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〈前史〉敗戦から平成の御代替わりまで 2 ──4段階で進む「女性宮家」創設への道 [女性宮家創設論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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〈前史〉敗戦から平成の御代替わりまで 2
──4段階で進む「女性宮家」創設への道
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 拙著『検証「女性宮家」論議──「1・5代」天皇論に取り憑かれた側近たちの謀叛』からの抜粋を続けます。一部に加筆修正があります。


補章 4段階で進む「女性宮家」創設への道──女性天皇・女系継承容認と一体だった


第1節 〈前史〉敗戦から平成の御代替わりまで 2

koukyo01.gif
 34年1月16日、皇太子(今上陛下)御成婚について、政府は「国の儀式」として結婚の儀、朝見の儀、宮中祝宴の儀を行うことを決定。
国立公文書館は平成21年秋に、天皇陛下御在位20年慶祝行事の一環として、特別展示会を開催しました。公文書館のHPには再構成された「デジタル展示」が掲載され、このなかに御結婚の儀を「国の儀式」として行うことを決めた文書が載っています〈http://www.archives.go.jp/exhibition/digital/gozaii/〉。
以下、デジタル文書館の資料をできるだけ忠実に再現したいと思います。
資料は4点あり、1点目は岸総理から昭和天皇への上奏文書で、内閣の事務用箋に筆文字で、以下のように書かれ、昭和天皇が承認されたことを示す、赤い印が押されているのがうっすらと見えます。原文は縦書きです。

 皇太子結婚式における国の儀式について
右慎んで裁可を仰ぐ。
  昭和三十四年一月十六日
   内閣総理大臣 岸 信介(内閣総理大臣印)


 2点目は、閣議の資料です。やはり筆文字です。

 総甲第一号
起案昭和三十四年一月十四日
閣議決定昭和三十四年一月十六日
施行 年 月 日
上奏昭和三十四年一月十六日
公布 年 月 日
御下付(朱印)昭和〃年一月十六日

内閣総理大臣(花押) 内閣官房長官(花押) 内閣参事官(朱印) 法制局長官 内閣官房副長官(朱印)
愛知国務大臣(花押) 坂田国務大臣(花押) 寺尾国務大臣(花押) 伊能国務大臣(花押) 藤山国務大臣 三浦国務大臣(花押) 倉石国務大臣 世耕国務大臣(花押) 佐藤国務大臣(花押) 高碕国務大臣(花押) 遠藤国務大臣(花押) 山口国務大臣(花押) 橋本国務大臣(花押) 永野国務大臣(花押) 青木国務大臣(花押)
別紙内閣総理大臣請議
 皇太子結婚式における国の儀式について
右閣議に供する。
 なお、本件は日本国憲法第七条の儀式に関するものであるので、閣議決定の上は、上奏することといたしたい。
指 令 案
「皇太子結婚式における国の儀式について」は、請議のとおり。

 3点目は、宮内庁の資料のようで、宮内庁事務用箋に仮名タイプで記されています。

  皇太子結婚式における国の儀式について
一 皇太子明仁親王殿下の結婚式における結婚の儀、朝見の儀及び宮中祝宴の議は、国の儀式として行う。
二 右の諸儀を行う時期は、昭和三十四年四月中旬を目途とし、場所は、皇居とする。
三 儀式の日時及び細目は、宮内庁長官が定める。

 最後は参考資料です。資料は2つで、1つは儀式一覧表で、もうひとつは参照される条文です。事務用箋ではなく、「資料一」は赤茶けたわら半紙に謄写版印刷されたもののようで、「資料二」は仮名タイプと思われます。「資料一」は結婚の儀の期日が抜けていますので、期日が決定される前に作成されたものと考えられます。

資料一
  皇太子明仁親王殿下の結婚儀式一覧
 挙 行 案
諸儀名(説明。期日。旧皇室親族令附式事項)
一 成 約
1、神宮神武天皇大正天皇貞明皇后山陵に勅使発遣の儀(天皇が神宮山陵に成約報告のため、お使を命ぜられる。昭和三十四年一月十二日。神宮神武天皇先帝先后山陵に勅使発遣の儀)
2、納采の儀(皇太子のお使が后となる方の邸に至って、いわゆる結納を行う。一月十四日。納采の儀)
3、賢所皇霊殿神殿に成約奉告の儀(皇太子が宮中三殿に成約を奉告される。同日。賢所皇霊殿神殿に成約奉告の儀)
4、神宮神武天皇大正天皇貞明皇后山陵に奉幣の儀(天皇のお使が神宮山陵に御幣物を奉り、成約を奉告する。同日。神宮神武天皇先帝先后山陵に奉幣の儀)
  (勲章を賜うの儀。斎藤吉久注、このときは期日が変更されたらしい)
  (贈剣の儀。斎藤吉久注、このときは行われなかったらしい)
二 告 期 の 儀(天皇のお使が結婚の儀を行う期日を后となる方に伝える。結婚の儀の約 二週間前。告期の儀)
  (贈書の儀。斎藤吉久注、このときは行われなかったらしい)
三 結 婚 諸 儀
 1、賢所皇霊殿神殿に結婚奉告の儀(皇太子に代って東宮侍従が結婚の儀を行うことを宮中三殿に奉告する。 月 日。賢所皇霊殿神殿に結婚奉告の儀)
〇2、結婚の儀(皇太子、同妃が結婚の誓をされる。 同 日。后氏入宮の儀。賢所大前の儀)
 3、皇霊殿神殿に謁するの儀(皇太子同妃が皇霊殿神殿に結婚を奉告される。 同 日。皇霊殿神殿に謁するの儀)
  (皇太子妃に勲章を賜う。同 日)
〇4、朝 見 の 儀(皇太子同妃が天皇皇后にあいさつをされる。 同 日。参内朝見の儀)
 5、供 膳 の 儀(皇太子同妃が初めてお膳を共にされる。 同 日。供膳の儀)
 6、三箇夜餅の儀(皇太子同妃にお祝いの餅を供する。 同 日から三日間三箇夜餅の儀)
〇7、宮中祝宴の儀(皇太子同妃の結婚御披露の祝宴。約三日間。宮中饗宴の儀)
四 神宮神武天皇 大正天皇貞明皇后 山陵に謁するの儀(皇太子同妃が神宮山陵に結婚を奉告される。結婚の儀後適宜の月日。神宮神武天皇並びに先帝先后山陵に謁するの儀)
 備考 〇印は国の儀式として行うものを示す。

資料二
  参照条文
 日本国憲法
第七条 天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。
 十 儀式を行ふこと。

 閣議の資料には「憲法第7条の儀式に関する」とありますから、天皇の国事に関する行為の1つとしての「儀式」であり、「国の行事」としての儀式=「天皇の国事行為」としての儀式と考えられていることが想像されます。宮内庁のHPが「国事行為たる儀式」と記述しているのは、そのためでしょう。

 ともかく、占領期以来、祭祀は「皇室の私事」とされてきたことからすれば、賢所大前での結婚の儀が、「国の行事」とされたことは時代を画するものでした。また、皇室親族令に準じて行われているのは、依命通牒第3項に沿ったものと思われます。

 ただ、惜しむらくは、皇太子御成婚の全体が「国の行事」とされず、諸行事が因数分解され、「国の行事」とそうでないものとに二分されたことです。

 のちに昭和から平成への御代替わり当時、政府が、「皇室の伝統」と「憲法の趣旨」とを対立的にとらえ、皇室の伝統行事を伝統のままに行うことが憲法の「政教分離」原則に反するとして、国の行事と皇室行事とを二分し、挙行したことの先駆けのように見えます。

 皇太子御成婚は、占領期にゆがめられた宮中祭祀を、正常化に向けて大きく前進させたはずなのに、逆にその後の揺り戻しの出発点ともなっているように見えます。


以上、斎藤吉久『検証「女性宮家」論議』(iBooks)から抜粋。一部に加筆修正があります


☆ひきつづき「御代替わり諸儀礼を『国の行事』に」キャンペーンへのご協力をお願いいたします。
 このままでは悪しき先例がそのまま踏襲されるでしょう。改善への一歩を踏み出すために、同憂の士を求めます。
 おかげさまで賛同者が300人を超えました。
https://www.change.org/p/%E6%94%BF%E5%BA%9C-%E5%AE%AE%E5%86%85%E5%BA%81-%E5%BE%A1%E4%BB%A3%E6%9B%BF%E3%82%8F%E3%82%8A%E8%AB%B8%E5%84%80%E7%A4%BC%E3%82%92-%E5%9B%BD%E3%81%AE%E8%A1%8C%E4%BA%8B-%E3%81%AB

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縄文人以来の和の精神 ──憲法理論は法廷闘争の方便か 4 [女性宮家創設論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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縄文人以来の和の精神
──憲法理論は法廷闘争の方便か 4
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 拙著『検証「女性宮家」論議──「1・5代」天皇論に取り憑かれた側近たちの謀叛』からの抜粋を続けます。一部に加筆修正があります。


第4章 百地章日大教授の拙文批判に答える

第7節 憲法理論は法廷闘争の方便か


▽4 縄文人以来の和の精神

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 靖国問題はいつの時代にも、キリスト教信仰者に限らず、靖国神社参拝に限らず、熱心な信仰者ほど、起こりえます。それなら諸宗教の共存を図るにはどうすればいいのか、解決のための知恵が、天皇の祭祀に秘められています。

 米と粟を捧げる天皇の祭祀は、その起源をさかのぼれば、おそらく縄文人の自然崇拝と弥生人の稲作信仰とを引き継ぐものでしょう。両者が対立せず、抗争もせずに共存できるのは、自然の猛威と争わずに共存する縄文人の自然観が、和の心として日本人の精神を形成し、現代に引き継がれてきたからではないしょうか?

 稲作民の米と畑作民の粟を捧げる天皇の祭祀こそ、崇高な日本の精神的な伝統そのものです。古来、信教の自由を保障する要であり、天皇の祈りの存在があればこそ、日本では深刻な宗教対立を経験することなく、宗教的共存が図られてきたのだと思います。

 これに対して、一神教世界ではまったく異なります。

 上智大学の設立母体イエズス会の総本山とされ、「東洋の使徒」フランシスコ・ザビエルの切断された右腕とロヨラの遺骸が安置されるローマのジェズ教会の聖堂には、天使が悪魔を踏みつけている大理石の彫像があり、悪魔には「カミ、仏、阿弥陀、釈迦」とラテン語で刻まれているそうです。

 異端を弾圧し、魔女裁判を行い、異教徒を殺害し、異教世界を侵略し、異教文化を破壊してきたのが、一神教世界です。

 キリスト教世界の国王が、あるいは大統領が、国民のなかにイスラム教徒がいたとしても、そのためにイスラムの神に祈ることはあり得ません。一神教なら当然です。

 けれども日本の天皇は違います。日本の多神教的、多宗教的文明は一神教世界とは異なるのです。

 たとえば、「キリシタン迫害」が過酷さを増した将軍徳川家光の時代、天皇がおられる京の都では八坂神社の祭礼・祇園祭に、驚くなかれ、旧約聖書の物語をデザインした、ヨーロッパ舶来のタピストリーが山鉾の前掛けにされ、都大路を巡行していました。

 一神教世界の政教分離論と同列に、天皇の祭祀を論ずるべきではありません。

 宮中祭祀=「皇室の私事」、大嘗祭=宗教的儀礼とするような百地先生流の政教分離論を学問的に克服していく必要がありそうです。そのためには縦割りの学問に安住せず、関連する学問研究の総合的な深化が求められます。


以上、斎藤吉久『検証「女性宮家」論議』(iBooks)から抜粋。一部に加筆修正があります


☆ひきつづき「御代替わり諸儀礼を『国の行事』に」キャンペーンへのご協力をお願いいたします。
 このままでは悪しき先例がそのまま踏襲されるでしょう。改善への一歩を踏み出すために、同憂の士を求めます。
 おかげさまで賛同者が300人を超えました。
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「双方に死者は出たか?」 ──憲法理論は法廷闘争の方便か 3 [女性宮家創設論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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「双方に死者は出たか?」
──憲法理論は法廷闘争の方便か 3
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 拙著『検証「女性宮家」論議──「1・5代」天皇論に取り憑かれた側近たちの謀叛』からの抜粋を続けます。一部に加筆修正があります。


第4章 百地章日大教授の拙文批判に答える

第7節 憲法理論は法廷闘争の方便か


▽3 「双方に死者は出たか?」

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 大学時代のサークルの先輩に、危機管理の専門家として知られる佐々淳行初代内閣安全保障室長がいます。

 佐々さんは昭和44年の東大安田講堂事件の警備を指揮し、そのときの体験を『東大落城──安田講堂攻防七十二時間』に記録しています。

 私が興味を持ったのは、昭和天皇のエピソードです。

──安田講堂の攻防が決着したあと、秦野章警視総監が内奏のため参内した。昭和天皇から御嘉賞のお言葉があれば、機動隊員の士気昂揚につながると期待されたが、帰庁した秦野氏はけげんそうな表情を浮かべていた。
「天皇陛下ってえのはオレたちとちょっと違うんだよなァ。……『双方に死者は出たか?』と御下問があった。幸い双方に死者はございませんとお答えしたら、たいへんお喜びでな、『ああ、それは何よりであった』と仰せなんだ」

 これを、加藤雅信名古屋大学教授(当時。民法)は『天皇−昭和から平成へ。歴史の舞台はめぐる(日本社会入門1)』のなかで、昭和天皇はすべての国民を赤子(せきし)ととらえ、機動隊と学生の攻防をまるで自分の息子の兄弟ゲンカのように見ておられた、というように解説していますが、同感です。大学闘争の闘士もまた天皇の赤子なのです。

 すべての民のために、公正かつ無私なる祈りを捧げてこられたのが、天皇です。たとえ刃向かうものであろうと、一様に祈りを捧げるのが天皇です。「天皇無敵」です。

 日本列島には古来、さまざまな民がおり、さまざまな暮らしがあります。さまざまな神がいます。天皇は、稲作民の米と畑作民の粟を、皇祖神のみならず天神地祇に捧げ、国民統合の祈りを捧げられます。古代においては仏教の守護者となり、近代以降はキリスト教の社会事業を支援する最大のパトロンでした。

 既述したように、昭和7年に上智大学生靖国神社参拝拒否事件が起きました。カトリック修道会のイエズス会が設立し、経営する同大学で、配属将校が学生を引率して靖国神社に行軍したとき、信徒の学生が参拝しなかったことから、やがてマスコミを巻き込み、大騒動に発展したとされる事件です。

 今日の教会指導者は、この事件を教会への「軍部と世論による迫害」(「非暴力による平和への道」カトリック中央協議会、2005年)などと呼んでいますが、事件の渦中にいた丹羽孝三幹事(学長補佐)の回想(『上智大学創立60周年──未来に向かって』1963年所収)によると、真相はまったく異なります。

 とはいえ、事件が唯一神を信仰する信徒にとって深刻な信仰問題を提起したことは確かでした。

 陸軍省がホフマン学長の出頭を求めてきたのに対して、代わって丹羽が小磯国昭大将(陸軍次官)に面会し、そのとき以下のような会話があったようです。

小磯「陛下が参拝する靖国神社にカトリック信徒が参拝しないのは不都合ではないか?」
丹羽「閣下の宗旨は何ですか?」
小磯「日蓮宗です」
丹羽「それなら本願寺(浄土真宗)や永平寺(曹洞宗)に参拝しますか?」
小磯「他宗の本山には参りません」
丹羽「しかし陛下は参拝されます」

 以上のような問答が続いたあと、

「僕の書生論は取り消します」

 と小磯は抗議を取り下げたのでした。


以上、斎藤吉久『検証「女性宮家」論議』(iBooks)から抜粋。一部に加筆修正があります


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 このままでは悪しき先例がそのまま踏襲されるでしょう。改善への一歩を踏み出すために、同憂の士を求めます。
 おかげさまで賛同者が300人を超えました。
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異なる価値観を排除する矛盾 ──憲法理論は法廷闘争の方便か 2 [女性宮家創設論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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異なる価値観を排除する矛盾
──憲法理論は法廷闘争の方便か 2
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 拙著『検証「女性宮家」論議──「1・5代」天皇論に取り憑かれた側近たちの謀叛』からの抜粋を続けます。一部に加筆修正があります。


第4章 百地章日大教授の拙文批判に答える

第7節 憲法理論は法廷闘争の方便か


▽2 異なる価値観を排除する矛盾

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 しかしこれは大きな矛盾です。

 政教分離は

「信教の自由を保障するための制度である」

 というからには、憲法以前の問題として、信教の自由が脅かされかねない社会的な現実があるということです。

 1つの神、1つの信仰だけがあるというのではなくて、複数の神々と複数の信仰が社会に同時に存在する状況があるということです。

 神が異なれば、食べ物も飲み物も、着るものも、住む家も異なります。コミュニティも異なります。あいさつの言葉、立ち居振る舞い、気性も匂いも異なり、したがってコミュニティ同士の争いごとも起こります。

 日本社会では気がつきにくいことですが、東南アジアやインド世界に行けば、それはまさに現実です。

 その現実を克服する1つの方法は、力ずくで強権的に、完全に1つの神、1つの信仰に改宗させると同時に、異教や異端を排除することですが、かえって国内外に対立抗争をもたらすことは自明です。

 たとえば日本では、キリスト教伝来後、九州の大名たちは南蛮貿易をエサに貿易を釣ろうとし、宣教師は貿易をエサにキリスト教を釣ろうとして虚々実々の駆け引きが展開されました。

 領民の多くが事実上、強制的に改宗させられ、神社仏閣のほとんどが破壊され、それがやがてバテレン追放、禁教、そして迫害の時代の序曲となります(松田毅一『南蛮のバテレン』など)。

 ヨーロッパのキリスト教世界では、血で血を洗う悲惨な歴史を経て、逆に、複数の信仰のそれぞれの価値を同等に認め、すべての人々が平安な精神生活を送れるように、国家は特定の宗教との結びつくのではなくて、国民の信教の自由を保障しなければならない、という考え方に到達したわけです。

 百地先生はもちろん「信教の自由の保障するための制度」という定義を否定しているわけではないでしょう。けれども、社会にはいろんな考えがあり、人それぞれ価値観が異なることを認めようとしていないように見えます。

 もし認めているのなら、すでに申し上げたように、なぜ横田耕一九大名誉教授などを「一部学者」と突き放すことも、私を「粗雑な頭脳」と切り捨てることもないでしょう。

 憲法は、国家、社会の基本的あり方を定めるとともに、一面では国民の義務を定めるなど、国民の生活のありようをも規定していますが、先生の憲法理論は、憲法をめぐる訴訟に勝つための便法であり、先生ご自身の生き方とは別の次元にあるように見えます。

 少なくとも千年以上の歴史を持つ、日本の天皇のあり方、日本人のおおらかな宗教性とは異質のように見えます。


以上、斎藤吉久『検証「女性宮家」論議』(iBooks)から抜粋。一部に加筆修正があります


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第7節 憲法理論は法廷闘争の方便か


▽2 異なる価値観を排除する矛盾


 しかしこれは大きな矛盾です。

 政教分離は

「信教の自由を保障するための制度である」

 というからには、憲法以前の問題として、信教の自由が脅かされかねない社会的な現実があるということです。

 1つの神、1つの信仰だけがあるというのではなくて、複数の神々と複数の信仰が社会に同時に存在する状況があるということです。

 神が異なれば、食べ物も飲み物も、着るものも、住む家も異なります。コミュニティも異なります。あいさつの言葉、立ち居振る舞い、気性も匂いも異なり、したがってコミュニティ同士の争いごとも起こります。

 日本社会では気がつきにくいことですが、東南アジアやインド世界に行けば、それはまさに現実です。

 その現実を克服する1つの方法は、力ずくで強権的に、完全に1つの神、1つの信仰に改宗させると同時に、異教や異端を排除することですが、かえって国内外に対立抗争をもたらすことは自明です。

 たとえば日本では、キリスト教伝来後、九州の大名たちは南蛮貿易をエサに貿易を釣ろうとし、宣教師は貿易をエサにキリスト教を釣ろうとして虚々実々の駆け引きが展開されました。

 領民の多くが事実上、強制的に改宗させられ、神社仏閣のほとんどが破壊され、それがやがてバテレン追放、禁教、そして迫害の時代の序曲となります(松田毅一『南蛮のバテレン』など)。

 ヨーロッパのキリスト教世界では、血で血を洗う悲惨な歴史を経て、逆に、複数の信仰のそれぞれの価値を同等に認め、すべての人々が平安な精神生活を送れるように、国家は特定の宗教との結びつくのではなくて、国民の信教の自由を保障しなければならない、という考え方に到達したわけです。

 百地先生はもちろん「信教の自由の保障するための制度」という定義を否定しているわけではないでしょう。けれども、社会にはいろんな考えがあり、人それぞれ価値観が異なることを認めようとしていないように見えます。

 もし認めているのなら、すでに申し上げたように、なぜ横田耕一九大名誉教授などを「一部学者」と突き放すことも、私を「粗雑な頭脳」と切り捨てることもないでしょう。

 憲法は、国家、社会の基本的あり方を定めるとともに、一面では国民の義務を定めるなど、国民の生活のありようをも規定していますが、先生の憲法理論は、憲法をめぐる訴訟に勝つための便法であり、先生ご自身の生き方とは別の次元にあるように見えます。

 少なくとも千年以上の歴史を持つ、日本の天皇のあり方、日本人のおおらかな宗教性とは異質のように見えます。


以上、斎藤吉久『検証「女性宮家」論議』(iBooks)から抜粋。一部に加筆修正があります


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モグラたたきの政教分離論──憲法理論は法廷闘争の方便か 1 [女性宮家創設論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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モグラたたきの政教分離論
──憲法理論は法廷闘争の方便か 1
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 拙著『検証「女性宮家」論議──「1・5代」天皇論に取り憑かれた側近たちの謀叛』からの抜粋を続けます。一部に加筆修正があります。


第4章 百地章日大教授の拙文批判に答える

第7節 憲法理論は法廷闘争の方便か

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 月刊「正論」平成25年3月号に掲載された百地章日大教授(当時)の拙文批判を読み続けています。前節に引き続き、先生が専門とする政教分離について考えます。

 突然ですが、私は学生のころ、しょっちゅう風邪をひきました。きまって扁桃腺炎を併発し、高熱に悩まされ、ぜんそく症状を引き起こしました。これでは就職もままならない、と心底、思い悩みました。

 そのころ出会い、その後、20年以上にもわたって、お付き合いすることになった、元海軍軍医の主治医は、名医中の名医でした。外科医としての腕もさることながら、ふつうの医者なら、解熱剤や気管支拡張剤などを処方してすませるところを、主治医はまったく違っていました。

 主治医が投薬のほかに、私に与えたのは、自分も長年愛用しているというタワシでした。

「皮膚を摩擦して鍛え、風邪にかからない体質を作りなさい」

 というのです。

 皮膚を鍛えたおかげで、いつの間にか滅多に風邪をひかなくなりました。実の息子以上に可愛がっていただき、海外旅行もご一緒した、いまは亡き主治医に、感謝の言葉もありません。

 熱が出たから解熱剤、風邪には抗生物質という対症療法は、患者には即効性が期待できるし、処方箋で点数を稼ぐ医療ビジネスにとっても好ましいかも知れません。タワシではふつうの患者は喜ばないだろうし、医者は一文の得にもなりません。

 けれども安易なモグラたたきは、患者になんら根本的解決を与えず、結果的に国民医療費を増大させ、抗生物質の効かない耐性菌の恐怖を招きかねません。

「闘い」の人である百地先生の憲法論にも、そのような側面がないでしょうか?


▽1 モグラたたきの政教分離論


 先生の著書の1つに、一般読書向けに書かれた『憲法の常識 常識の憲法』があります。

「第1章 国家と憲法」
「第2章 占領下に作られた日本国憲法」
「第3章 象徴天皇制と国民主権」

 と続き、第7章で「政教分離について」が取り上げられています。

 書き出しは「政教分離とは何か?」で、「『政教分離』をめぐる混乱」という小見出しのあとに、以下のような文章がつづられています。

「政教分離とは、一般に、国家と宗教の結合を禁止し、信教の自由を保障するための制度であるといわれる。しかしながら、具体的に何が政教分離であり、いかなる場合に政教分離違反が生ずるかという問題になると、なかなか意見は一致しない」

 政教分離の定義をめぐるこの文章は、いかにも百地先生らしさが強くにじみ出ているように思います。

 まず憲法に定められた政教分離規定がある。制度の目的は、信教の自由を保障することにある。しかし現実には、定義が一致していないために、混乱が生じている、という論理の展開です。

 つまり、議論の出発点として憲法があり、社会的混乱はそのあとに存在します。その逆ではありません。最初に社会的混乱があって、そのために政教分離という憲法上の制度が生まれた、という説明ではないのです。「1.5代」天皇論と論理構造が似ています。

 この一節の最後を、百地先生は

「このような混乱を解決するためにも、政教分離とはいったい何なのか、改めて考えてみる必要があると思われる(詳しくは拙著『政教分離とは何か─争点の解明─』)。」

 と締めくくっていますが、私がメルマガでしばしば取り上げてきた、この『政教分離とは何か』についても同様です。

 先生のこの著書は、いみじくもサブタイトルが「争点の解明」とされているように、政教分離制度の成り立ちの背景ではなくて、政教分離をめぐる対立・論争・訴訟問題をテーマにしています。著書の大部分は靖国訴訟、大嘗祭訴訟に割かれています。

 なぜ「国家と宗教の結合を禁止し、信教の自由を保障するための制度」が必要なのか、必要とされるようになったのか、という意味での「政教分離とは何か」の説明は、先生の著書には見当たりません。

 そのため、先生の政教分離論は「争点」の「解明」となり、憲法解釈をめぐる法律論争が主たるテーマとなります。「闘い」の人を自任する先生ならでは、です。激しい調子で拙文を批判するのとも通じるものがあります。

 目の前に現れたモグラを叩きのめす対症療法が、先生の政教分離論のように見えるのです。


以上、斎藤吉久『検証「女性宮家」論議』(iBooks)から抜粋。一部に加筆修正があります


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敵対者を切り捨てる ──コンクラーベで思い出した白柳枢機卿の信仰 4 [女性宮家創設論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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敵対者を切り捨てる
──コンクラーベで思い出した白柳枢機卿の信仰 4
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 拙著『検証「女性宮家」論議──「1・5代」天皇論に取り憑かれた側近たちの謀叛』からの抜粋を続けます。一部に加筆修正があります。


第4章 百地章日大教授の拙文批判に答える

第6節 コンクラーベで思い出した白柳枢機卿の信仰


▽4 敵対者を切り捨てる

koukyo01.gif
 前置きが長くなりました。百地先生の拙文批判のなかで、気になることがあります。

 それは、

「斎藤氏のいう断絶説など、天皇制否定論者の横田耕一教授などごく一部学者の私的学説にとどまり」

 と、横田九州大学名誉教授の固有名詞を挙げ、突き放していることです。

 私が一部学者の説に乗っかって、「断絶説」を唱えていると、意図的かどうかは別にして、曲解しているようにも見えます。

 私がいう「1.5代」象徴天皇論が「一部」にとどまる、という見方も誤っています。それどころか、昭和40年代以降、行政全体に深く浸透したのが今日の皇室の危機を招いたのであり、大きな転機となったのは、先生が

「『廃棄』されたかどうか、真偽の程は定かでない」

 と関心を示そうともしない、昭和50年の依命通牒の「破棄」でした。

 それはともかくとして、日本のキリスト教界(白柳枢機卿とは異なり、プロテスタント)と関係が深く、しばしば百地先生の論考にも取り上げられている横田名誉教授がなぜ反天皇的なのか、を内在的に検証せずに、切り捨てるのは、私を

「粗雑な頭脳」

 と罵り、一刀両断にするのと同様に、注目されます。

 なぜなら、そのような姿勢こそ、逆に「反天皇的」だと思うからです。私たちに必要なのは、非寛容的な憲法理論ではなく、真摯な天皇論の深まりです。

 最後に蛇足ながら、補足しますが、

「地球には感謝しない」

 と言い切った白柳枢機卿が、じつに興味深いことに、神社で玉串拝礼していました。

 WCRPの会合はしばしば著名な神社やお寺の会館などで開かれます。神社での場合は、会議の前に、参加者は神社に正式参拝します。そんなとき、理事長の白柳枢機卿は代表として、神前に玉串を捧げていました。プロテスタントの代表者が拝殿の隅で直立しているのとは、きわめて対照的でした。

 このプロテスタントの代表者は、公共施設でしばしば行われているクリスマス行事について、政教分離原則に違反しないのか、と質問した私にこう答えたものです。

「キリスト者が問題にしてきたのは、靖国神社や護国神社と国家との関わりであって、実際、裁判でも争ってきたが、キリスト教と国家との関わりについて議論したことない。ひょっとしたら曖昧にしてきたのかも知れない」

 それなら、白柳枢機卿はなぜ神社で拝礼されるのか、「拝礼」ではなく、「表敬」という意味だったのか、唯一神信仰と矛盾しないのか、もしも靖国神社でWCRPの会合が開かれたら、やはり参拝するつもりなのかどうか、残念ながら、ご自身の口から直接、伺うことはできませんでした。


以上、斎藤吉久『検証「女性宮家」論議』(iBooks)から抜粋。一部に加筆修正があります


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地球に「感謝」することはできない ──コンクラーベで思い出した白柳枢機卿の信仰 2 [女性宮家創設論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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地球に「感謝」することはできない
──コンクラーベで思い出した白柳枢機卿の信仰 2
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 拙著『検証「女性宮家」論議──「1・5代」天皇論に取り憑かれた側近たちの謀叛』からの抜粋を続けます。一部に加筆修正があります。


第4章 百地章日大教授の拙文批判に答える

第6節 コンクラーベで思い出した白柳枢機卿の信仰


▽2 地球に「感謝」することはできない

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 私が面識を得たのは、白柳誠一枢機卿でした。

 そのころの白柳枢機卿は、世界宗教者平和会議(WCRP)日本委員会理事長という、もうひとつの顔をもっていました。

「カトリックというより、立正佼成会に近い」

 と信徒たちに囁かれるほど、庭野日敬立正佼成会開祖の提唱で始まったWCRPの諸宗教協力を熱心に展開しました。

 西暦2000年を契機に、最貧国の債務を帳消しにしようという「ジュビリー2000」の国際運動を、WCRPが強力に展開したのも、白柳枢機卿の指導力があってのことだったと思います。

 白柳枢機卿について、私が興味を持ったのは、それから数年後、WCRP日本委員会内で「地球感謝の日」制定推進運動参加の是非が問われたときです。

 この運動は、1972(昭和47)年に国連環境会議が「人間環境宣言」を採択し、「環境の日」とされている6月5日を、「地球感謝の日」として制定し直し、環境保護運動を世界的に推進しようとするものです。

 日本委員会に結集する諸宗教の代表者たちの多くは、とりわけ日本の伝統宗教の代表者たちは賛同し、盛り上がったのですが、理事長の白柳枢機卿はなかなか首を縦に振りません。

 なぜ賛成しないのか、カトリックが主導した「ジュビリー2000」はわれわれも賛成したではないか、という強い不満の声も聞かれました。

 都内で関連するイベントがあったとき、直接、白柳枢機卿に質問してみました。すると、なるほど、と思われる答えが返ってきました。それは

「あなたには私をおいてほかに神があってはならない(Thou shalt have no other gods before me.)」(旧約聖書。モーセの十戒)

 とする、一神教に特有の信仰問題でした。

「キリスト教は神に感謝することはあっても、地球に感謝することはありません。感謝するというのなら、地球ではなく、地球を創ってくださった神に対して、行われます」

 地球への「感謝」は信仰的に受け入れられないということなのでした。白柳枢機卿はぶしつけな私の質問に、じつに丁寧に答えられました。


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5人の日本人枢機卿 ──コンクラーベで思い出した白柳枢機卿の信仰 1 [女性宮家創設論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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5人の日本人枢機卿
──コンクラーベで思い出した白柳枢機卿の信仰 1
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 拙著『検証「女性宮家」論議──「1・5代」天皇論に取り憑かれた側近たちの謀叛』からの抜粋を続けます。一部に加筆修正があります。


第4章 百地章日大教授の拙文批判に答える

第6節 コンクラーベで思い出した白柳枢機卿の信仰


 百地章日大教授が月刊「正論」平成25年3月号にお書きになった拙文批判について、検証しています。この節では、先生が専門とされている政教分離について、ほんの少しだけ考えてみます。

 その前に、新しいローマ教皇が選出されましたので、そのことについて書くことにします。


▽1 5人の日本人枢機卿

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 第265代ローマ教皇ベネディクト16世の退位に伴い、教皇選挙(コンクラーベ)が行われ、平成25年3月13日、アルゼンチン人のブエノスアイレス大司教ホルヘ・マリオ・ベルゴリオ枢機卿が新たに教皇に選出されました。新教皇はフランシスコ1世を名乗ることとなりました。

 コンクラーベは世界から集まった、100人を超える枢機卿によって行われましたが、参加できる日本人の枢機卿は、今回はいませんでした。

 過去には5人の日本人枢機卿がいました。

 土井辰雄元東京大司教(1892〜1970年)、田口芳五郎元大阪大司教(1902〜1978年)、里脇浅次郎元長崎大司教(1904〜1990年)、白柳誠一元東京大司教(1928〜2009年)、濱尾文郎元横浜教区司教(1930〜2007年)の5人です。

 田口、里脇両大司教は、キリシタンの歴史を伝え、遠藤周作の名作『沈黙』の舞台となった長崎県外海町(いまは長崎市)の出身です。そもそもキリスト教人口が少ない日本で、同じ町から2人の高位聖職者を輩出しているのは、それだけ長い、キリスト教色の強い、この地の歴史を感じさせます。

 濱尾司教は濱尾四郎子爵の三男だそうですが、戦時中に母親が改宗した影響で、戦後、兄の実氏とともに洗礼を受けたといわれます。実氏は今上陛下が皇太子時代の東宮傳育官で、東宮侍従となってのちは現在の皇太子、秋篠宮親王殿下の教育にも携わりました。

 土井、白柳、濱尾のお三方はそれぞれコンクラーベに参加しているようです。


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複数の宗教的源流をもつ国民統合の儀礼 ──両論併記にとどまる百地先生の「大嘗祭」論 6 [女性宮家創設論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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複数の宗教的源流をもつ国民統合の儀礼
──両論併記にとどまる百地先生の「大嘗祭」論 6
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 拙著『検証「女性宮家」論議──「1・5代」天皇論に取り憑かれた側近たちの謀叛』からの抜粋を続けます。一部に加筆修正があります。


第4章 百地章日大教授の拙文批判に答える

第5節 両論併記にとどまる百地先生の「大嘗祭」論


▽6 複数の宗教的源流をもつ国民統合の儀礼

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 世界で約12億人以上といわれるカトリック信徒の王であるローマ教皇は、当然、カトリックの典礼を行います。イスラムの祈りを捧げることはありません。イスラムの王ではないからです。東方教会やプロテスタントの王ですらありません。

 2006(平成18)年にローマ教皇ベネディクト16世がイスタンブールのブルー・モスクに詣で、黙祷したことが世界中の共感を呼びました。イスラム世界との関係回復の試みとして注目されたのですが、イスラムの神に祈りを捧げたわけではないでしょう。一神教世界では

「あなたには、わたしをおいてほかに、神があってはならない(Thou shalt have no other gods before me.)」(旧約聖書。モーセの十戒)

 とされているからです。

 創造主の教えは絶対です。一神教世界では、国王も大統領も、唯一神に祈りを捧げます。中国、朝鮮では宇宙の最高神に祈りが捧げられました。それは支配者の祈りです。

 今日、バチカンは異教世界の信仰を認めています。ローマ教皇は既述したように、イスラム寺院で祈りを捧げています。アメリカでは、たとえば「9・11同時多発テロ」の犠牲者を追悼する政府主催のミサでは、諸宗教の祈りが捧げられました。

 しかしこれらは第2次大戦後の新しい現象です。それでも、ローマ教皇やアメリカ大統領がイスラムの神を拝することはあり得ません。

 日本だけが異なり、天皇は古代律令の時代から、皇祖神のみならず、民が信じるあらゆる神に祈りを捧げてきました。

「およそ天皇、即位したまはむときは、すべて天神地祇祭れ」(「神祇令(じんぎりょう)」の「即位条」)

 歴代天皇は古来、万民のため、万民が信じるあらゆる神々に祈ることを、第一のお務めとしたのです。特定の信仰に基づく、支配者の祈りではなく、あらゆる信仰の存在を認め、国と民をひとつにまとめ上げる国民統合の祈りです。

 それが祭祀王という意味なのでしょう。

 民が信じるすべての神に祈りを捧げるとすれば、祭式は複合的になります。稲作民の稲と畑作民の粟が供される所以でしょう。

 日本には古くから粟の民俗があったようで、『常陸国風土記』には「新粟の新嘗」のことが記録されています。

 野本寛一近畿大学名誉教授(民俗学)は『焼畑民俗文化論』のなかで、水田稲作以前の民が粟や芋を栽培していたこと、粟や麦を主食とする焼畑の村ではかつて旧暦10月10日にアワオコワやオカラク(粢[しとぎ])を畑神様に捧げていたこと、などを紹介しています。

 それぞれの民は自分たちのために、それぞれの神に祈ります。しかし天皇は国と民をひとつにまとめるため、私なきお立場で、すべての民が信じるすべての神に祈ります。御代替わりに行われる大嘗祭は、水田稲作民の米と畑作民の粟を捧げる複合儀礼であり、複数の宗教的源流をもつ国民統合の儀礼なのだと思います。

 皇居内に水田を設け、稲作を始められたのは昭和天皇ですが、今上天皇は粟の栽培に着手されました。さすが陛下だと私は思います。

 血生臭い、深刻な宗教対立を経験することなく、日本の歴史が平和的に連綿と続いてきたのは、歴代天皇が国民統合の儀礼を第一のお務めとして実践されてきたからではないか、と私は考えます。

 御代替わり当時、もし百地先生が、大嘗祭=国民統合の儀礼という理論を立てていたら、宮中祭祀一般=「皇室の私事」説に与する必要はなかったはずです。


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稲作儀礼なら国民統合儀礼とはならない ──両論併記にとどまる百地先生の「大嘗祭」論 5 [女性宮家創設論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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稲作儀礼なら国民統合儀礼とはならない
──両論併記にとどまる百地先生の「大嘗祭」論 5
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第5節 両論併記にとどまる百地先生の「大嘗祭」論


▽5 稲作儀礼なら国民統合儀礼とはならない

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 内閣官房の『平成即位の礼記録』によると、即位の礼準備委員会は大嘗祭について、次のように説明しています。

「大嘗祭は、稲作農業を中心としたわが国の社会に、古くから伝承されてきた収穫儀礼に根ざしたものであり、天皇が即位の後、はじめて、大嘗祭において、新穀を皇祖および天神地祇にお供えになって、みずからお召し上がりになり、皇祖および天神地祇に対し、安寧と五穀豊穣などを感謝されるとともに、国家・国民のために安寧と五穀豊穣などを祈念される儀式である。それは、皇位の継承があったときは、かならず挙行すべきものとされ、皇室の長い伝統を受け継いだ、皇位継承に伴う一世一度の重要な儀式である」

 このため、

「趣旨・形式などからして、宗教上の儀式としての性格を有すると見られることは否定することができず、また、その態様においても、国がその内容に立ち入ることは馴染まない性格の儀式であるから、大嘗祭を国事行為として行うことは困難である」

 として、皇室の行事として位置づけられることになったのでした。

 まさに、百地理論そのままのように見えます。

 しかし、「稲作儀礼である」とともに「国家・国民のための儀式である」とする、「ともに」の部分が理解しづらいところです。

 御代替わりに国民統合の儀礼が行われるということはよく理解できます。統治者の最大の使命は国と民をまとめ上げ、社会の平和を保つことだからです。

 けれども、稲作儀礼がどうして国民統合の儀礼となり得るのでしょうか?

 ご承知のように、稲は帰化植物です。日本列島は必ずしも米作適地ではありません。日本人は昔から米を主食としてきた稲作民族だと考えるのは、科学的ではありません。コメ余り現象が起きるようになったのはつい最近のことであり、いまでも十分に米が穫れない地域は少なくありません。主たる神饌が米でないという神社はたくさんあります。

 たとえば、天孫降臨の聖地、すなわち皇祖発祥の地であり、日本の稲作発祥の地と伝えられる宮崎県高千穂は、古代の神話がそのまま息づいているところですが、広い水田などどこにも見当たらない緑深い山里であり、高千穂神社の「猪々掛(ししかけ)祭」では猪が神前に捧げられます。

 逆に、米が神饌であることをもって稲作信仰だというのなら、全国約8万社の神社はすべて稲作信仰の神社となってしまいます。縄文人の信仰は廃れて、今日には伝えられていないことになってしまいます。

 つまり、水田稲作民ではない畑作の民が古来、日本列島にはたくさんいるのです。畑作民には畑作民の暮らしがあり、神があります。それらを含めて、国と民をひとつにまとめ上げるには、稲作儀礼では不可能です。

 国中の民が信じるあらゆる神々に、それぞれの命の糧である田のもの、畑のものを捧げ、祈るからこそ、収穫儀礼は国と民を統合する儀礼となり、統治者の即位儀礼となり得るではないでしょうか?


以上、斎藤吉久『検証「女性宮家」論議』(iBooks)から抜粋。一部に加筆修正があります


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