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帝国憲法を記念する讃美歌づくり?、ほか [政教分離]

以下は旧「斎藤吉久のブログ」(平成19年12月5日水曜日)からの転載です


〈〈 帝国憲法発布を記念する讃美歌づくり? 〉〉


 ブログの読者のお一人である佐藤雉鳴さんが、2冊目の著書を出されました。前回の本は『本居宣長の古道論』、今回は『繙読「教育勅語」』で、勅語に記されている「中外」の解釈が1世紀以上にもわたって、「国の内外」と誤読されている、戦前の日本が誤解された一因がここにある、と指摘しています。

 そのエッセンスは勅語衍義批判という形で人形町サロンに掲載されていますので、ご興味のある方はどうぞお読みください。
http://www.japancm.com/sekitei/note/2007/note39.html

 著書の方は、まえがきの冒頭、築地界隈を散策しながら、明治維新の時代風景を描き出し、憲法発布、教育勅語渙発へと話を進めています。

 私が興味を持ったのは、明治22年2月の帝国憲法発布、とりわけ信教の自由の明記を大いに喜んだ、というくだりです。というのも、今日のキリスト教指導者たちは、旧憲法の信教の自由は条件付きであって、不十分であった、という批判がもっぱらだからです(「信教の自由と政教分離」日本カトリック司教協議会ら編、2007年など)。
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 当時の新聞に載っている、ということなので、佐藤さんの助言にしたがって、さっそく調べてみると、ありました。まずは「時事新報」、2月7日付、2面、「憲法発布式における市中の賑わい」と題して、次のように書かれています。

 「キリスト教信者は今度の盛典を祝せんとて、当日、午前8時を期し、各町部の会堂に参集して、讃美歌を唱え、祈祷をなし、皇帝の万歳を祝したてまつらんとの手はずなるが、前代未聞の大典なればとて、さらに新詠の讃美歌をつくらんとの計画もありという」

 新しい讃美歌までつくるというのですから、喜びはひとしおだったのでしょう。

 発布当日はどうだったか、というと、翌12日付の4面に「名古屋の11日」という記事があり、「耶蘇教信徒は議事堂に会して感謝会を開き、委員を選び、電信によりて宮内大臣に祝詞を呈し……」と伝えています。

 キリスト教徒らはいったい何をそんなに喜んだのでしょう。

 小崎弘道というプロテスタントの牧師がいます。東京・霊南坂教会の設立者、同志社の総長です。昭和13年に出た『日本基督教史』(小崎全集2)に読むと、とくに信教の自由のことが最大の関心事であったことが分かります。

 「思想、集会、信教の自由を保障せられたことは、大いに慶賀すべく、ことに信教の自由においては、枢密院においてすこぶる強硬なる反対論があったにもかかわらず、伊藤公らの尽力により、この一項の掲げられたことは、吾人キリスト信徒の大いに感謝せねばならぬところである」

 なぜ信教の自由について、それほどに感謝すべきこととされたのか。その解説をしているのは、ヨハネス・ラウレスの『日本カトリック教会史』(中央出版社、昭和31年)です。

 第11〜13章では、幕末・明治維新期の宣教師の再来日、潜伏キリシタンの発見、迫害、追放がつづられています。禁教が解かれた後も、キリスト教は黙許されただけでした。

 そして明治憲法の発布により、完全な礼拝の自由が認められ、キリスト教の布教に対する障害が取り除かれたのです。その最初の果実は、翌年3月、日本・朝鮮両管区長による宗教会議で、浦上のキリスト教徒発見第25回記念祭とともに長崎で開かれました。

 会議に先立って、浦上から大浦教会まで聖体行列が行われましたが、警察も「わずかの敵意さえ示さなかった」のでした。

 ラウレスの史論には興味深い数字が載っています。カトリック信者の数の推移です。今日のカトリック指導者は昭和7年の上智大学生靖国参拝拒否事件をきっかけに、軍部と世論による迫害、教会の存亡に関わる気危機に陥った、などと主張していますから(「非暴力による平和への道」司教協議会ら編、2005年)、さぞかし信者数が減ったのだと思いきや、まったく逆です。

 1891年  44,505人
 1900年  55,091人
 1910年  65,107人
 1931年  96,323人
 1941年 121,128人

 憲法発布から50年で3倍近くにまで信者数はうなぎ登りに増えています。これでもなお「迫害」を主張しなければならないのは、何か別な理由があるのではないでしょうか。



〈〈 本日の気になるニュース 〉〉


1、「日経ネット」12月5日、「靖国のA級戦犯、小沢氏『分祀を』」
http://www.nikkei.co.jp/news/seiji/20071205AT3S0401T04122007.html

 訪中を前にして、分祀論をあらためて表明したようです。中国でもそのような話をされるのでしょうか。

 ならば、分祀とは何か。具体的に何をどうすることを分祀といっているのか、また、分祀すべきA級戦犯とは7人なのか、12人なのか、それとも14人なのでしょうか。取材記者はきちんと取材していただきたい。


2、「MNS産経ニュース」12月4日、「台湾海峡通過に重大な関心。中国、米に慎重対応求める」
http://sankei.jp.msn.com/world/china/071204/chn0712042059004-n1.htm

 米中関係がにわかにきな臭くなっているようです。

 当ブログ(メルマガ)の読者が、以下のようなアジア・タイムズの記事を教えてくれました。
http://www.atimes.com/atimes/China/IL01Ad02.html

 火種はチベット問題かと思っていたら、軍事的な背景がどうもありそうです。


3、「AFPBB News」12月5日、「米カトリック教会、聖職者による子供の性的虐待を防ぐ塗り絵を配布」
http://www.afpbb.com/article/life-culture/religion/2321532/2429671

 これほどまでとは深刻です。聖職者と信徒の深い信頼関係がもはや成り立たなくなっているということなのでしょう。


4、『中日新聞』12月4日、「那須御用邸用地を編入。環境省、日光国立公園に」
http://www.chunichi.co.jp/s/article/2007120401000648.html

 中央環境審議会の答申で、来年3月にも正式決定されるようです。


5、「ロイター」12月5日、「中国人観光客、「買い物多い」。ツアーに抗議し警官隊と衝突」
http://jp.reuters.com/article/oddlyEnoughNews/idJPJAPAN-29210820071205

 むりやり買い物をさせようとしたからといって、暴徒化する必要があるんでしょうか。日本人とは違いますね。


6、「MNS産経ニュース」12月4日、「南京事件70周年、反日作品目白押し」
http://sankei.jp.msn.com/world/america/071204/amr0712042004017-n1.htm

 ドキュメンタリー映画の「南京」はアカデミー賞の有力作品に挙げられているのだそうです。金持ちケンカせず、が日本人の美徳ですが、悠長に構えていられなくなりました。


 以上、本日の気になるニュースでした。

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行政は宗教に関与できない?、ほか [政教分離]

以下は旧「斎藤吉久のブログ」(平成19年11月26日月曜日)からの転載です


◇先月から週刊(火曜日発行)の「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンがスタートしました。
先週発行の第6号のテーマは「米と粟の祭り──多様なる国民を統合する新嘗祭」です。
http://www.melma.com/backnumber_170937/



〈〈 行政は宗教に関与できない? 〉〉


 おとといのブログ(メルマガ)で、栃木の足利学校について取り上げました。東京新聞の記事によると、世界遺産を目指している足利学校で、孔子らを祀る伝統儀式が100回目にしてはじめて民間団体の手で行われたのでした。参列した市長は「政教分離の視点も考慮して」と語ったようです。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tochigi/20071124/CK2007112402066895.html


▼市長の議会での答弁

 いったい何をどう「考慮」したのか、手がかりを求めて、足利市議会の会議録を閲覧してみました。
http://www.kaigiroku.net/kensaku/ashikaga/ashikaga.html

 調べた限りでは、市長が「足利学校」と「宗教」に関して発言したのは平成15年6月の定例会のみで、足利学校ほか、入場者が減少している市内の観光名所「日本一の足利3名所」のPRについて議員が質問したのに対して、市長は次のような答弁をしたのでした。

「観光協会としてPRは大いにやっていかなければならないと思っていますし、市が表に出る、ダイレクトに表に出るよりは、ワンクッション置いて観光協会がいろいろな事業を取り上げることがいろいろな面で仕事がしやすいというふうなことになると思います。
 例えばの話、足利学校で字降松というのがありますし、あそこを拝むと頭がよくなる、いや、拝むということではなくて、足利学校へ行くと頭がよくなると、字が覚えられるというような伝説がありますが、昨今は受験競争も昔ほどの苛烈な状態ではないのでありますが、足利学校をお参りすることによって、行くことによって大学受験がうまくいくというような、仮にそういうお札を売るような場面、市が宗教に関与するわけにまいりませんからなかなか難しいと。
 とすると、ワンクッション置いて観光協会ならばそういう手だても講ぜられるだろうというような考え方も生まれてまいります。したがいまして、観光協会には大いに力を入れて、また市でもいろいろな意味でのバックアップをして、そして特にいろいろなPR等については極力頑張ってもらいたいと思います」

 この答弁で、市長はじつに明確に「市が宗教に関与するわけにはまいりません」と語っていますが、足利学校は「宗教」なのでしょうか。歴史の教科書にも登場する、中世の教育機関であって、いまでは足利市が所有管理する史蹟ではないのでしょうか。

 市長は「お札を売る」云々といっていますが、足利学校は特定の宗教の教えを布教する宗教活動を行うための宗教団体ではないはずです。宗教団体でないなら、類似品はともかく、「お札」はないはずです。それとも、市長には足利学校を宗教と認識し、関わるべきではないとする、何か特別の根拠があるのでしょうか。

 仮にたとえば、今回の「釋奠(せきてん)」を行うことが宗教的行為だと考えた場合、市長は「市は関わるわけにはいかない」と自明のことのように断言していますが、なぜ「関与するわけにはいかない」のでしょうか。もし、いっさい「関与するべきではない」とすれば、もはや足利学校の所有・管理も放棄しなければならないでしょう。


▼憲法は宗教的無色性を要求していない

 公機関と宗教(宗教団体)との関係について、日本国憲法は次のように規定しています。

「いかなる宗教団体も、国から特権を受け、または政治上の権能を有してはならない」(第20条第1項後段)

「国およびその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」(第20条第3項)

「公金その他の公の財産は、宗教上の組織もしくは団体の使用もしくは維持のため……これを支出し、またはその利用に供してはならない」(第89条)

 もう何度も書いてきたことですが、たとえば憲法学者の小嶋和司・東北大学教授は、これらの規定は行政に対して宗教的無色性までも要求しているわけではないと解説しています(憲法論集3)。

 89条も、宗教団体に対する使用、便益、維持を結果するものはいっさい禁止しているというようには解釈されず、であればこそ、神社、仏閣、教会の修復に公金を支出することは許されています。

 そればかりではありません。おとといのブログにも書きましたが、東京都慰霊堂は都の土地に建てられた都が所有する宗教的施設で、都の外郭団体が主催する慰霊法要が、仏教団体の持ち回りで、完全な仏式で行われています。長崎の二十六聖人慰霊碑は列聖100年を記念して、宗教団体が市有地に建てたもので、その後、市に寄贈され、いまも定期的に野外ミサが行われています。

 これらについて、たとえば首相の靖国参拝が違憲だとくり返し主張しているキリスト教指導者たちが、「憲法違反」という声を上げたことがあるとは聞きません。


▼アメリカ、韓国の場合

 海外ではどうでしょうか。

 厳格な政教分離(国家と教会の分離)の本家本元と一般には目されているアメリカは、完全分離主義どころではありません。国家元首たる大統領の就任式は宗教者が参列し、牧師が祈りを捧げます。

 たとえば2005年1月20日に行われたブッシュ大統領の就任式では、まず式に先立って、この日の午前、大統領一家はホワイトハウスに近いイギリス国教会の聖ヨハネ教会の礼拝に参列しました。190年の歴史を持つ同教会は「大統領の教会」として知られます。参列はこの日の最初の公式行事で、父・ブッシュ元大統領や政府高官も出席しました。

 正午、いよいよ就任式が連邦議会前の特設会場で始まります。大統領が入場すると、牧師は「神が大統領らに聖霊のシャワーを与えたまわんことを」と祈りました。連邦最高裁長官が入場し、参列者が起立する中、長官の立ち会いのもと、大統領は夫人が持つ聖書に左手をおき、右手を挙げ、誓いの言葉を述べました。

 「私は合衆国大統領の職務を忠実に遂行し、全力を尽くして合衆国憲法を維持、保護、擁護することを厳粛に誓う。神よ、我を守りたまえ」

 誓いのあと、大統領は家族と抱擁します。万雷の拍手がわき起こり、21発の祝砲が会場に響き渡りました。就任式後、伝統ある議事堂内での昼食会が行われましたが、それは上下両院専属の牧師による祈りに始まり、祈りで終わりました。

 翌日は「全国民のための教会」と位置づけられるワシントン・ナショナル・カテドラルで礼拝が行われ、正副大統領のほか、政府関係者らが参列しました。ユダヤ教やキリスト教各派、諸宗教の祝福と祈りが捧げられました。

 大統領の就任式だけではありません。2001年9月、同時多発テロの3日後、やはりワシントン・ナショナル・カテドラルで、ホワイトハウスの依頼による「テロ犠牲者を追悼し、祈りを捧げる儀式」が催され、歴代大統領や政府高官、ユダヤ教やキリスト教、イスラム教の代表者が参列し、国家的な祈りが捧げられました。

 この追悼ミサでは、アメリカ政府が一教会に対して宗教的儀式の開催を依頼し、しかも間接的ながら費用を負担しています。これは国教を定めず、国民の宗教上の自由を保障するという合衆国憲法(修正第1条)に違反しないのでしょうか。

 しかしカテドラル側は取材に対して、即座に否定しています。「憲法は祈りを禁じているわけではありません。禁じられているのは国家が国民に祈りを強制することです」

 国家の祈りを禁じていないのは、靖国問題をしばしば批判している韓国も同様です。韓国では6月6日の顕忠日に、国立墓地・顕忠院で政府が主催する戦没者追悼式が行われ、国民がいっせいに黙祷をささげます。

 顕忠院で行われる焼香、献花、黙祷の国家的儀礼は政教分離を定める憲法に違反しないのか。顕忠院関係者は取材に対して、こう聞き返してきます。「焼香が宗教ですか?」


▼徹底的な政教分離は健全な社会生活を阻害する

 日本の憲法も、アメリカも韓国も、「行政が宗教に関われない」という絶対分離主義ではなく、「一定の条件で関わりが許される」という緩やかな分離主義に立っています。

 市長のいうように、「行政は宗教に関与することはできない」とした場合、小嶋教授が指摘しているように、国民の精神生活を否定し、信教への保護を失わせることになるでしょう。逆にいえば、信教の否定を促進し、かえって憲法の精神を踏みにじる結果にならないでしょうか。

 「行政は宗教に関われない」なら、行政は斎場や墓地の所有・管理も許されません。戦没者や大震災の犠牲者を追悼することも許されません。社寺の祭礼のために交通規制を行うことも許されないでしょう。それが国民の健全な精神生活を確保することになるのでしょうか。

 小嶋教授はこう指摘しています。「純粋な徹底的政教分離要求が適当な社会生活を確保するとは考えがたい」。もっといえば、絶対分離主義の主張は、精神的、宗教的存在としての人間の存在を否定することになるでしょう。

 重要な判例として知られる津地鎮祭訴訟の最高裁判決は、憲法の規定について、「国家が宗教的に中立であることを要求するものであるが、国家が宗教との関わり合いをもつことをまったく許さないとするものではなく、宗教との関わり合いをもたらす行為の目的および効果にかんがみ、その関わり合いが社会的、文化的諸条件に照らし、掃討とされる限度を超えるものと認められる場合に、これを許さないとするもの」と解釈すべきである、と判断しています。

 憲法が禁じる「宗教的活動」についても、「当該行為の目的が宗教的意義を持ち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進、または圧迫、干渉などになるような行為をいう」とされています。

 判例も絶対分離主義の立場をとってはいません。小嶋教授が指摘するように、そもそも行政は宗教的無色中立であるべきだとされるならば、その行為の目的や社会的効果を判断する必要はありません。

 だとすれば、足利学校の釋奠を市が行うことは、憲法に抵触するような宗教的活動といえるものだったのかどうか。「市は宗教に関与できない」ではなく、そこをきちんと問うべきでなのです。


〈〈 本日の気になるニュース 〉〉


1、「FujiSankei Business i」11月24日、「ドイツ『大連立』に亀裂。対中外交で表面化」
http://www.business-i.jp/news/china-page/news/200711240023a.nwc

 案の定です。記事によれば、旧東ドイツに育ったメルケル首相(キリスト教民主同盟党首)が、9月にダライ・ラマと会見したことに中国側が反発し、ドイツとの会合を軒並みキャンセルしました。これに対して、連立を組む社会民主党のシュタインマイヤー外相が理解を示したことから、大連立政権内部の不協和音が一気に噴出したというのです。

 これは靖国問題と非常によく似た構図です。

 中国にとっての靖国問題は、昭和60年8月15日の中曽根首相による靖国神社「公式参拝」のあとにおきました。中国外務省は「日本軍国主義により被害を受けた中日人民の感情を傷つける」と批判しました。首相は「軍国主義や超国家主義の復活、戦前の国家神道にもどることは絶対にない」と反論しましたが、通じませんでした。

 それは当たり前のことで、中国側の視点はもとより別のところにあったからです。中国国内の権力闘争です。

 現代中国学が専門の中嶋嶺雄先生などによると、当時は、数千人規模の青年交流が計画されるほど、日中関係は良好で、対日関係を重視する胡耀邦、鄧小平両首脳は事態の深刻化を望まなかったのですが、時あたかも「抗日戦争40周年」。過去の記憶を呼び覚まされた長老たちは違っていました。

 保守派の対日批判はやがて胡耀邦総書記の「対日柔軟外交」への攻撃に発展し、親日派の総書記は追い詰められたのでした。そのような中国国内の情勢をどこまで知っていたのかどうか、中曽根首相の言い分では、中国の反発を考慮し、60年秋の例大祭時の参拝を中止したとされます。

 小泉首相の靖国参拝に関しても同様で、江沢民が「絶対に許せない」と憤慨したのとは異なり、胡錦涛政権は当初、歴史問題を後景化させようとしていました。2003年5月にロシアで実現した小泉・胡錦涛会談で、胡錦涛は靖国参拝に触れることはありませんでした。

 しかし胡錦涛の新思考外交は一年もたたずに挫折します。中国情勢にくわしい清水美和・東京新聞編集委員の『中国が「反日」を捨てる日』によると、胡錦涛政権の柔軟姿勢を日本政府が理解できず、対応しなかった。そのため中国共産党内部で新外交への懐疑と反感が高まっていったのでした。

 やがて建国以来最大規模といわれる反日暴動が起き、対日重視派と強硬派の対立が激化し、2004年11月には抑制的だった胡錦涛みずから首脳会談で靖国参拝批判を直接するようにまでなります。

 日本の国内問題が日中の外交問題に発展したというより、中国の内政問題が外交問題に発展したという構図で、今度のチベット問題も同じなのではないでしょうか。

 昨日のブログ(メルマガ)にも書きましたように、おそらくチベット問題をめぐって中国政権内部で、胡錦涛追い落としの熾烈な権力闘争が展開されているのではないかと想像します。

 ダライ・ラマは独立までは主張していませんが、ひとたび独立の気運が起これば、各地に波及することは明らかです。それでなくても世界最大といわれる社会格差への人民の不満に火をつけることになりかねません。

 チベットに武力侵攻し、今日の問題の原因をつくったのは中国であり、解決の責任は中国自身にあります。ところが、ちょうど靖国問題で、あたかも日本が原因を作ったかのように中国が政治宣伝していたように、中国外務省の報道官はドイツ首相とダライ・ラマの会談後、こう非難しています。

「メルケル首相はダライ・ラマと会談することで、中国の民族団結を阻止し、分裂させようとした。中国はどこの国であってもチベット問題で中国の内政に干渉することに反対する。それは中国人民の感情を傷つける行為だ」(朝鮮日報、9月27日)

 非難の口調まで靖国問題とそっくりです。日本は中国の政治手法や政権内部の事情を深く理解せず、「自分が悪い」という涙ぐましいほど謙虚な、そして誤った発想で靖国問題を捉えようとし、当然のことながら問題の解決ができずにいますが、日本人よりはるかに合理的にものごとを考えるらしいドイツ人はどう対応しようとするのか、とりわけ共産主義を知り尽くしているはずのメルケル首相がどう反論するのか、注目されます。


2、「AFPBB News」11月25にち、「キエフで追悼礼拝。1930年代の大飢饉から75周年」
http://www.afpbb.com/article/disaster-accidents-crime/disaster/2316625/2390376

 ソ連の支配下にあった1930年代、作物を没収されたウクライナでは数百万の餓死者を出す大飢饉が発生した。その犠牲者を悼む追悼ミサが首都の大聖堂などで行われ、ユーシェンコ大統領などが参列したのだそうです。

 ユーシェンコ大統領が就任したのは2005年。親ロシア派首相との一騎打ちで、やり直し選挙まで行われるほど激しい大統領選挙に勝利した同大統領は、国会での就任式で古い聖書と憲法典に手を置き、宣誓したのでした。

 その聖書はウクライナが独立を保っていた1550年代のもので、議場には1650年代にロシアの征服に抵抗した指導者の戦旗も掲げられていました。

 ウクライナの主な宗教は、東方正教の一派であるウクライナ正教とウクライナ・カトリックだそうです。ウクライナ正教の大部分はモスクワ主教に属しますが、1991年の独立後、キエフ主教が分離独立。国民の大半は正教徒を自認しているといわれます。

 かつては無神論に席巻され、宗教否定の政策が展開されてきたウクライナですが、永井宗教伝統に基づく儀礼が復活しているのです。


 以上、本日の気になるニュースでした。

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カトリーナ被災2周年、犠牲者追悼の十字架 [政教分離]

以下は旧「斎藤吉久のブログ」(平成19年8月31日金曜日)からの転載です

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カトリーナ被災2周年、犠牲者追悼の十字架
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 ハリケーン「カトリーナ」がアメリカ・ルイジアナ州を襲い、2000人近くもの犠牲者をはじめ、同国史上最悪といわれる被害をもたらしてから、2周年を迎えた今月29日、各地で追悼の催しが行われています。

 韓国の東亜日報によると、ルイジアナ州セント・バーナード郡ではシェル・ビーチに追悼の十字架が建てられました。
http://japanese.donga.com/srv/service.php3?biid=2007083114878

 同郡ではカトリーナの襲来によって、すべての住居が完全に破壊されたのでした。それはアメリカの歴史始まって以来の悲惨事といわれます。

 それから2年、郡は犠牲者の名前を刻んだ慰霊碑と追悼の十字架を建てることになったようです。
http://www.sbpg.net/au2907.html

 ところが思わぬ事態が持ち上がりました。東亜日報の記事はまったく触れていませんが、強面で知られるアメリカ自由人権教会(ACLU)から、「国家と教会との分離」を定めるアメリカ憲法に違反するのではないか、と批判を突きつけられているようなのです。キリスト教のシンボルである十字架を建てるのは、政府が特定の宗教を推進、助長することであり、違憲行為だというわけです。
http://www.beliefnet.com/story/197/story_19725_1.html

 日本では、「正論」九月号に書きましたように、こと神社・神道に関しては、「国家と宗教の分離」を厳格に要求する絶対的分離主義が貫かれ、他方、仏教やキリスト教に関して、緩やかな分離主義が採られ、その不統一な宗教政策にほとんど疑問が持たれないでいます。

 たとえば、以前、来日したブッシュ大統領が明治神宮に表敬参拝したとき、日本のキリスト教指導者は政教分離を盾に猛反対しましたが、金閣寺を参詣したときは、憲法九条改正反対の同志だからということなのかどうか、キリスト者は完全に沈黙しました。

 かつて愛媛県県知事が靖国神社に玉串料を公費から支出していたことについて裁判が起こり、10年前、最高裁は高裁の合憲判決を破棄し、違憲の判断を下しました。ところが、市有地内にあるキリシタン領主・後藤寿庵廟(奥州市)では、地元教会が主催する大祈願祭に市長が参列し、ご祝儀を交際費から支出していますが、問題にもなっていません。
http://www.city.oshu.iwate.jp/icity/browser?ActionCode=genlist&GenreID=1147308219906

 長崎の二十六聖人記念館および記念碑は戦後、昭和三十年代にイエズス会が市有地に建てたもので、聞くところによると、記念館は土地の無償使用が認められているようです。その後、市に寄贈された記念碑では、毎年、野外ミサが捧げられています。

 また、島原の乱の舞台、原城址(南島原市、旧南有馬町)には、天草四郎の像と並んで、町が建てた十字架があります。阪神大震災10周年の追悼式典では、モーツアルトの傑作、キリストの生誕から受難までを歌い上げた「アベ・ベルム・コルプス」が流れました。これらも何ら問題とされていません。

 キリスト教だけではありません。関東大震災と東京大空襲の犠牲者の遺骨を納める東京都の慰霊堂では、都の外郭団体の主催による仏式の慰霊法要が行われています。

 神道については完全分離主義が主張され、他の宗教に関しては緩やかな分離主義が採用される二重基準が存在することについて、あるキリスト教指導者はこう語ります。

「キリスト者が問題にしてきたのは、靖国神社や護国神社と国家との関わりであり、実際、裁判でも争ってきたが、逆にキリスト教と国家との関わりについて議論したことはない」

 政教分離主義がキリスト教の歴史の反省から生まれたことを、このキリスト者はまったく理解していないばかりか、ダブル・スタンダードの実態についての問題意識もないということになりますが、たとえば冒頭に取り上げたアメリカで起きている政教分離の議論などはどうお考えなのでしょう。

 自分たちは緩やかな分離主義の受益者でありながら、他者に対しては宗教の否定につながる完全分離主義を主張することの矛盾に気づかないのか、それともそんなことを考えもしない憐れむべき独善主義なのか。

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韓国に政教分離はあるのか [政教分離]

以下は旧「斎藤吉久のブログ」(平成19年8月30日木曜日)からの転載です


 アフガニスタンでタリバンに拉致されていた韓国人19人について、韓国政府との合意が成立し、一部の釈放が始まったと伝えられます。合意の内容は「駐留する韓国軍の年内撤退」と「国内でのキリスト教布教の禁止」の二つとされています。

 読売新聞はこれを社説に取り上げ、朗報ではあるが、不透明な部分があると指摘しています。ほんとうに2条件だけなのか。年内撤退は事件発生前からの規定方針であり、布教禁止については交渉の初期段階から提起されていた。韓国が身代金の支払いに応じたのではないかという見方もある。

「テロリストとは取引しない」

 という国際的原則を破り、

「譲歩した」

 という誤解を生む恐れがある、というわけです。
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20070829ig91.htm

 どんな具体的な交渉が行われたのか、裏取引があったのかどうか、はいずれ明らかになるでしょうが、今度の事件では、このブログ(メルマガ)で何度も指摘してきたように、歴史や現実を省みず、観念的に自分のあらまほしき幻影をしゃにむに追い続ける韓国人の国民性が浮かび上がったのと同時に、韓国には政教分離原則があるのかという大きな疑問が沸いてきたように思います。

 まず第一点目です。東西文明を結ぶアフガンはシルクロードの要衝に位置しています。玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)が滞在していた時代は仏教の時代でしたが、いまは国民のほとんどすべてがイスラムです。

 コーランには

「神を持たぬ異端者にムスリムを支配する権利はない」

 と書かれてありますが、いかにイスラムが異教徒の支配を嫌うかは、1838年、イギリスの侵入に始まる第一次アフガン・イギリス戦争で、カブールが陥落し、国王が降伏したあとも、ゲリラ戦でついに一万六千人のイギリス人を全滅させたという歴史からうかがえます。

 ボランティアという形でアフガンに入った韓国人キリスト教徒たちは、そのような歴史をどこまで理解していたのでしょうか。信仰に熱心なのはけっこうなことですが、キリスト教伝道に限らず、ともすると相手を省みないやり方が、移民の国アメリカですら大きな反発を招き、悲劇が生じたことはよく知られているところです。その教訓が生かされているのかどうか。

 アフガンでのボランティア活動といえば、ペシャワール会の中村哲医師が思い出されます。1984年から活動を開始し、パキスタン、アフガニスタン両国にいくつかの病院を運営し、年間16万人の患者を診察しています。そのほか1000カ所以上の水源を確保する事業を継続しています。
http://www1a.biglobe.ne.jp/peshawar/

 というのも、人々が苦しんでいるのは何十年と続いている戦乱だけではないからです。これまた何年も続く大干魃で国民の半数以上が被災したのはつい最近のことです。ヒンズークシ山脈にふる雪の量が目立って減り、雪解け水の激減は耕地を砂漠化させ、百万人単位の飢餓を発生させました。

 ペシャワール会の用水路工事が始まったのは2003年で、今年上旬、第一期13キロが完成したと伝えられます。
http://www1a.biglobe.ne.jp/peshawar/inochi/inochi-r123.html

 中村医師は、拉致された韓国人と同じクリスチャンです。危ない目にも遭っています。十数年前には診療所が襲撃されました。

「死んでも撃ち返すな」。

 職員たちに報復の応戦をやめさせ、そのことで人々の信頼の絆を得たといわれます。いまでは説教の機会さえ与えてくれる。中村医師は

「イスラムの方が心が広い」

 と語ります。

 日本の援助団体の草分けであるオイスカでも同じような話を聞きました。オイスカが最初に農業指導員を送り込んだのがインドでしたが、折悪しくインド・パキスタン戦争が火を噴きます。

 両国の帰属争いが続くパンジャーブ州で農業指導をしていたオイスカ・マンがいました。日本大使館は帰国命令を出しましたが、帰るに帰れません。第一、大使館との連絡すらつきません。

「あなたのことは私たちが守る」。

 砲弾が飛び交うなか、オイスカ・マンを守り抜いたのは現地の人たちでした。住民にはムスリムもいれば、ヒンドゥー教徒もいましたが、両方がこのオイスカ・マンを守ったといいます。それほど、現地にとけ込み、深い信頼関係を築いていたのです。
 
 今回の韓国人拉致事件から浮かび上がる第二の問題は、宗教団体ではない大統領府が「布教の中止」を約束し、韓国の宗教界が布教方法についての反省を表明していることです。
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=90672&servcode=400§code=400

 韓国の憲法は第20条で、

「すべての国民は、宗教の自由を有する」
「国教は認められず、宗教及び政治は、分離される」

 と定めているようですが、「布教活動中止」を政府が合意し、宗教界がこれを歓迎するかのような態度を示しているのは、憲法の原則に抵触するのではないかと疑われます。しかし、伝えられるニュースからはそうした発想も見えません。

 韓国政府が日本の靖国神社、あるいは閣僚の参拝に無遠慮に、政治的に干渉するのは、やはり同じように大原則としての法的規範意識がそもそも薄いからではないか、との疑いがあらためて持たれます。
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反ヤスクニ論者の標的にされた未公認神社 ──市有地内神社は違憲か合憲か。北海道砂川市 [政教分離]

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反ヤスクニ論者の標的にされた未公認神社
──市有地内神社は違憲か合憲か。北海道砂川市
(「神社新報」平成19年7月16日号)
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 北海道砂川市の市有地ある(あった)神社二社が反ヤスクニ論者の標的にされ、訴訟に巻き込まれています。
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 一社は市発祥の地・空知太(そらちぶと)に鎮まる空知太神社。この地方最古の社ともいわれ、移住してきた開拓民は必ず参拝し、成功を祈願したとされます。境内には当時の総代理人や農会長、郵便局長などを歴任した開拓功労者の碑や明治期の道路開鑿工事で犠牲になった囚人たちを慰霊する記念碑などが建っています。(画像は空知太神社)

 もう一社は同市富平(とみひら)の富平神社で、北陸からの団体移住者らが建てた一坪足らずの祠です。いずれも宗教法人ではない、神職も常駐しない、住民らに守られてきた村の鎮守です(『砂川市史』など)。

 入植から百年、地域の守り神はなぜ係争の対象となったのでしょうか。


▽ 立て続けに裁判闘争


 裁判の判決文などによると、空知太神社の歴史は明治二十五年ごろ、開拓民たちが五穀豊穣を願って、いまは小学校がある隣接地に祠を置いたことに始まります。その後、北海道庁に境内地約三千坪の御貸下願を提出して認められ、神社が建てられます。神社の維持管理は地域の青年たちが当たりました。小学校が建設されたのは十年後です。

 新たな展開は終戦後のことでした。昭和二十三年ごろ小学校の拡張計画が持ち上がり、隣の神社境内地に白羽の矢が立ったのです。境内地を学校用地にするには神社の移転先を確保する必要があります。そこに現れたのがEさんでした。近接する私有地が無償提供され、神社は移転しました。

 ところがEさんには固定資産税などの負担が残りました。そこで二十八年、Eさんは砂川町(当時)に境内地寄付の願い出をし、翌年、町議会は土地の受け入れと境内地を無償で使用させることを議決します。こうして公有地内の神社という構図が生まれました。

 さらに四十五年になって、今度は境内地とその周辺地(北海土地改良区の所有、のちに市の所有地になる)を建設用地として、町内会館が空知太部落連合会によって建てられます。併行して神社は改修され、会館内に祠が遷されるとともに、鳥居が建てられました。市はこの会館建設などに補助金を支出しています。

 反ヤスクニ人士がこの神社に目をつけ、立て続けに裁判闘争を仕掛けてきたのは、九年前のことでした。

 地元紙の報道によれば、平成十年秋、「市有地に神社があるのは政教分離違反」として滝川平和遺族会が空知太神社に関する公開質問状と抗議文を市に提出しました。翌年二月には同遺族会会長と中国帰還者連絡会活動家の二人が、「市民祭りの際に同社で神事が斎行され、公費が支出されているのは政教分離違反」と主張し、さらに十五年末には「神社に市有地を提供しているのは違憲」として監査請求します。しかしいずれも言い分が認められなかったことから、十六年春、二人は神社の撤去を求める住民訴訟を札幌地裁に起こします。

 さらに二人は富平神社にも目をつけました。

 富平神社は明治二十七年の創建で、大正年間に現在の社殿が設けられたといわれます。境内地を含む二千四百平米の土地は実質的には部落会の所有でしたが、形式上は住民の私有地の集合でした。

 昭和十年、砂川町は部落会が小学校教員の住宅建設を要望したのを受け、住民から寄付されたこの土地に住宅を建設、こうして神社は公有地内に教員住宅と同居することになりました。その四十年後、教員住宅の移転と前後して、砂川市は住民たちから土地の返還を求められ、紆余曲折の末、無償で土地の管理を委託する契約を結びます。

 例の二人が「市有地に神社があるのは違憲」として住民監査請求をしたのは平成十六年。同年暮れには、市長を相手取り、住民訴訟を起こしました。ところが翌十七年春、市は議会の決議を経て、土地を町内会に無償譲渡します。二人の住民監査請求に対して、「違法性は認められないが、富平神社は宗教法人ではないから課税すべきだ」との監査結果が出たのを受けてのことでしたが、二人はこれに反発し、同年夏、「市有地を無償譲渡することも違憲」として提訴をし直します。


▽ 絶対分離主義に近い


 裁判所の判断は、空知太神社のケースでは違憲、富平神社の場合は合憲で正反対でしたが、未公認の神社を宗教施設と認めた点は共通しています。

 空知太神社については、札幌地裁は昨年(平成十八年)三月、「宗教施設があることを知りつつ、市が土地を取得した目的は宗教的意義を有する」「市有地を町内会に使用させ、宗教施設を所有させているのは特定の宗教を援助・助長・促進するもので違憲」などとする判断を示し、祠などの撤去を勧めました。二審の札幌高裁も先月末、「市が町内会に祠などの撤去を請求しないのは違憲」との判決を下しました。市側は「会館建設で宗教性が失われている」「市有地利用の目的はもっぱら世俗的」などと主張しましたが、「同神社は宗教施設」「施設での神式行事は宗教的行為」と認定されたのでした。

 一方、富平神社の場合、札幌地裁は昨年暮れ、「同神社は歴史的建造物ではなく宗教施設」と認めたうえで、しかし「町内会は宗教団体ではない」「市有地の譲渡は市有地に宗教施設があることの解消を目的とするもので神社神道を援助・助長・促進するものではない」、したがって「譲与は公機関の宗教的活動を禁止する憲法の政教分離原則に違反しない」と判断し、原告二人の訴えを却けました。

 二人以外にも私大教授が、市有地内に神社があることで信教の自由を侵されたとして平成十七年夏に東京地裁に提訴しましたが、こちらは一審、二審とも棄却でした。

 札幌の判決はいずれも目的効果論に立ち、公機関の宗教との関わりが全面禁止されているわけではないと断りつつ、実質的には絶対分離主義に近い厳格な判断をしているかに見えます。小さな祠でも宗教施設であり、公有地内にあるならば違憲だというのなら、とくに北海道では未公認神社が報告分だけで二千社あるそうですから(『北海道神社庁誌』)、判決の影響は少なくありません。

 神社だけではありません。東京都慰霊堂では都の外郭団体が主催して、仏教教団持ち回りの慰霊法要が営まれています。長崎の二十六聖人記念館および巨大レリーフは宣教団が市有地に建てたもので、記念館は土地の無償使用が認められ、市に寄贈されたレリーフの前では野外ミサが挙げられます。公営墓地・斎場も、政教分離違反と判断せざるを得ないでしょう。

 さて、空知太神社の場合は市が上告することになりました。最高裁は合憲と判断するのか、それとも神社の撤去を勧告するのか。富平神社の訴訟も来月末には控訴審の判決が出ると聞きます。


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上告しないよう要求したキリスト者 [政教分離]

以下は旧「斎藤吉久のブログ」(平成19年7月9日月曜日)からの転載です

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上告しないよう要求したキリスト者
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 クリスチャン・トゥデイによると、北海道砂川市の市有地にある神社が憲法の政教分離原則に違反するかどうかが争われている裁判で、日本キリスト教協議会(NCC)靖国問題委員会は先日、砂川市長が上告しないよう声明を発表しました。
http://www.christiantoday.co.jp/society-news-602.html

 声明文の全文はNCCのホームページに載っています。
http://ncc-j.org/diarypro/archives/224.html

 この神社は砂川市空知太(そらちぶと)にある空知太神社です。札幌の北東約70キロ、北隣の滝川市との境を流れる空知川の左岸に位置し、『砂川市史』によると、市発祥の地に鎮まる、この地方では最古の神社で、明治の開拓者たちはかならずこの神社に参拝し、成功を祈願したといわれます。宗教法人ではない、神職もいない、村の鎮守です。

 クリスチャントゥデイは「市有地にある」と記述し、NCCの声明は「市有地内に建設」と説明するのみで、歴史的経緯が省略されています。どういう経緯があるのでしょうか。

 一般の神社の場合、これは仏教寺院も同様のようですが、明治維新後、上知令によって全国の社寺境内地が国有化されました。空知太神社の場合は明治25年ごろ、開拓民たちが五穀豊穣を願って、いまは小学校がある土地に祠を置いたのが始まりとされ、その後、北海道庁に境内地の御貸下願を提出し、認められ、神社が建てられたのでした。その維持管理は地域の青年たちによって行われたといわれます。

 戦後になると、一般の神社は国有境内地の払い下げを受けたのですが、空知太神社はこの制度改革に洩れてしまったようです。しかも昭和23年ごろ隣接する小学校が拡張することになり、境内地に白羽の矢が立ち、神社はある住民が無償提供した近くの私有地に移転しました。ところが固定資産税などの負担が残ったことから、境内地は砂川町(当時)に寄付され、代わりに無償使用が認められたのでした。こうして市有地内の神社という形になったのです。

 違憲訴訟を起こした原告の1人は、クリスチャントゥデイによるとプロテスタントのキリスト者とのことですが、平和遺族会の代表者といわれます。また、今度のNCCの声明は靖国問題委員会から出されています。靖国神社反対運動を展開してきた人たちが、なぜいま、靖国神社とは直接結びつかない公有地内の村の鎮守の問題を取り上げ、肩入れすることになったのでしょう。

 ここ数年、靖国反対論者が全国で熱心に活動してきたのは小泉靖国参拝訴訟ですが、今年の春、原告敗訴の最高裁判決がすべて出揃い、決着しました。これに代わって、狙いを定められているのがどうやら公有地内神社のようで、空知太神社以外にも長野・信州大学構内神社についても訴訟があり、北海道ではほかの神社へ拡大しそうな気配があります。「公有地内の神社が合憲なら、靖国神社の境内を国有化できる。国家神道の復活が避けられない」というのがその言い分です。

 空知太神社の場合、キリスト者らが市を相手取って住民訴訟を起こしたのは平成16年春のことです。札幌地裁は昨年春、「市有地を町内会に使用させ、宗教施設を使用させているのは特定の宗教を援助・助長・促進するもので違憲」とする違憲判決を下し、二審の札幌高裁も先月末、「市が町内会に祠などの撤去を請求しないのは違憲」との判決を言い渡しました。

 このためNCCは市に対して上告をしないようにと要求したのでしょう。

 キリスト者たちがなぜこれほど靖国問題にこだわるのか。その理由は、何度もこのブログ(メルマガ)で言及してきたように、戦前の「国家神道」が自分たちキリスト者の信仰を脅かしたと認識し、その苦い経験から「国家神道の亡霊」が目を覚まし、シンボルとしての靖国神社がふたたび国家と結びつくことに、強い不安と警戒感を抱いているからとされます。

 キリスト者のその理解が妥当かどうか、も問題ですが、私が理解に苦しむのは、空知太神社の裁判のように、小さな祠(ほこら)だろうが、地蔵像だろうが、庚申塚だろうが、公有地にはいっさいの宗教施設も憲法の政教分離原則から認められず、撤去されるべきだという、いわゆる絶対分離主義が司法判断として確定することになると、キリスト教自身の首を絞める結果になるということをキリスト者自身はどう考えているのか、ということです。

 たとえば、これも何度も書いてきたことですが、岩手県奥州市(旧水沢市)にはキリシタン領主・後藤寿庵の館跡があり、昭和初年度に建てられた廟堂が置かれています。いまは市有地で、地元のカトリック教会が主催する大祈願祭が行われ、市長が参列しています。長崎市には戦後、市有地内に宣教団の手で二十六聖人記念館と記念碑(レリーフ)が建てられました。その後、市に寄贈された記念碑では毎年、野外ミサが行われているようです。

 キリスト者たちは、こうした宗教施設が公有地からすべて撤去されるべきだ、とお考えなのでしょうか。もしそうなら、国家は非宗教的存在であるべきだという、いわば革命国家の論理を主張することになり、神を信じる信仰者としては矛盾この上ないだろうし、キリスト教だけは棚上げし、もっぱら神道と公機関との関係を法的に規制すべきだというのなら、まったくの独善であって、信教の自由を侵すことになるでしょう。

 もしそうではなく、終戦直後、あの神道指令を発した占領軍自身、占領末期には、国家と宗教の分離から、国家と宗教団体との分離というアメリカ型の緩やかな政教分離主義に解釈変更し、それゆえ松平参議院議長の参議院葬が神式で行われ、永井隆博士の長崎市葬が浦上天主堂で行われたように、あるいはいま多くの自治体が公営の墓地や斎場を所有・運営しているように、国家の宗教的寛容の重要性を認めるのであれば、NCCは砂川市に上告しないよう要求するのではなくて、市が先週、決定した上告をむしろ支援すべきではないでしょうか。

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撤去された信州大「構内神社」 ──反ヤスクニ運動の標的にされ [政教分離]


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撤去された信州大「構内神社」
──反ヤスクニ運動の標的にされ
(「国民新聞」平成19年5月25日号)
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 長野県松本市に信州大学の旭キャンパスがあります。テニアン島で玉砕した松本歩兵第五十連隊のかつての駐屯地で、歴史の面影をとどめる赤煉瓦兵舎は保存運動の対象にもなっています。けれども連隊の守り神とされた構内の稲荷神社は先月(平成十九年四月)、完全に撤去されました。反ヤスクニ運動の標的にされた結果です。

 この神社はもともと江戸時代に地主が創祀した屋敷神でしたが、敗戦で連隊が解散した翌年、跡地に松本医学専門学校(信州大医学部の前身)が移ってきたとき、占領軍の指示で構外に移転させられました。

 占領軍が被占領国の宗教に干渉することは国際法違反ですが、国家神道こそ「軍国主義・超国家主義」の源泉だと誤解する占領軍は神道の弱体化を図る神道指令を昭和二十年暮れに発し、神道への差別的圧迫を加え、駅の門松や注連縄をも撤去したのです。

 戦後の国家管理廃止で、多くの神社は国有境内地の無償譲与などを受けましたが、神職も氏子もいないこの神社はこの扱いにもれたのでしょう。やがて独立回復後の三十一年ごろ、大学側の依頼を受けて、医学部の出入り業者などで組織される任意団体の杏陰会によって旧地に復します。以後、五十年近く同会が例祭を催し、受験生には学問の神様として、患者には病気平癒の神として信仰を集めてきたといわれます。


▽ 東京高裁の違憲判断


 宗教的平安を破る騒動が降って湧いたのは四年前。近くに住む経済理論専攻の私大教授(当時)が「国立大学に神社があるのは政教分離違反。信教の自由を害された」などと主張し、国などに対して慰謝料の支払いと神社の移転を求める裁判を起こしたのでした。

 東京地裁は請求を棄却、東京高裁も平成十六年夏、「信教の自由が直ちに侵害されたとはいえない」と控訴を棄却しましたが、いわゆる傍論で「神社を存置させたままの国や大学の姿勢は憲法の精神に明らかに反する」と批判したため、マスコミは「憲法違反」と伝え、「実質勝訴」の私大教授は上告を取り下げます。傍論に法的拘束力はありませんが、大学は「司法の指摘を尊重すべきだ」と協議を始めたといわれます。

 秋になると教授は「神社に課税されていないのは違法」と国と県を訴え、昨年暮れには「市は課税を怠っている」と執拗に監査請求し、松本市は神社を準宗教法人に該当すると判断しました。今年になって神社の御霊代は杏陰会によって構外に遷され、三月には社殿が解体され、三百五十年の歴史を持つ五十坪の聖地は更地となりました。

 同様のことは北海道でも起きました。砂川市では住民が「市有地に神社があるのは違法」と市を訴え、札幌地裁は昨春、政教分離違反の判決を下しました。

 大学教授らは「国有地の神社が合憲なら、靖国神社の境内を国有化できる。国家神道の復活が避けられない」と訴えます。政教分離を大義名分に国家の宗教的無色中立性を主張する神社撤去の要求は反ヤスクニ運動の一環として各地に拡大しつつあります。


▽ 日本の宗教伝統の否定


 しかし人間が宗教的存在である限り、絶対的分離などあり得ません。占領軍の宗教政策に直接関わったウッダードは、ある論攷で、占領後期のGHQが神道指令の解釈変更を行い、神道の徹底排除から国家と宗教団体の分離に改めたことを明らかにしています。アメリカの世論は非宗教主義に終わる可能性のある絶対分離主義の政策を支持しないだろう。アメリカでは明らかに宗教と国家との間に密接な関係がある──とも述べています。

 緩やかな政教分離主義に政策を変更したからこそ、占領中の昭和二十四年、松平恒雄参議院議長の参議院葬は神式で行われ、二十六年の貞明皇后の御大葬はおおむね皇室の伝統に従って行われました。吉田首相の靖国参拝も行われました。

 他方で現在、東京都慰霊堂で都の外郭団体が主催する慰霊法要は完全な仏式ですし、岩手県奥州市にあるキリシタン領主・後藤寿庵の館跡(市有地)で地元教会が主催する大祈願祭はキリスト教式です。

 公有地に祠一つあってはならないという絶対的分離主義に立てば、これらは完全な違憲ですが、くだんの教授らが提訴したという話は聞きません。GHQの政策変更の歴史には目をつぶり、仏教やキリスト教の事例は等閑視され、GHQさえ捨て去った神道撲滅運動が展開されています。

 反ヤスクニ訴訟マニアの主張が大手を振るい、いびつな司法判断が続けば、全国の公有地から、古来、継承されてきた日本の精神的伝統が姿を消していくことになります。信教の自由をうたい上げる憲法を盾にして逆に民族の宗教伝統が否定され、護憲運動を装った民族の精神的解体が進められているといえます。


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神への祈りを訴えるブッシュ大統領 [政教分離]

以下は旧「斎藤吉久のブログ」(平成19年4月21日土曜日)からの転載です

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神への祈りを訴えるブッシュ大統領
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 アメリカのバージニア州立バージニア工科大学で16日に発生した銃撃事件は全米に衝撃を与えています。教授・学生ら32人が死亡するという史上最悪の事件に、さぐさまブッシュ大統領は声明を発表し、下院議長は黙祷を呼びかけ、国中に半旗が翻りました。バージニア州のケイン知事は非常事態を宣言しました。

 悲惨な事件は銃社会の恐ろしさを見せつけただけでなく、一方で、同じく政教分離原則を憲法に掲げながらも、日本とは際立った違いのあるアメリカの政治と宗教の関係を浮かび上がらせています。

 事件翌日の17日に大学で行われた、一万人が参加する追悼集会で、ブッシュ大統領は犠牲者を悼むスピーチを読み上げ、

「力の源は信仰にある。一度も会ったことのない人が諸君のために、亡くなった友人のために祈っている。この祈りにこそ本当の力がある。神の導きのなかに安らぎがある」

 と訴えました。

 同じ日、ワシントンの地域教会協議会などが主催する、キリスト教徒ら800人が参列する追悼ミサで、李泰植・駐米韓国大使は、犠牲者を追悼し、悲しみを共有するための、在米韓国人による32日間のリレー断食を提案しました。

「事件を契機に韓国人社会が自省、懺悔し、アメリカ社会とふたたび融和する機会を作るべきである」

 という訴えを出席者たちは快く受け入れたと伝えられます。

 バージニア州のケイン知事は20日の金曜日を追悼の日とし、32人の犠牲者のために正午に黙祷を捧げることを呼びかけました。全米の教会が特別の礼拝を予定し、コネティカット州のレル知事(バージニア州生まれ)は犠牲者を偲んで、自由の鐘を32回、ならすことを決めました。金曜日を公式に追悼の日と定め、黙祷を呼びかけた州は、40近くにのぼりました。

 明日の日曜の夕刻には、「全国民のための教会」ワシントン・ナショナル・カテドラルで犠牲者に対する特別のミサが捧げられます。
http://www.cathedral.org/cathedral/worship/sunday.shtml#vatech

 日本の政教分離主義の本家本元で、厳格な政教分離政策が採用されていると一般には考えられているアメリカでは、明らかに政治と宗教との間に密接な関係があり、宗教的伝統が尊重されています。

 日本でもかつてはこのような公的慰霊が行われていました。関東大震災の翌年、東京府市および民間団体による震災記念事業では、震災発生時刻に神社や寺院、教会などが太鼓や鐘を、工場や船舶が汽笛を鳴らし、電車は停車、乗客は黙祷することが決められました。

 戦後も同様で、みずから被爆しながらも被災者の救護に当たった永井隆博士の公葬は昭和26年春、長崎市葬というかたちで浦上天主堂で行われ、当日は、教会やお寺の鐘のみならず、市内のサイレンや船の汽笛が鳴りひびき、市をあげて博士を見送ったのでした。

 日本国憲法が発布されて間もない、いまだ占領中に、このような公葬が行われていることは、立法者たちが想定する政教分離は絶対分離主義ではなく、アメリカ型の緩やかな分離主義であることの何よりの証明ですが、最近ではとみに、驚くべきことに宗教者までが、国家の無色中立性を要求しています。国立の追悼施設は無宗教でなければならない、というようにです。

 人間が宗教的、倫理的存在である限り、絶対分離などあり得ません。憲法を口実にした国家に対する非宗教性の要求は、じつは憲法とは別次元の理由に由来していると理解されます。

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ホワイトハウス恒例の復活祭 [政教分離]

以下は旧「斎藤吉久のブログ」(平成19年4月9日月曜日)からの転載です

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ホワイトハウス恒例の復活祭
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 昨日の日曜日は復活祭(イースター)でした。イエス・キリストが十字架に架けられたあと預言どおり復活したことを祝うキリスト教最大の祝祭です。

 日本ではほとんど報道されませんが、キリスト教信仰に基づいて建国されたアメリカでは、その建国の理念を確認する特別の日で、大統領は聖書のことばを引用して国民にメッセージを送り、ホワイトハウスでは恒例の記念行事「イースター・エッグ・ロール」がにぎやかに催されます。
 http://www.whitehouse.gov/easter/2007/index.html

 今年は今日9日の月曜日、全米から数万人の子供たちが招待され、南庭の芝生で音楽やゲームを楽しみます。ウサギ(イースター・バニー)や漫画のキャラクターの着ぐるみに抱きつき、記念写真におさまったり、スプーンを手に、カラフルに色づけしたゆで卵(イースター・エッグ)を芝生の上で転がす競争(エッグ・ロール)に大はしゃぎの子供たちもいます。教育長官ほか閣僚たちはベンチに腰を掛け、膝元に集まった親子連れにおとぎ話を読み聞かせます。

 アメリカの歴史はピルグリム・ファーザーズの新大陸移住に始まりますが、いまではユダヤ教徒が500万人いるし、さらにイスラム教徒が500万人、ほかに仏教徒やヒンズー教徒などがいます。もちろん先住民の存在も忘れるべきではありません。

 宗教的に多様なアメリカ社会において、大統領府で19世紀以来、イースター・エッグロールのようなキリスト教行事が催されている背後には、自国の宗教的伝統を尊重する国民共通の意識があるのでしょう。厳格な政教分離主義の本家本元と一般には考えられているアメリカの意外に知られていない現実です。

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仏像を文化財に指定した埼玉県教委の質疑 [政教分離]

以下は旧「斎藤吉久のブログ」(平成19年4月5日木曜日)からの転載です


 埼玉県にお住まいのメルマガの読者が、興味深い情報を教えてくださいました。文化財保護審議会の答申を受けて、仏像の文化財指定を審議した県の教育委員会で、宗教と教育に言及した質疑が行われたというのです。

 先月9日に開かれた県教育委員会の議事録には、次のような審議の様子が記録されています。
 http://www.pref.saitama.lg.jp/A20/BA00/gibunn/gijiroku1550.htm

 発端は委員長の何気ない思い出話でした。

委員長 いちばん最初にある、銅像誕生釈迦仏立像は、私が小学校のころ甘茶をかけたお寺様です。非常になつかしく、今度、文化財に指定されるということで、うれしく思います。これは余談ですが、そばに小学校があり、そこの子どもたち全員が4月8日に全員でそのお寺に行って、甘茶をいただき、甘茶をかけながら願いをかけました。

 教育委員長に代わって少し説明すると、文化財に指定されることになった仏像は、東松山市にある無量寿寺が所有する高さ約十センチの誕生釈迦仏で、平安期に作られた県内最古の誕生仏といわれます。

 お釈迦様が生まれたときに龍が飛来して香油を注いだ、という故事に基づいて、誕生日とされる陰暦4月8日の灌仏会(かんぶつえ、花祭り)には、花御堂(はなみどう)に誕生仏を安置し、甘茶をかけてお祝いする習わしがあります。稚児行列が行われ、参拝者には甘茶がふるまわれます。甘茶で習字をすれば上達するともいわれます。

 この日の委員会では、委員長の発言から少し経ったあと、1人の委員が質問しました。

委員 先ほどの甘茶をかけたという話ですが、小学校の時ですか。そこでお祈りをしたのですか。

委員長 そうです。

委員 これは今でもやっているのですか。

委員長 今はやっていないと思います。宗教の関係で難しいのではないでしょうか。

委員 せっかく良いものだということで指定しても、本来の機能を出せないというのは、不思議なものですね。

委員長 あとで私の母校に聞いてみたいと思います。とにかく、子どもたちは甘茶をもらえるということで、楽しみで楽しみでしょうがなかったのです。

委員 どこまで宗教、祈りの世界と教育が絡めるかということは、非常に大切な問題ではないかと私は思います。

委員長 子どもたちは宗教的な行事としてはとらえていなかったのではないかと思います。偉くなりたいとか、お金持ちになりたい、やさしい人になりたいというような、それぞれの願いを持って、順に甘茶をかけたのです。

委員 今でもやっているのか知りたいですね。

生涯学習文化財課主幹 学校単位でやっているという情報はありませんが、今でも、お釈迦様の誕生のお祭りとして、無量寿寺では4月29日にお祭りをやっていると聞いています。

 この議事録は委員長と県職員以外、発言者が特定できず、委員の発言も必ずしも意を尽くしていないので、はっきりとはいえませんが、どうやら複数の委員が発言し、その内容は、宗教的意味を有する仏像をせっかく文化財に指定しても、学校教育に活用できないのは残念だ、という意見と、いまでも学校単位で参加しているなら不都合だとする意見とがあるようにも見えます。

 灌仏会という仏教行事に用いられる仏像を文化財に指定することは、県にとってはあくまで仏像の文化的価値を認めたということであって、県が宗教活動を行うことではありません。しかし、灌仏会に参加する子供たちが、立派な人間になりたい、字がうまくなりたい、と祈ることはきわめて教育的な意味があります。

 灌仏会という宗教に由来する行事に公機関としての教育委員会はどこまで関わりを持てるのか、公教育が宗教の領域にどこまでなら立ち入ることが可能なのか、委員会の質疑は問いかけています。

 日本国憲法は20条3項で

「国およびその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」

 と定めています。他方、旧教育基本法は9条1項では

「宗教に関する寛容の態度および宗教の社会生活における地位は、教育上これを尊重しなければならない」

 としながらも、2項では

「国および地方公共団体が設置する学校は、特定の宗教のための宗教教育その他宗教的活動をしてはならない」

 と定め、公教育での宗教教育を禁止していました。

 法制度上は宗教に関する知識教育や情操教育までもが禁止されているわけではないという指摘もありますが、実際の教育の現場では戦後一貫して、事実として、宗教教育が全般的に禁止されてきました。

 戦前を振り返れば、日本政府は、今日の常識論的な歴史理解からすればじつに意外なことですが、世界の大勢にならって「国家は宗教に干渉せず」を基本姿勢として、今日以上の厳格な分離政策を布き、公立学校などでは宗教教育と宗教儀式が禁じられていました。

 したがって、たとえば、昭和3年に専門学校から全国に十数校しかなかった大学令による大学に昇格した上智大学は、カトリックのイエズス会による設立・運営ですが、宗教教育は行われず、学内には祭壇さえなかったのでした(「上智大学史資料集」)。その一方で、この教育委員長の発言にあるように、学校単位でお寺の行事に参加するケースもあったのでしょう。

 一方、世界に目を転ずれば、日本と同様に第二次大戦の敗戦国となったイタリアでは、戦後、王制が廃止され、カトリックは国教の座を失い、逆に「国家の世俗性」が憲法に定められるようになりましたが、日本とは異なり、公立学校で宗教に関する知識教育が行われています。

 昨年暮れに施行された新しい教育基本法は15条で、

「宗教に関する寛容の態度、宗教に関する一般的な教養および宗教の社会生活における地位は、教育上、尊重されなければならない」

「国および地方公共団体が設置する学校は、特定の宗教のための宗教教育その他宗教的活動をしてはならない」

 と定めています。旧法とは異なり、一般的教養の尊重をうたい、宗教に関する知識教育の道を開きましたが、具体的な議論はまだこれからです。

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