理解の上、友人知人の皆様への拡散を切にお願いします。
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 さて、以下、拙著『検証「女性宮家」論議──「1・5代」天皇論に取り憑かれた側近たちの謀叛』からの抜粋を続けます。一部に加筆修正があります。


第2章 有識者ヒアリングおよび「論点整理」を読む

第5節 何のための歴史論か──「女性宮家」創設論のパイオニア・所功京産大名誉教授


▽2 古代に女系継承が認められていた?
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 女系継承にしても、「女性宮家」にしても、歴史に前例がありません。歴史家である先生はそれをどうお考えなのでしょうか?

「いや、前例はある」

 と主張されるのか、それとも、

「前例はないが新例を大胆に開くべきだ」

 と訴えているのか、そこが必ずしもはっきりしません。

 先生がこれまで「女性宮家」創設を訴えてきた目的は皇位継承論でしたが、今回は、政府の目的論に沿うように、「皇室の御活動」論にすり替わっています。

 先生はまず「皇室の御活動」について、こう意見を述べています。

「現在の皇室は、平成に入りましてからも、昭和天皇をお手本とされます今上陛下が中心 となられまして、皇后陛下を始め、内廷と宮家の皇族方に協力を得られながら、多種多様な御活動を誠心誠意お務めになっておられます。
 その御活動は、日本社会に本当の安心と安定をもたらしており、また国際社会からも信頼と敬愛を寄せられる大きな要因になっていると思われます」

 何度も述べましたように、社会的に行動し、実践されるのが天皇・皇族方の本来のお役目ではないはずですが、それはともかく、こうした認識に立って、

「しかしながら、戦後、日本国憲法の下で法律として制定されました皇室典範は、明治の典範と同様の、かなり厳しい制約を規定するのみならず、さらに皇庶子の継承権をも否認しております。そのため、男性の宮家が減少し、皇族女子も次々に皇室から離れていかれますと、これまでのような御活動の維持が困難になることは避けられません。
 したがって、早急に改善をする必要があると思われます」

 という論理で、先生は「女性宮家」創設に賛意を表しています。

 そのうえで、

「ただし、〈女性宮家創設の〉より重い大きな目的は、皇位の安定的継承を可能にすることであります」

 と述べ、持論である皇位継承論を展開しています。(注。〈 〉内は筆者の補足)

 指摘したい第1の点は、古代律令制の規定の解釈は正確か、ということです。

 先生はこう主張しています。

「〈皇位継承について〉最も重要な点を申せば、…〈中略〉…『皇位の継承者は皇統に属する皇族』でなければならない。つまり、正統な血統と明確な身分を根本要件といたします。この点、現在、『皇統に属する男系の男子』が3代先(次の次の次)までおられますから、典範の第1条は当然現行のままでよいと考えられます。
 ただし、その間にもそれ以降にも、絶対ないとは言えない事態を考えれば、将来は改定する、ということを忘れてはならないと思います。
 その際に大切なことは、一方で従来の歴代天皇が全て男系であり、ほとんど男子であった、という歴史を重視するとともに、他方で古代にも近世にも8方10代の女帝がおられ、また大宝令(たいほうりょう)制(701年)以来、『女帝の子』も親王・内親王と認められてきた、というユニークな史実も軽視してはならないことであります」

 過去に女性天皇がおられたという歴史の事実、古代律令制に「女帝の子」も親王・内親王とする定めがあったという歴史の事実を重んじて、将来の皇位継承制度を考えるべきだという主張かと思います。

 けれども、それは歴史論として妥当なのでしょうか?


以上、斎藤吉久『検証「女性宮家」論議』(iBooks)から抜粋。一部に加筆修正があります

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「先例」を提示しつつ「新例」を開く矛盾 ──何のための歴史論か 1 [女性宮家創設論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジン(2017年6月28日)からの転載です


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「先例」を提示しつつ「新例」を開く
──何のための歴史論か 1
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 私は運動家ではありませんが、やむにやまれぬ思いから、「御代替わり諸儀礼を『国の行事』に」キャンペーンを、ひとりで始めることにしました。いまのままでは悪しき先例が踏襲されるばかりです。趣旨をご理解の上、友人知人の皆様への拡散を切にお願いします。
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 さて、以下、拙著『検証「女性宮家」論議──「1・5代」天皇論に取り憑かれた側近たちの謀叛』からの抜粋を続けます。一部に加筆修正があります。


第2章 有識者ヒアリングおよび「論点整理」を読む

第5節 何のための歴史論か──「女性宮家」創設論のパイオニア・所功京産大名誉教授


▽1 「先例」を提示しつつ「新例」を開く
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 平成24年7月5日に行われた有識者ヒアリングの議事録が、やっと官邸のサイトに公表されました〈http://www.kantei.go.jp/jp/singi/koushitsu/yushikisha.html〉。

 意見を述べたのは、所功京都産業大学名誉教授(モラロジー研究所教授。日本法制史。女性宮家賛成派)と八木秀次高崎経済大学教授(憲法学。女性宮家反対派)のお2人ですが、ここでは所先生の意見について考えます。

 とくに、歴史と向き合う姿勢について、考えてみたいと思います。悠久なる皇室の歴史は日本の歴史そのものであり、皇室について語ることは必然的に歴史と向き合うことを迫られると思うからです。

 すでに述べてきたように、先生は、いち早く「女性宮家」創設を提唱するなど、「女性宮家」創設論に関しては突出したパイオニア的存在です。

 小泉内閣の時代、平成16年7月、ちょうど内閣官房と宮内庁が皇室典範改正の公式検討に向けて準備を始めたころ、先生は雑誌「Voice」8月号に、「“皇室の危機”打開のために──女性宮家の創立と帝王学──女帝、是か非かを問う前にすべき工夫や方策がある」を書いています。

「管見を申せば、私もかねてより女帝容認論を唱えてきた。けれども、それは万やむを得ざる事態に備えての一策である。それよりも先に考えるべきことは、過去千数百年以上の伝統を持つ皇位継承の原則を可能なかぎり維持する方策であろう。それには、まず『皇室典範』第12条を改めて、女性宮家の創立を可能にする必要がある」

 歴史上、「女性宮家」は存在しませんから、「女性宮家」の創設は皇位継承の伝統を維持することにはなりません。したがって所先生の論理は完全に矛盾しています。

 歴史と伝統を重んじる皇室を研究テーマとする研究者が、なぜ歴史にない新例を積極的に容認しようとするのか、私にはよく分かりません。歴史的伝統の堅持を宣言し、そのために歴史の断片を提示し、しかし実際は相反する新例に向かって突き進む、というのが先生の学問の最大の特徴のように見えます。

 翌17年6月8日には、小泉首相が開催した皇室典範有識者会議のヒアリングで、先生は「女性宮家」創設を提案しています。

「現在極端に少ない皇族の総数を増やすためには、女子皇族も結婚により女性宮家を創立できるように改め、その子女を皇族とする必要があろう」

 皇位継承の安定化のためには皇族の数を増やす必要がある。そのため女性皇族が婚姻後も皇室にとどまり、その子女も皇族とする必要性があると訴えています。

 同年11月の有識者会議報告書は、女性天皇・女系継承容認に踏み出しました。「女性宮家」という表現はなぜか消えましたが、その中味は盛り込まれています。

 所先生は

「女性天皇、女系継承、女性宮家の創立なども可能とした報告書の大筋には賛成したい」

 と新聞に感想を寄せています。先生はまさに新例創設のパイオニアです。


以上、斎藤吉久『検証「女性宮家」論議』(iBooks)から抜粋。一部に加筆修正があります
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「皇室の御活動」という「***判」 ──なぜレーヴェンシュタインを引用するのか 6 [女性宮家創設論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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「皇室の御活動」という「***判」
──なぜレーヴェンシュタインを引用するのか 6
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 私は運動家ではありませんが、やむにやまれぬ思いから、「御代替わり諸儀礼を『国の行事』に」キャンペーンを、ひとりで始めることにしました。いまのままでは悪しき先例が踏襲されるばかりです。趣旨をご理解の上、友人知人の皆様への拡散を切にお願いします。
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第2章 有識者ヒアリングおよび「論点整理」を読む

第4節 なぜレーヴェンシュタインを引用するのか──市村眞一京大名誉教授の賛成論


▽6 「皇室の御活動」という「***判」
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 もう一度、政府の資料に目を向けてみます。ヒアリング事項の筆頭に置かれているのは、「象徴天皇制度と皇室の御活動の意義について」でした。

 政府の発想は、とりわけ民主党政権下の発想は、現行憲法下の「象徴天皇制度」の維持であり、けっして古代から連綿と続く天皇の制度ではありません。その本質は、戦後の憲法学界に君臨し、いまなお多大な影響力を持つ宮澤俊義東大教授(憲法学。故人)が言い切ったように、

「憲法に書いてある天皇の行為は、すべて儀礼的・***判(注。差別用語ということで、ネットに載らないようなので、伏せ字にしています)的なもので、なんら決定の自由を含むものでないことは、明らかだ。
 昨年(1952年)8月の衆議院の解散のとき、首相はまだ閣議で決まってもいない解散の詔書に天皇の署名をもらい、数日あとで閣議にかけてそれを決め、その詔書を発したということだ。
 天皇が署名したときは、たぶん日付も書いてなかったのだろうから、天皇はいわば白紙に署名させられたわけで、ずいぶんばかばかしい役目のようだが、日本国憲法の定める天皇の役割は、つまるところ、そういうものなのだ」(『憲法と天皇 憲法20年 上』昭和44年)

 という理解なのではありませんか?

 羽毛田長官は皇族方の意見を聴こうともしないどころか、口封じをして、過去の歴史にない女帝容認の皇室典範改正を急ぎ、民主党政権に秋波を送り、鳩山内閣は中国の習近平副主席のゴリ押し天皇会見(正確には「ご会見」ではなく「ご引見」)を強行し、菅内閣は歌会始の日に内閣を改造したことがあらためて思い起こされます。

 特例会見の是非が問われたとき、会見を決定した小沢一郎幹事長(当時)などは、語気を荒げて

「天皇陛下の行為は、国民が選んだ内閣の助言と承認で行われるんだ、すべて。それが日本国憲法の理念であり、本旨なんだ」

 と記者会見で言い放っています。

 政権をとれば、天皇をも自由に動かせる、つまり、天皇は実質的に内閣の下位に位置する名目上の国家機関に過ぎない、という居直りと聞こえます。国民の名において、政府の責任で何でもできる。むろん皇族方の意見を聴く必要もない、というのが、有識者ヒアリングの本質かも知れません。

 天皇に「***判」を押させる現行憲法の解釈・運用こそが、「女性宮家」創設を推し進めているのです。皇室の御活動の維持とは、まさに「***判」なのです。だとすれば、内容の吟味は不要です。

 考えてもみてください、天皇の国事行為はともかく、社会福祉やスポーツ振興などに関する皇族方のご活動はそれぞれの皇族方がほとんど自発的に行っていることで、政府が法改正してまで、立ち入るべき領域ではありません。政府のいう「皇室の御活動の維持」が便法に過ぎないことは明らかでしょう。

 しかしながら、もし市村先生のような希代の泰斗にしてもなお、皇室を取り巻く苦境がご認識いただけないのだとすれば、現代において、天皇・皇室を本格的に論じることがいかに困難か、がつくづく思い知らされます。


以上、斎藤吉久『検証「女性宮家」論議』(iBooks)から抜粋。一部に加筆修正があります
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反対派とも共通する4つの欠落 ──なぜレーヴェンシュタインを引用するのか 5 [女性宮家創設論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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反対派とも共通する4つの欠落
──なぜレーヴェンシュタインを引用するのか 5
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第4節 なぜレーヴェンシュタインを引用するのか──市村眞一京大名誉教授の賛成論


▽5 反対派とも共通する4つの欠落
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 先生は「女性宮家」創設賛成派ですが、反対派と同様に欠落している4つの視点があります。

 第1点は、なぜいま「女性宮家」なのか、という現代史的な視点と追及が見当たらないことです。

 すでに明らかにしてきたように、一般メディアに「女性宮家」なる用語が登場したのはたかだか10年です。けれども、やがてそれは表舞台から消え、先の皇室典範有識者会議の報告書にも載っていません。

 しかし、御在位20年を過ぎたころから、すなわち、ちょうど御公務ご負担軽減の標的として祭祀簡略化が開始されたころから、そして、とりわけ平成23年秋ごろから、ふたたび、そして急速に世間の耳目に触れ、広まりました。それはなぜなのか、です。

 2点目は、皇位継承論、皇統論に踏み込んで議論していることです。政府の質問は皇室の御活動維持が目的でしたが、女性皇族が婚姻後も皇室にとどまるのなら、皇位継承問題への発展は避けられないという認識があります。

 けれども、少なくとも表向きの政府の理解は異なります。政府は皇位継承問題との「切り離す」と断っています。なぜ「切り離す」のか、です。

 もともと、宮内庁、内閣法制局、内閣官房が始めた典範改正の極秘作業では、女性天皇容認と「女性宮家」創設容認が「2つの柱」であり、もともとは「1つの柱」だったことが明らかにされています。

 切り離せないからこそ、「女性宮家」という表現が消えた有識者会議の報告書にも、その内容が盛り込まれています。

 つまり、「女性宮家」創設論は、女性天皇・女系継承容認論と一体のかたちで、10年以上、続いてきた議論なのでした。それがいま、なぜ「皇室の御活動」維持に目的を変え、にわかに浮上してきたのか。それが見えなければ、政府のお膳立てに乗って、ヒアリングに応じるほかはありません。

 3番目は、繰り返しになりますが、政府が「女性宮家」創設の目的とする、維持されるべき「皇室の御活動」とは、具体的に何か、です。

 天皇の御公務と皇室の御活動はけっして同じではありません。歴史にない「女性宮家」をも創設して、維持しなければならない「皇室の御活動」とは具体的に何をさすのか、政府の質問は明確でありません。

 ところが、市村先生は、

「陛下の祭祀の御奉仕・国事行為・各地での公式行事へのお出まし等や皇族方の同様のご活動」

 とひとくくりにしています。

 具体的な内容の想定や検討なしに、議論をしても始まりませんが、民主党政権はヒト、モノ、カネをつぎ込んで、典範改正に向けて、ヒアリングを開始させました。なぜなのでしょうか?

 4点目は、既述したように、歴史的に天皇第一のお務めとされてきた祭祀についての言及がほとんど見当たらないことです。

 レーヴェンシュタインの『君主制』を引き、半面、天皇の祭祀を語らないのは、日本の天皇・皇室のお務めを論じることになるのでしょうか?”


以上、斎藤吉久『検証「女性宮家」論議』(iBooks)から抜粋。一部に加筆修正があります

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「しらす」と「うしはく」 ──なぜレーヴェンシュタインを引用するのか 4 [女性宮家創設論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジン(2017年6月25日)からの転載です


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「しらす」と「うしはく」
──なぜレーヴェンシュタインを引用するのか 4
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 私は運動家ではありませんが、やむにやまれぬ思いから、「御代替わり諸儀礼を『国の行事』に」キャンペーンを、ひとりで始めることにしました。いまのままでは悪しき先例が踏襲されるばかりです。趣旨をご理解の上、友人知人の皆様への拡散を切にお願いします。
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第4節 なぜレーヴェンシュタインを引用するのか──市村眞一京大名誉教授の賛成論


▽4 「しらす」と「うしはく」
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 明治になって、日本の天皇はヨーロッパ王室に学び、近代的な立憲君主となりました。けれども、古代からの天皇のあり方が否定されたわけではありません。

 明治憲法は第1条に、

「大日本帝国は万世一系の天皇、これを統治す」

 と規定しています。しかし、憲法起草の中心にいた井上毅の原案には

「日本帝国は万世一系の天皇のしらすところなり」

 とあって、天皇統治とは「しらす」政治の意味であることが明記されていました。

 天皇統治がヨーロッパ王制の権力支配とは異なることが、明治憲法の制定者たちには自明のことだったようです。

 ヨーロッパの国王と何がどう異なるのでしょうか? それは日本の天皇が祭り主、祭祀王であるという1点に尽きるでしょう。

 この国をしらす天皇の第一のお務めは祭りであり、天皇は

「国中平らかに、安らけく」

 とつねに国家と国民のために祈られます。

 その意味を明治の社会主義者・幸徳秋水は、皇統が一系で連綿としているのは歴代天皇が社会人民全体の平和と幸福を目的とされたからで、これは東洋の社会主義者の誇りだ、と指摘しているほどです(『幸徳秋水全集4』)。

 それなら、なぜ祭祀王とされてきたことが優れているのか、祭祀王とはどういう意味なのか、むしろ市村先生のような知的権威にこそ、有識者ヒアリングで説明していただきたかったのですが、先生はレーヴェンシュタインの立憲君主論を引用されるだけでした。

 日本の古典に造詣が深いはずの市村先生がなぜ、「古事記」「日本書紀」をはじめ日本の古典を引用し、国学を紐解き、天皇論を語られないのか、逆になぜレーヴェンシュタインなのか、私には理解できません。

 カール・レーヴェンシュタインは20世紀ドイツを代表する哲学者、政治学者でした。ドイツといえば、ドイツ皇帝ヴィルヘルム1世は皇帝即位の10年前、プロイセン王となったとき、戴冠式で王権神授説を謳い上げ、議員たちを牽制したといわれます。

 いうまでもなく、キリスト教世界の王権は絶対神に正統性の根拠が置かれ、国王は地上の支配者とされています。王は絶対神以外に拘束されず、人民は国王の行為に反抗できないというのが王権神授説です。

 けれども、日本の天皇はこれとはまったく異なります。

 天皇がこの国を治めるのは皇祖天照大神の委任(ことよさし)によるものであって、皇祖天照大神は創造主でも、絶対神でもないからです。キリスト教世界の国王が、異教徒の国民のために、異教の神に祈ることなどあり得ませんが、日本の天皇は古来、皇祖神のみならず天神地祇を祀ることとされました。

 被造世界を創造した創造主がアダムに与えた「地を従わせよ」(「創世記」)という命令は絶対的ですが、天皇には絶対的支配権はありません。

 哲学者の上山春平先生が指摘しているように、日本では古代律令制の時代、天皇はみずから権力を振るわず、権力は官僚機構の頂点にある太政官に委任されました。

 古代中国では統治の権威は天上の人格神「上帝」に由来し、権力は皇帝が掌握したのとは対照的です(『日本文明史』など)。

 専制政治は行われず、天皇と民との関係は支配─被支配の関係ではないということになります。いわゆる権力の制限が、古代から行われてきたのです。

 近代においても、明治元年の五箇条の御誓文は最初に、

「広ク会議ヲ興シ、万機公論ニ決スヘシ」

 と議会主義を宣言しています。

 けれどもヴィルヘルム1世には、権力の制限の意味など理解されなかったでしょう、憲法調査のため渡欧した伊藤博文に、

「日本天子のために、国会の開かるるを賀せず」

 と忠告し、議会開設に反対したといわれます。

 しかしながら、結局、ドイツ帝国は第一次世界大戦の敗北とともに、わずか3代で滅びました。


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ヨーロッパ王室とは異なる ──なぜレーヴェンシュタインを引用するのか 3 [女性宮家創設]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジン(2017年6月24日)からの転載です


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ヨーロッパ王室とは異なる
──なぜレーヴェンシュタインを引用するのか 3
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 やむにやまれぬ思いから、「御代替わり諸儀礼を『国の行事』に」キャンペーンをネット上で始めました。まだまだ賛同者が必要です。ご協力をお願いします。
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 それと先般、チャンネル桜で、「女性宮家」創設についての討論会に参加しました。どうぞご覧ください。国民的関心の高さからか、YouTubeでは試聴回数が4万回を超えているようです。
https://www.youtube.com/watch?v=ZsI0wpXNppQ&t=209s

 さて、以下、拙著『検証「女性宮家」論議──「1・5代」天皇論に取り憑かれた側近たちの謀叛』からの抜粋を続けます。一部に加筆修正があります。


第2章 有識者ヒアリングおよび「論点整理」を読む

第4節 なぜレーヴェンシュタインを引用するのか──市村眞一京大名誉教授の賛成論

▽3 ヨーロッパ王室とは異なる
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 天皇は古来、公正かつ無私なる祈りの存在として知られてきました。そして、国民の天皇意識は神話や伝承、地名、年号、年中行事、文学、音楽などによって、広く、深く培われてきました。

 したがって、宮家が減少し、皇室の御活動が困難を来すことによって、ただちに立憲君主制の根幹が揺るがされる、というような論理は、まことに僭越ながら、一面的といわざるを得ないように思います。

 先生は「国民の敬仰・信頼の根源」として、真っ先に宮中祭祀を数え上げていますが、なぜ天皇の祭祀が国民との信頼関係の根源となり得るのか、とくに説明はありません。

 極端にいえば、生身の肉体を持った天皇がおられない空位の時代でさえ、天皇の制度は続いてきました。信頼関係の根源は御活動ではないはずです。とすれば、「皇室の御活動」の維持を目的とする、政府の「女性宮家」創設案は意味をなさないことになります。

 天皇が古代から125代の長きにわたって続いてきた、歴史的な役割と意義について、レーヴェンシュタイン流ではない説明が求められます。

 市村先生には釈迦に説法ですが、戦前・戦後を通じてもっとも偉大な神道思想家といわれる今泉定助(いまいずみ・さだすけ。神宮奉斎会会長。日本大学皇道学院長)によれば、「天皇統治の本質」は、遠く天壌無窮の神勅に

「葦原の千五百秋(ちいほあき)の瑞穂の国は、これ、吾が子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地(くに)なり。いまし皇孫(すめみま)、就(い)でまして治(しら)せ。さきくませ。宝祚(あまつひつぎ)の隆(さか)えまさむこと、まさに天壌(あめつち)と窮(きわま)りむけむ」

 とあるように、この国を「しらす」ことであり、また大祓詞(おおはらえのことば)に

「我が皇御孫命(すめみまのみこと)は、豊葦原瑞穂國を安国と平(たい)らけく知(し)ろし食(め)せと、事依(ことよ)さし奉りき」

 とあるように、「安国と平らけくしろしめす」ことだと説明されています。

「しらす」政治は「知る」政治であり、国民の自性を知り、万物の自性を知って、これを生成化育する、政治同化統一する神人不二、祭政一致の政治であり、「うしはく」政治つまり領有の政治、私有の政治とは異なる、と説明されています(『今泉定助先生研究全集2』)。

 今泉のいう「祭政一致の政治」とは、いかなる意味なのか、カビの生えたアナクロニズムではない、現代的な説明が必要です。


以上、斎藤吉久『検証「女性宮家」論議』(iBooks)から抜粋。一部に加筆修正があります

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御活動が国民との信頼の基礎なのか? ──なぜレーヴェンシュタインを引用するのか 2 [女性宮家創設論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジン(2017年6月23日)からの転載です
http://melma.com/backnumber_170937/


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御活動が国民との信頼の基礎なのか?
──なぜレーヴェンシュタインを引用するのか 2
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 それと先般、チャンネル桜で、「女性宮家」創設についての討論会に参加しました。どうぞご覧ください。国民的関心の高さからか、YouTubeでは試聴回数が3万5千回を超えているようです。
https://www.youtube.com/watch?v=ZsI0wpXNppQ&t=209s

 さて、以下、拙著『検証「女性宮家」論議──「1・5代」天皇論に取り憑かれた側近たちの謀叛』からの抜粋を続けます。一部に加筆修正があります。


第2章 有識者ヒアリングおよび「論点整理」を読む

第4節 なぜレーヴェンシュタインを引用するのか──市村眞一京大名誉教授の賛成論


▽2 御活動が国民との信頼の基礎なのか?
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 ごく簡単に批判を試みると、天皇の制度が古来、強固に続いていることについて、市村先生が、天皇と国民との相互の信頼関係を指摘されたのはきわめて重要で、同意します。天皇の存在の一方で、国民の根強い天皇意識があればこそ、制度は連綿と続いてきたのでしょう。

 しかしながら、すでに何度も述べたことですが、それは市村先生が指摘されたように、天皇や皇族方の御活動によって形成されてきた、というわけではないはずです。天皇あるいは皇族方が社会的に活動されるのは、すぐれてヨーロッパ的、近代的な現象です。皇室の御活動の維持が議論されていることこそが、まさに近代的なのだと思います。

 もし皇室の御活動によって国民との信頼関係が築かれるのなら、近代以前、皇室と国民とのあいだの信頼関係はどのようにして築かれたのでしょうか?

 たとえば、後陽成天皇の聚楽第行幸は豊臣秀吉が演出したものでした。後水尾天皇の二条城行幸は徳川秀忠と家光が拝謁しました。これらは誰との「信頼関係」を築くものだったのでしょうか。前者はむしろ権力者が皇室を政治的に利用したのであり、後者は下克上の最終段階において、朝廷をも従わせようとする徳川3代との激しいつばぜり合いの中で起きたことでした。

 時代が移り、明治元年以降、明治天皇は、お召し艦やお召し列車で、ときに軍服を召され、地方に行幸されました。

 たとえば、いまや北海道は、新潟県と生産量を競い合うほどの米どころですが、明治政府は当初、西欧式農業の導入に腐心し、稲作農業の展開には無関心でした。札幌農学校の寮の規約には「米飯を食すべからず」と明記され、屯田兵村では稲作禁止令が通達されました。稲作を試みた農民が投獄されるほどでした。

 しかし民間人の稲作にかける思いは抑えがたく、のちに「北海道稲作の父」と呼ばれた中山久蔵は、現在の北広島市で、寒さと飢えと孤独に耐えつつ、寒地稲作を成功させ、種籾を開拓民に無償配布し、水田稲作が北の大地に拡大していきました。

 明治14年9月、明治天皇は久蔵宅で昼食を召し上がった際、「金三百円並びに御紋付き三つ組銀杯」を賜り、54歳の久蔵は感涙に咽んだと伝えられます。こののち開拓使は幕を閉じ、新たに設立された北海道庁は稲作推進を決め、稲作試験場を開設し、寒地稲作は公認されたのです。

 天皇のお出ましは国策転換の、いわばセレモニーでした。

 明治天皇が地方巡幸の折にお立ち寄りになった行在所などは、戦前は史跡に指定され、「聖蹟」と呼ばれましたが、占領期に指定解除されました。天皇の地方へのお出ましが国民との信頼関係の基礎であるとするならば、「女性宮家」創設と同時に、各地にある「聖蹟」を復活させてはいかがでしょうか。しかし、そんな提案はあり得ないでしょう。

 今日、陛下は自然災害の被災地を訪れ、被災民と交わられ、あるいは元ハンセン病患者やお年寄りなどとの交流を続けられ、皇居勤労奉仕団にお声をかけられます。それらが国民との絆を深めることになっていることは、私も同意できます。

 しかし、たとえば天皇の被災地ご訪問は、公的支援を打ち切る「安全宣言」の機能を併せ持っています。全国のハンセン病療養所を訪問されているのは今上陛下であり、勤労奉仕団のご会釈も今上陛下は1人1人にお声をかけられますが、昭和天皇は遠くから軽く手を振られるだけでした。

 しばしば大手新聞社が主催する美術展などに、おそらく各社の要請を受けられて、陛下や皇族方がお出ましになることもありますが、これは国民との信頼関係を築くものなのでしょうか?

 政府は、これらの御活動が安定的に維持されるべきであり、ご多忙を極める現実に鑑みて、女性皇族方にご分担いただくため、婚姻後も皇籍離脱せずに、皇室にとどまる必要があると、認識しているのでしょうか。市村先生もそのことに、賛成しているということでしょうか?

 つまり、政府が目的に掲げる、安定的に維持されるべき「皇室の御活動」とは、具体的に何か、がまず問われるべきです。そうでなければ、議論は単なる抽象論に終わります。

 伝統的、歴史的な天皇像とは、必ずしも行動主義によらず、しかもそれでありながら、「まえがきにかえて」で申しましたように、もっと生々しいものではないのでしょうか?


以上、斎藤吉久『検証「女性宮家」論議』(iBooks)から抜粋。一部に加筆修正があります
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立憲君主の役割と意義 ──なぜレーヴェンシュタインを引用するのか 1 [女性宮家創設論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジン(2017年6月22日)からの転載です
http://melma.com/backnumber_170937/


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立憲君主の役割と意義
──なぜレーヴェンシュタインを引用するのか 1
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 それと先般、チャンネル桜で、「女性宮家」創設についての討論会に参加しました。どうぞご覧ください。国民的関心の高さからか、YouTubeでは試聴回数が3万5千回を超えているようです。
https://www.youtube.com/watch?v=ZsI0wpXNppQ&t=209s

 さて、以下、拙著『検証「女性宮家」論議──「1・5代」天皇論に取り憑かれた側近たちの謀叛』からの抜粋を続けます。一部に加筆修正があります。


第2章 有識者ヒアリングおよび「論点整理」を読む

第4節 なぜレーヴェンシュタインを引用するのか──市村眞一京大名誉教授の賛成論


▽1 立憲君主の役割と意義
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 次に、平成24年4月23日に行われた、市村眞一京大名誉教授(経済学)のヒアリングです。

 市村先生は、現代を代表する、そして私がもっとも尊敬する碩学です。ベストセラー『現代をどうとらえるか──イデオロギーを超えて』(1970年)からは、多くの知的刺激を受けました。

 けれども、今回のヒアリングは意外でした。賛成論をお述べになったというだけではありません。ご専門の経済学の枠をはるかに超えて、古今東西の文献に通じ、ずば抜けて幅広い学識を有する市村先生の皇室論は、予想に反して観念的で、抽象論にとどまっているという印象を免れませんでした。

 市村先生の所見は、政府側の6つの質問項目に沿って述べられています。

 まず、皇室の御活動の意義について、ですが、市村先生は、比較憲法学の大家とされるカール・レーヴェンシュタインの『君主制』を引用し、

(1)国家と国民統合を象徴的に具現する
(2)政治家の権力欲を抑制する
(3)外交の連続性を保つ
(4)(軍、行政府、司法、議会間の)政治的調整力として働く
(5)官僚制の効率の基盤となる
(6)軍とくに将校団の忠誠心の支柱となる

 という立憲君主制下の君主・王族の持つ、6つの役割と意義を紹介したうえで、現行憲法下で、両陛下や皇族方がこの役割を立派に果たされていること、その基盤には国民との相互的な信頼関係、国民の敬仰の念があることを、指摘しています。

 市村先生は、皇室と国民とのみごとな相互関係が歴代天皇、今上陛下のご努力の結果であり、すなわち、天皇の祭祀、国事行為、公式行事へのお出まし、さらに皇族方の御活動が国民の敬仰・信頼の根源であると解説しています。

 そのうえで、今後、宮家というものがなくなると皇室の御活動がだんだん困難になり、立憲君主制の根幹が揺らぐ、したがって、制度的に一定数の宮家を確保できるよう、典範を緊急改正する必要があることは明らかだと述べ、政府の「女性宮家」創設に賛意を表明する同時に、中期的対策のための調査会を設置することを提言しています。

 市村先生はこのほか、皇室の御活動維持のために、すでに臣籍降下(皇籍離脱)された皇族方、これから臣籍降下される皇族方が、必要に応じて、内親王・女王の称号を保持できるようにする典範改正が望ましいと語ります。

 その反面、占領期に臣籍降下された元皇族の復帰は緊急には認められるべきではないと主張し、また、明治天皇と昭和天皇の内親王が降嫁された朝香宮家、東久邇宮、竹田宮家、北白川宮家の4宮家を復活させることが妥当か否かについて問題点を指摘しています。

 さらに、慎重で、専門的、かつ真剣な、そしてセンセーショナルではない議論の必要性を求めています。

 このように市村先生は、政府の「女性宮家」創設論と同様に、皇室の御活動の維持、さらに皇室の規模の維持という観点から、内親王・女王を当主とする宮家の創設を、皇室典範の改正によって実現することに賛成しているのですが、現行典範の長期展望の欠落という欠陥を指摘し、さらに皇統論にまで発展させています。


以上、斎藤吉久『検証「女性宮家」論議』(iBooks)から抜粋。一部に加筆修正があります
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「仮に依命通牒が存在しなかったとしても」 ──「1.5代」象徴天皇制度下の創設論 9 [女性宮家創設論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です
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「仮に依命通牒が存在しなかったとしても」
──「1.5代」象徴天皇制度下の創設論 9
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 やむにやまれぬ思いから、「御代替わり諸儀礼を『国の行事』に」キャンペーンを1人で始めました。できましたら、ご協力をお願いします。
https://www.change.org/p/%E6%94%BF%E5%BA%9C-%E5%AE%AE%E5%86%85%E5%BA%81-%E5%BE%A1%E4%BB%A3%E6%9B%BF%E3%82%8F%E3%82%8A%E8%AB%B8%E5%84%80%E7%A4%BC%E3%82%92-%E5%9B%BD%E3%81%AE%E8%A1%8C%E4%BA%8B-%E3%81%AB

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第2章 有識者ヒアリングおよび「論点整理」を読む

第3節 「1.5代」象徴天皇制度下の創設論──戦後行政史を追究しない百地章日大教授の反対論

▽9 「仮に依命通牒が存在しなかったとしても」
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 22年5月3日に現行皇室典範が日本国憲法とともに施行され、その前日に明治以来の皇室令はすべて廃止されましたが、皇室祭祀の伝統は実質的に維持されました。その法的根拠が、「従前の例に準じて」とする宮内府長官官房文書課長の依命通牒でした。

 そして50年8月の宮内庁長官室会議で、宮内官僚たちがこの依命通牒を人知れず、事実上、「廃棄」するまで、この通牒は生きていました。

 いや、じつのところ、後述するように、依命通牒はいまも生きています。そのことを、宮内庁次長が国会で答弁しています。「廃止」の法的手続きは取られていないというのです。

 しかし「生きている」のなら、昭和天皇崩御から5か月も経って、政府が検討委員会、準備委員会などの会議を何度も重ね、参考人まで呼んで、何か月にもわたり、大がかりに「即位の礼」の「中身」を検討する必要はありません。旧登極令には御代替わりの儀式が事細かに定められているからです。

 要するに、依命通牒は法的手続きとしては「廃止」されていないけれども、事実上、「破棄」されたのです。そして、この依命通牒の「破棄」こそ、間違いなく、戦後の皇室行政史最大の画期です。

 ところが、百地先生の研究書にはこの歴史が抜け落ちています。

 先生の著書の第11章に「『依命通牒』をめぐって」という一節があります。大分県知事らが大嘗祭に関連する「主基(すき)斎田抜穂(ぬいぼ)の儀」に参列したことが違憲だと訴えられた裁判で、原告が主張したことのひとつが、依命通牒を法的根拠として大嘗祭を挙行することは、現行憲法施行によって「主権等の原理的転換」が行われた歴史を無視している、というものでしたが、百地先生はこう批判しています。

「仮に『依命通牒』が存在しなかったとしても、憲法自身が皇位の『世襲』に伴う不可欠の伝統儀式として大嘗祭を容認している以上、『皇室の公的行事』として大嘗祭を斎行することは可能と思われる」

「仮に存在しなかったとしても」は、「昔はあったが、いまはない」ではなくて、「昔もあり、いまもある」、つまり、昭和50年8月の宮内庁長官室会議での「破棄」はない、と読めます。

 官僚の通達を官僚が人知れず「廃棄」し、その結果、皇室の伝統の断絶を招き、御代替わりの諸行事について大掛かりな検討を行うことを迫られ、そのことについて政府が口をつぐんでいる、という理解ではないことになります。

 しかし「なかった」のならまだしも、「破棄された」意味は小さくありません。

 いみじくも百地先生自身が参加したヒアリングがそうであるように、そもそも有識者に参考意見を求め、皇室の諸制度を検討し決定するという手法が採られるようになったのは、依命通牒の「破棄」によって皇室の伝統の踏襲に関する明文的根拠が失われたことに、根本的原因があるのではないでしょうか?

 百地先生は、戦後の皇室史のエポックとなった依命通牒の「破棄」について、憲法学者として、なぜ追究(追及)なさらないのでしょうか?

 先生の『政教分離とは何か』が世に出たのは平成9年の暮れです。依命通牒の「破棄」が記録された『入江相政日記』(平成2~3年)はすでに公刊され、御代替わりに関する『昭和天皇大喪の礼記録』(内閣総理大臣官房、平成2年)、『平成即位の礼記録』(同、平成3年)など4冊の公的記録も公になっていたはずです。

 まさかご存じないわけではないでしょうに。

 百地先生は行政機関を被告とする大嘗祭関連訴訟などで、国側に立ち、擁護論を展開しています。法廷の反天皇派には有効な憲法論なのでしょうが、「本能寺の敵」に対してはどうでしょうか。古来、民が信じるあらゆる神々に、公正かつ無私なる祈りを捧げ、国と民をひとつに統合してきた天皇統治の歴史と伝統を守り得るのかどうか?


以上、斎藤吉久『検証「女性宮家」論議』(iBooks)から抜粋。一部に加筆修正があります


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