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政教分離問題最大のテーマ ──百地先生にとって「国家神道」とは何だったのか? 3 [女性宮家創設論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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政教分離問題最大のテーマ
──百地先生にとって「国家神道」とは何だったのか? 3
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 拙著『検証「女性宮家」論議──「1・5代」天皇論に取り憑かれた側近たちの謀叛』からの抜粋を続けます。一部に加筆修正があります。


第4章 百地章日大教授の拙文批判に答える

第3節 百地先生にとって「国家神道」とは何だったのか?


▽3 政教分離問題最大のテーマ

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 ところが、数年後、占領軍は神道指令の「宗教と国家の分離」を「宗教教団と国家の分離」に、解釈を変更させました。実際、26年6月の貞明皇后の御大葬は旧皇室喪儀令に準じて行われ、国費が支出され、国家機関が参与しています。

 宮内庁高官の証言によれば、占領軍は当時、日本政府の照会に対して、

「喪儀については、宗教と結びつかないものは考えられない。国の経費であっても、ご本人の宗教でやってかまわない。憲法に抵触しない」

 と答えたといわれます。

 一方、斂葬(れんそう)当日の6月22日、全国の学校で「黙祷」が捧げられると、数日後、アメリカ人宣教師の投書が英字新聞の読者欄に載りました。

「戦前の国家宗教への忌まわしい回帰」

 そして、数カ月にわたって、侃々諤々の宗教論争が始まりました。

 同年9月のサンフランシスコ平和条約調印日にふたたび学校で「黙祷」「宮城遥拝」が実施されると、宣教師たちはふたたび猛抗議しました。けれども、既述したように、GHQは宣教師たちの反神道的立場をけっして擁護しませんでした。

 10月には吉田茂首相が靖国神社に参拝することも認められています。当時の朝日新聞はこれを

「首相が公けの資格で参拝したのは6年ぶり」

 と伝えています。

 翌27年4月の平和条約の発効で、日本は独立を回復し、神道指令も失効しました。

 焦点は「国家神道」です。より正確にいえば、アメリカにとっての「国家神道」とは何だったのか、です。なぜ占領軍は神道指令を発したのか、なぜ天皇の祭祀を「皇室の私事」に押し込めたのか、しかも数年も経ずして、またたく間に政策を変更させたのか?

 百地先生が専門とする政教分離問題の最大のテーマのはずです。


以上、斎藤吉久『検証「女性宮家」論議』(iBooks)から抜粋。一部に加筆修正があります


☆ひきつづき「御代替わり諸儀礼を『国の行事』に」キャンペーンへのご協力をお願いいたします。このままでは悪しき先例がそのまま踏襲されるでしょう。改善への一歩を踏み出すために、同憂の士を求めます。
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近代化された明治の皇室祭祀 ──百地先生にとって「国家神道」とは何だったのか? 1 [女性宮家創設論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジン(2017年8月21日)からの転載です


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近代化された明治の皇室祭祀
──百地先生にとって「国家神道」とは何だったのか? 1
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 拙著『検証「女性宮家」論議──「1・5代」天皇論に取り憑かれた側近たちの謀叛』からの抜粋を続けます。一部に加筆修正があります。


第4章 百地章日大教授の拙文批判に答える

第3節 百地先生にとって「国家神道」とは何だったのか?


▽1 近代化された明治の皇室祭祀

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 百地先生への再批判を続けます。前節では依命通牒について書きました。百地先生は、昭和22年5月に発せられた依命通牒が50年9月に「破棄」(宮内庁OBの証言)されたことについて、ほとんどご存じないようです。

「『依命通牒』と『女性宮家』とは無関係である」

「ちなみに、依命通牒が『廃棄』されたかどうか、真偽の程は定かでない」

 と述べています。

 依命通牒が重要なのは、とくに第3項は、戦後の宮中祭祀存続に大きく関わっているからです。祭祀王である歴史的天皇像そのものに関わるからです。天皇のあり方に歴史的変更をもたらす、女系継承容認=いわゆる「女性宮家」創設論と、けっして「無関係」ではあり得ません。

 後鳥羽上皇の日記には、若くして即位される第3皇子、すなわち順徳天皇に大嘗祭の秘儀について教えられたことが記録されています。申詞(もうしことば)には

「国中平らかに、安らけく」

 の一節があります。

 その約10年後、順徳天皇がまとめられた『禁秘抄』の冒頭には、

「およそ禁中の作法は神事を先にし、他事を後にす」

 とあります。歴代天皇は国と民のためにひたすら祈る祭祀を第一とお務めと信じ、実践してこられました。

 公正かつ無私なる祭りを行うことが、天皇の天皇たる所以です。

 明治になって、欧米列強に対抗しうる近代的な立憲君主として確立されると同時に、祭祀王としての天皇の祭りが合理的かつ現実的に整備されました。

 たとえば、平安期の宇多天皇に始まる、天皇みずから清涼殿で伊勢神宮並びに賢所を遥拝された石灰壇御拝(いしばいだんのごはい)は、明治4(1871)年10月、側近の侍従に賢所で拝礼させる毎朝御代拝に代わりました。

 同年の大嘗祭斎行について、『明治天皇紀』は、

「いまや皇業、古(いにしえ)に復し、百事維(こ)れ新(あら)たなり。大嘗(おおにえ)の大礼を行うに、あに旧慣のみを墨守し有名無実の風習を襲用せんや」

 と批判し、

「偏(ひとえ)に実際に就くを旨」

 として整備されたと、数頁にわたり説明しています。

 新嘗祭は、以前は11月の下卯日(しものうのひ)に行われていましたが、6年の太陰太陽暦の廃止、太陽暦の導入によって、11月23日に固定されました。41年には皇室祭祀令(皇室令第1号)として明文化されます。


以上、斎藤吉久『検証「女性宮家」論議』(iBooks)から抜粋。一部に加筆修正があります


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百年の計に耐えうる運動を ──依命通牒の「廃棄」をご存じない? 7 [女性宮家創設論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジン(2017年8月20日)からの転載です


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百年の計に耐えうる運動を
──依命通牒の「廃棄」をご存じない? 7
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 拙著『検証「女性宮家」論議──「1・5代」天皇論に取り憑かれた側近たちの謀叛』からの抜粋を続けます。一部に加筆修正があります。


第4章 百地章日大教授の拙文批判に答える

第2節 依命通牒の「廃棄」をご存じない?


▽7 百年の計に耐えうる運動を

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 じつは、第3章に書いたように、平成3年4月25日の国会で、宮尾盤宮内庁次長(当時)が

「(依命通牒の)廃止の手続きは取っておりません」

 と答弁しています。

 旧皇室典範ではなく、新皇室典範に従うというのが第1項です。依命通牒全体の「廃止」などあるはずもありません。問題はあくまで第3項と第4項です。

 同じ日に、秋山収内閣法制局第2部長(のちの内閣法制局長官)は

「お尋ねの通牒は3項、4項をあわせ読めば、現行憲法及びこれに基づく法令に違反しない範囲内において従前の例によるべしという趣旨であります」

 と答弁しています。「3項、4項をあわせ読めば」がミソです。第4項にはこう書かれています。

「前項の場合において、従前の例によれないものは、当分の内の案を立てて、伺いをした上、事務を処理すること」

 30年のあいだ、依命通牒第3項に基づいて、「従前の例に準じて」存続してきた宮中祭祀が、突如、依命通牒第4項にいう「従前の例によれないもの」と判断されたのです。

 問題は、だれが、何を根拠に、そう判断したのか、です。

 昭和50年8月の長官室会議は、議事録すら残されていないようですが、

「憲法の政教分離規定に違反しない範囲内において、皇室祭祀令の例によるべし」

 と決定したのでしょう。依命通牒(通達)ですから、もともと官報には載りません。公表されません。各部長官宛の依命通牒ですから、けっして内部文書ではありませんが、内部文書的なものとされ、人知れず事実上、「廃棄」されたのです。

 その結果、依命通牒は法規集から外され、宮中祭祀の祭式は改変されていったのでした。皇室の伝統より憲法の規定を優先させる一大画期です。

 しかし「皇室の伝統」と「憲法の趣旨」を対立的にとらえるだけでなく、憲法を優先させ、祭祀の歴史を改変させるという重要な判断は宮内庁幹部が、長官室という密室で行われるべきものなのでしょうか?

 平成の御代替わりでは、政府は「皇室の伝統」と「憲法の趣旨」とを対立的にとらえ、皇室の伝統行事を伝統のままに行うことが現行憲法の趣旨に反すると考え、実際、国の行事と皇室行事とを二分し、挙行しています。

 その背景には依命通牒の「廃棄」があることは明白です。ただし、御代替わりでは委員会が設けられ、参考人の意見も求められました。

 10年以上前に始まった、女系継承容認=「女性宮家」創設論は少なくとも戦後の歴史全体を見渡す必要があるし、依命通牒の「破棄」は大きなポイントです。「無関係」(百地先生)のはずはありません。

 なぜ「無関係」と言い切れるのか、それは百地先生が運動家だからではないでしょうか。私は戦後皇室行政史全体を視野に入れていますが、百地先生はそのときそのときの政治テーマが「闘い」のターゲットなのでしょう。だから、各局面の運動とその成果を誇ります。「女性宮家」創設問題という見方しかなさらないのでしょう。

 もちろん私は、運動家がいけないと申し上げているのではありません。左翼運動家が大学で教鞭を執っている例など、枚挙に暇がないはずです。

 問題は同じ運動なら、百年の計、千年の計に耐えうる運動を起こしてほしいということです。それには少なくとも百年、千年の歴史を見定めなければなりません。もしそのような視点があるなら、拙論を

「自己宣伝」
「自慢」
「的外れ」

 などと、口汚く決めつけたりはしないでしょう。「的外れ」かどうかは、黙っていても、読者が判断してくれるはずです。


以上、斎藤吉久『検証「女性宮家」論議』(iBooks)から抜粋。一部に加筆修正があります


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祭祀が存続できた法的根拠は何か? ──依命通牒の「廃棄」をご存じない? 6 [女性宮家創設論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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祭祀が存続できた法的根拠は何か?
──依命通牒の「廃棄」をご存じない? 6
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 拙著『検証「女性宮家」論議──「1・5代」天皇論に取り憑かれた側近たちの謀叛』からの抜粋を続けます。一部に加筆修正があります。


第4章 百地章日大教授の拙文批判に答える

第2節 依命通牒の「廃棄」をご存じない?


▽6 祭祀が存続できた法的根拠は何か?

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 先生は拙文批判のなかで、宮中祭祀の戦後史について、こう説明しています。

「政府が『皇室祭祀』そのものについて『一貫して否定的態度だった』などとは筆者(百地先生)はひとこともいっていない。それどころか、政府や宮内庁当局が神道指令下にあって、皇室祭祀をお守りすべく必死の努力をしてきたことを紹介しているではないか。
 そして、そのためのいわば方便として使われたのが『皇室祭祀』=『皇室の私事』論であった。つまり、『皇室祭祀』は、『皇室の信仰』に関わるものだから、占領軍といえども干渉すべきでない、との立場を敢えて取ってきたわけである。このようなことは、我々にとっていわば常識に属する。
 ところが、そのような状況の中で迎えたのが御代替わり、つまり昭和天皇の崩御と今上陛下のご即位であった。(以下略)」

 前半部分は私が以前から何度も繰り返してきたことであって、私にとっても常識です。「文藝春秋」平成24年2月号に掲載された永田元掌典補インタビュー(聞き手は私です)でも取り上げています。

 ならば、です。

 昭和20年暮れに過酷な内容の神道指令が出されました。宮中祭祀は「皇室の私事」として存続することとなりました。祭祀に携わる掌典職は国家機関ではなくなり、職員は内廷費で雇われる私的使用人という立場になりました。占領軍は「皇室の私事」としての宮中祭祀には干渉しませんでした。その後、22年5月の日本国憲法の施行に伴い、皇室祭祀令は廃止され、宮中祭祀の法的根拠は失われました。

 けれども、宮中祭祀は存続しました。26年の貞明皇后の御大喪は旧皇室喪儀令に準じて行われています。そのようにできた根拠は何だとお考えなのでしょうか。旧皇室令が廃止されてもなお、国家機関が関与して祭祀を存続させるには、法的根拠が必要です。

 たとえば、陛下に代わって、侍従に宮中三殿内で拝礼させる毎朝御代拝は、占領中も、社会党政権時でさえ、存続しました。侍従は特別職の公務員です。侍従が「皇室の私事」とされる祭祀に従来通り関与できた行政上の根拠は何でしょうか?

 先生が仰せの

「政府や宮内庁当局が神道指令下にあって、皇室祭祀をお守りすべく必死の努力」

 こそ、まさに依命通牒第3項だったのではありませんか?

 行政にとっての「必死の努力」は精神論ではあり得ません。法学者なら、まったく法的根拠なしに、公務員たる侍従が祭祀に関与していたとは、ふつうは考えないはずです。現代を代表する法学者であるはずの先生が、依命通牒に関心を持とうとしないのはなぜなのか、私にはまったく不思議というほかはありません。

「女性宮家」創設提唱者にではなくて、私に対して牙をむくのと同様、大きな謎です。私には、逆に提唱者を必死でかばっているようにさえ見えます。先生は賛成派ではなかったはずなのに、です。


以上、斎藤吉久『検証「女性宮家」論議』(iBooks)から抜粋。一部に加筆修正があります


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依命通牒の存在を知るなら ──依命通牒の「廃棄」をご存じない? 5 [女性宮家創設論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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依命通牒の存在を知るなら
──依命通牒の「廃棄」をご存じない? 5
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 拙著『検証「女性宮家」論議──「1・5代」天皇論に取り憑かれた側近たちの謀叛』からの抜粋を続けます。一部に加筆修正があります。


第4章 百地章日大教授の拙文批判に答える

第2節 依命通牒の「廃棄」をご存じない?


▽5 依命通牒の存在を知るなら

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 百地先生の拙論批判から浮かび上がってくるのは、どうやら先生は依命通牒について何もご存じない、関心もないらしい、ということでしょうか。しかし、それでは戦後皇室行政史を論じようがないのではありませんか?

 依命通牒の存在自体はご存じだったようにも見えます。私が指摘する前は、もしかすると、「いまも生きている」と理解されていたかもしれません。けれども、もしそうだとすると、おかしいのです。

 依命通牒第3項には、

「従前の規定が廃止となり、新しい規定ができていないものは、従前の例に準じて、事務を処理すること」

 と書かれています。

 石原信雄元内閣官房副長官が回想するように、御代替わり当時、最大に難問は大嘗祭の宗教性でした。

 百地先生によると、先生は大嘗祭=「皇室の公事」論を構築し、政府に進言しました。そして

「幸い政府もこの理論を採用し、大嘗祭はほぼ伝統通りに斎行することができた」

 と自慢げです。

 もし先生が、依命通牒第3項が存在し、「いまも生きている」と理解していたのだとしたら、大嘗祭=「皇室の公事」論なるものを新たに構築する必要はなかったはずです。政府に対して、

「御代替わりに関する旧皇室令は日本国憲法の施行とともに廃止されたが、新しい規定はない。したがって依命通牒第3項に則って、従前の例に準じて、すなわち旧皇室令に準じて事務を処理すべきである」

 と主張すれば足りたのです。

 なぜそのようになさらなかったのでしょうか?

 依命通牒の「破棄」をじつはご存じだったのでしょうか。もしそうだとすれば、先生は嘘つきだということになります。私はそうは思いたくありません。

 そうではなくて、依命通牒の存在をご存じなかったのではないか、もしくは、ほとんど存在を意識していないのではないか。しかし、そうだとすると、これまた厄介です。


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本格化した祭祀改変 ──依命通牒の「廃棄」をご存じない? 4 [女性宮家創設論]

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本格化した祭祀改変
──依命通牒の「廃棄」をご存じない? 4
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第2節 依命通牒の「廃棄」をご存じない?


▽4 本格化した祭祀改変

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 ところが、40年代になり、入江侍従長は昭和天皇の御健康問題を口実にして、祭祀の改変に手をつけました。そして富田朝彦次長(のちの長官)が登場し、50年8月の長官室会議以後、祭祀改変は本格化します。

 これが昭和天皇の祭祀に携わった宮内庁OBのいう依命通牒の「廃棄」です。

 宮中祭祀が戦後30年間、「従前の例に準じて」行われてきた命綱としての依命通牒が法規集からはずされることは、とくに掌典職の職員たちの間には衝撃以外の何ものでもありません。

「たいへんなことになった。これからどうなるのか。伝統の祭祀に素人が口を出すようになったら困る」

 祭祀の明文的根拠を失ったことで、「陛下のご意向」を根拠に、何でもできることになってしまうのではないか、という恐れを職員が感じたのも無理はありません。

 そこで自発的な勉強会が庁内で始まりました。外部の神道学者との連携も模索されました。そうした努力は御代替わりまで続いたのでした。”

 実際、御代替わりでは、践祚(皇位継承)と即位との区別が失われるなど、さまざまな変更が起こりました。そのことは「文藝春秋」24年2月号掲載の拙文「宮中祭祀を『法匪』から救え」に書きました。

 依命通牒「廃棄」の根拠は憲法の政教分離規定です。平成の祭祀簡略化は、昭和の先例と今上陛下のご意向を根拠として行われています。「女性宮家」創設の論議もまた、同様のニュアンスで繰り返されました。


以上、斎藤吉久『検証「女性宮家」論議』(iBooks)から抜粋。一部に加筆修正があります


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依命通牒不掲載の通知が回った ──依命通牒の「廃棄」をご存じない? 3 [女性宮家創設論]

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依命通牒不掲載の通知が回った
──依命通牒の「廃棄」をご存じない? 3
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第2節 依命通牒の「廃棄」をご存じない?


▽3 依命通牒不掲載の通知が回った

 百地先生の反論に、じつは私は期待していました。依命通牒について新しい情報が得られるかもしれない、と思ったのです。
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 しかしこれも見事に裏切られました。先生はこう書いています。

「斎藤氏は、昭和50年8月15日付でこの『依命通牒』が『廃棄』されたこと、しかしてこのような『戦後皇室行政史』を知らなければ、『女性宮家問題の本質』は分からないのだ、と断定する(ちなみに、依命通牒が『廃棄』されたかどうか、真偽の程は定かでない。
 また仮に『宮内庁法令集』(ママ)から『消えた』というだけで法令が『失効』するのなら、現行憲法についても、『法令集』から取り除いてしまえばそれだけで『失効』させることができるのだろうか)」

 先生はまったく文意を理解していません。私は「依命通牒」と「女性宮家」が直接、関係しているなどというようなバカげた理屈を振り回してはいません。「女性宮家」創設論は戦後史全体のなかで考えるべきであり、その際、依命通牒の破棄は重大なポイントになると申し上げているのです。曲解しないでいただきたいと思います。

 既述したように、渦中にあった宮内庁掌典職OBの証言によれば、昭和50年8月15日の長官会議室以後、法規集(バインダー式だったらしい)から依命通牒を外すという通知が庁内に回りました。依命通牒は祭祀の命綱ですから、このためとくに祭祀を担当する掌典職では、動揺が走りました。いまでこそ会議のことは入江相政侍従長など側近の日記で知られますが、当時の職員には寝耳に水のことでした。

 依命通牒の第1項は

「新法令ができているものは、当然夫々の条規によること」

 です。たとえば、皇室典範、宮内府法、皇室経済法などがそれに当たります。法律が改正されれば、新法に従うのはごく当たり前のことです。

 問題は第3項、そして後述する第4項です。第3項には

「従前の条規が廃止となり、新しい規定ができないものは、従前の例に準じて事務を処理すること」

 とあります。宮中祭祀がこれに当たります。祭祀令は廃止されたけれども、新法はない。皇室の伝統をどう守ればいいのか。依命通牒は

「従前の例に準じて」

 とし、各部局長官に通達したのです。これによって宮中祭祀の伝統は、占領下、社会党政権下も、ずっと守られてきました。


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「依命通牒」と「女性宮家」は無関係か? ──依命通牒の「廃棄」をご存じない? 2 [女性宮家創設論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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「依命通牒」と「女性宮家」は無関係か?
──依命通牒の「廃棄」をご存じない? 2
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 拙著『検証「女性宮家」論議──「1・5代」天皇論に取り憑かれた側近たちの謀叛』からの抜粋を続けます。一部に加筆修正があります。


第4章 百地章日大教授の拙文批判に答える

第2節 依命通牒の「廃棄」をご存じない?


▽2 「依命通牒」と「女性宮家」は無関係か?

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 百地先生はこう書いています。

「氏によれば、『依命通牒の廃棄』(?)という事実を知らなければ、女性宮家問題の本質は分からない、ということらしい。しかし、『依命通牒』と『女性宮家』とは無関係である」

 私の連載は、戦後の皇室関係行政史全体の流れを追い、「女性宮家」創設論誕生の経緯を追っています。つまり、ポイントはこうです。

(1)昭和22年5月の日本国憲法施行に伴い、皇室祭祀令など皇室令が廃止されたものの、同時に宮内府長官官房文書課長の「従前の例に準じて」とする依命通牒第3項によって、天皇の祭祀の伝統は辛うじて守られた。

(2)しかし40年代以降、皇室の伝統より憲法を優先する考えが行政全体に蔓延し、宮中祭祀の伝統が無原則に破壊されていった。

(3)一大転換をもたらしたのは、50年8月15日の長官室会議であり、依命通牒第3項の「破棄」であった。

(4)宮中行事の明文的根拠が失われたことで、御代替わりの諸行事は大きな影響を受けた。

(5)125代続く皇室の伝統を二の次にする考えは、女性天皇・女系継承を容認する皇室典範改正へと引き継がれ、女性天皇容認と一体のかたちで「女性宮家」創設論は生まれた。

 戦後の官僚たちは、憲法の規定、とりわけ政教分離の厳格主義を金科玉条とし、祭祀王としての天皇を否定し、祭祀を簡略化し、天皇を名目上の国家機関である「象徴」とする道を求めてきた。その中に「女性宮家」創設は位置づけることができるし、依命通牒の「廃棄」こそ、皇室行政史上の画期です。

 百地先生はなんでも断定することがお好きなようですが、

「『依命通牒』と『女性宮家』とは無関係である」

 と断定すべきではありません。

 先生は第2回しか読んでいないために、そのように反応するほかなかったのかもしれません。(5)は「文藝春秋」2002年3月号の森暢平元毎日新聞記者の記事が根拠になっていますが、そのことは連載の第2回ではなく、第1回に書きました。


以上、斎藤吉久『検証「女性宮家」論議』(iBooks)から抜粋。一部に加筆修正があります


☆ひきつづき「御代替わり諸儀礼を『国の行事』に」キャンペーンへのご協力をお願いいたします。このままでは悪しき先例がそのまま踏襲されるでしょう。改善への一歩を踏み出すために、同憂の士を求めます。
https://www.change.org/p/%E6%94%BF%E5%BA%9C-%E5%AE%AE%E5%86%85%E5%BA%81-%E5%BE%A1%E4%BB%A3%E6%9B%BF%E3%82%8F%E3%82%8A%E8%AB%B8%E5%84%80%E7%A4%BC%E3%82%92-%E5%9B%BD%E3%81%AE%E8%A1%8C%E4%BA%8B-%E3%81%AB

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全体が見渡せない ──依命通牒の「廃棄」をご存じない? 1 [女性宮家創設論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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全体が見渡せない
──依命通牒の「廃棄」をご存じない? 1
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 拙著『検証「女性宮家」論議──「1・5代」天皇論に取り憑かれた側近たちの謀叛』からの抜粋を続けます。一部に加筆修正があります。


第4章 百地章日大教授の拙文批判に答える

第2節 依命通牒の「廃棄」をご存じない?


 2月11日は建国記念の日ですが、一般全国紙には、少なくとも電子版では、関連記事がほとんど見当たりません。
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 しかし平成25年の同日づけ産経新聞は、きわめて異色なことに、じつに「主張」(社説)で取り上げ、政府主催の式典開催を求めています。

 戦前の紀元節は国民の一致団結を呼びかける意味があったが、敗戦後、GHQによって廃止された。昭和42年に「建国記念の日」として復活したが、市民活動家らはいまも「国家主義の復活」などと訴えている。理解に苦しむ。いまこそ建国の歴史を学び、誇りを取り戻すときだ、というのです。

 訴えたいことはきわめてよく理解できますが、なぜ占領軍は紀元節を廃止することになったのか、もっとも重要な、その視点が欠けています。

 戦前が悪で、戦後が善だという単純な歴史論が成り立たないように、その逆も同様に成り立ち得ないと思います。

 昭和20年暮れにいわゆる神道指令が発せられました。「国家神道」の中心施設とされた靖国神社の爆破計画さえありました。日本語のローマ字化も考えられました。「国家神道」の教義とされる教育勅語は廃止され、文部省がまとめた『国体の本義』は焚書となりました。歌舞伎の忠臣蔵も上演できなくなりました。日本の戦争は「侵略」とされました。

 なぜなのか、アメリカが考えていた「国家神道」とは何だったのか、が解明されなければなりません。

 アカデミズムもジャーナリズムも歴史的事実の追究が十分とはいえません。保守派も左派も同様です。学問的な研究が浅く、目の前の現象ばかりを追いかけ、観念的な政治運動が幅を利かせることになり、一方、マスメディアは政治的に黙殺しています。

 その点、産経新聞が果敢に取り上げていることは敬意に値しますが、お寒い社会的現実を考えれば、産経が「主張」する政府主催の式典開催は国を一致させるどころか、分裂を招きかねません。

「国民の一致団結」は重要です。「誇り」も必要です。しかしそのためには、まず学問研究の深化・発展が不可欠ではないでしょうか?


▽1 全体が見渡せない


 さて、「建国記念の日」を話題にしたのには、理由があります。

 前節から、なぜ百地章先生が激怒したのか、を考えていますが、「建国記念の日」と同じことがいえると思います。

 高校時代、幾何学の得意な同級生がいました。冴えない風貌で、いつもは目立たないのですが、難問に立ち往生する私たち凡才たちを尻目に、彼が一本の補助線を引くと、教室にどよめきが走りました。天才だと私は思いました。

 たった1本の補助線で問題の核心が瞬時に明らかになる、というのは数学の世界だけではありません。

 私が月刊「正論」の連載で恩義ある3人の先生を取り上げ、あえて批判したのは、いわゆる「女性宮家」論議の混乱ぶりを憂え、解決への方向性を著名な先生たちの研究者としての良心に期待したからです。

 けれども、私の意図は完全に裏切られました。百地先生はすさまじい剣幕で、私を「粗雑な頭脳」と罵っています。

 なぜ先生は逆ギレしたのか、を解明する補助線は、前にも書いたように、そして先生自身がカミング・アウトしているように、「闘い」の人だということです。学問研究より、政治運動が優先されているということでしょう。

 格闘技では、リングに現れた目の前の敵を倒すことが、レスラーにとっての王者の印です。しかし相撲の世界でいえば、平幕の力士ならいざ知らず、横綱ともなれば、目の前の敵と戦うことより、相撲道を志し、角界全体の発展を考えるようになります。

 百地先生の逆上は完全な読み違い、思い違いによるものだ、と私は確信しますが、その原因は、連載全体を読まずに第2回しか読まない、民主党政権下での皇室制度改革が「女性宮家」創設問題としてしか理解できない、つまり問題の全体ではなく、目前の敵しか見ない、目に映らない、という政治運動家的な性向に由来するのではないでしょうか?

 いままではそれで済んでいたのでしょう。いみじくも先生は「闘い」の成果を勝ち誇っています。

 成功体験があればなおのこと、私が訴えたような戦後皇室行政史の全体を見渡すことなど、もしかすると先生には思い浮かばないのかもしれません。

 依命通牒に関する先生の反応には、そのことが余すところなく示されているように、私には見えます。


以上、斎藤吉久『検証「女性宮家」論議』(iBooks)から抜粋。一部に加筆修正があります


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私の指摘を認めている ──拙文の指摘は図星だった 3 [女性宮家創設論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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私の指摘を認めている
──拙文の指摘は図星だった 3
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 拙著『検証「女性宮家」論議──「1・5代」天皇論に取り憑かれた側近たちの謀叛』からの抜粋を続けます。一部に加筆修正があります。


第4章 百地章日大教授の拙文批判に答える

第1節 拙文の指摘は図星だった


▽3 私の指摘を認めている
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 百地先生が逆上した第2の理由は、私の指摘が図星だったからでしょう。

 先生は

「特に問題と思われる箇所を中心に、簡潔に反論を加えておく」

 と拙文批判を展開していますが、肝心要の私の指摘には触れてもいないのです。

 私は、拙文に書いたように、有識者ヒアリングでの百地先生の意見に、ほとんど同感しています。批判のための批判を展開しているのではありません。ただ、歴史的理解が欠落しているのではないか、だから問題の全体性が見えないのではないか、というのが私の指摘です。

 百地先生は「産経新聞」24年3月2日付の「正論」欄で、「女性宮家」創設問題の発端は、羽毛田信吾宮内庁長官が野田佳彦首相に、「女性宮家」創設を要請したことにある、と断定しています。

 なぜ断定できるのか、なぜ断定してしまうのでしょうか?

 23年11月25日づけ「読売新聞」の「スクープ」は

「『女性宮家』の創設検討 宮内庁が首相に要請」

 と報道しましたが、少なくともタイトルは

「長官が要請」

 とは書いていません。

 そればかりか、「週刊朝日」同年12月30日号は、岩井克己朝日新聞記者の記事で、羽毛田長官自身が「長官が提案」の報道を否定したと伝えています。

 アカデミズムであれ、ジャーナリズムであれ、ものごとを断定するのはそれに足る十分な事実の確認が必要です。百地先生の文章には事実の確認に危うさがある、そのことが「女性宮家」問題のみならず、先生の専門分野であるはずの政教分離問題にも大きく影響しているように私には見えます。

 ところが、百地先生が

「長官が要請」

 と断定し、私がそのことを指摘したことについて、百地先生は触れていません。なぜなのでしょうか?

 要するに、触れられないからでしょう。

 1から10まで論点を並べ、拙文を完膚無きまでに批判したように見えて、主要な指摘については避けている。それはつまり、認めたということです。

 もし「長官が要請」が事実だとすると、「読売新聞」は

「宮内庁長官が要請」

 と報道すべきだったし、当世随一の皇室ジャーナリストが書いた「週刊朝日」の記事は誤報だということになります。「長官要請」を否定する羽毛田長官はウソをついていることになります。

 百地先生は私に反撃するのではなく、日本の大手メディア、著名記者、陛下の側近をこそ、批判すべきなのです。

 そうはなさらないのは、図星だからでしょう。認めざるを得ないけれども、認めたくない。だから、逆上し、目くらまし的にほかの論点で、足腰が立たないくらいにまで打ちのめすという手法を採ったのではないでしょうか?

 それはケンカ殺法というべきものであって、謙虚に真理の追究に打ち込む研究者の姿勢とは異質のもののように思われます。そういえば、先生は

「積極的に関わり、政府解釈の変更のため、筆者なりの『闘い』を続けてきたつもりである」

 と自負しています。先生は「闘い」の人なのでした。

 けれども、いま私たちに必要なのは、「闘い」ではなくて、真摯で謙虚な学問の深まりなのです。そうでなければ、皇室を取り巻く深刻な問題に、根源的な解決をもたらすことは不可能でしょう。


以上、斎藤吉久『検証「女性宮家」論議』(iBooks)から抜粋。一部に加筆修正があります


☆ひきつづき「御代替わり諸儀礼を『国の行事』に」キャンペーンへのご協力をお願いいたします。このままでは悪しき先例がそのまま踏襲されるでしょう。改善への一歩を踏み出すために、同憂の士を求めます。
https://www.change.org/p/%E6%94%BF%E5%BA%9C-%E5%AE%AE%E5%86%85%E5%BA%81-%E5%BE%A1%E4%BB%A3%E6%9B%BF%E3%82%8F%E3%82%8A%E8%AB%B8%E5%84%80%E7%A4%BC%E3%82%92-%E5%9B%BD%E3%81%AE%E8%A1%8C%E4%BA%8B-%E3%81%AB

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