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共通する立脚点 ──もっと聞きたい、園部参与との丁々発止 7 [女性宮家創設論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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共通する立脚点
──もっと聞きたい、園部参与との丁々発止 7
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 私は運動家ではありませんが、やむにやまれぬという思いから、組織も資金もないなか、「御代替わり諸儀礼を『国の行事』に」キャンペーンを、1人で始めました。現状では悪しき先例が踏襲されるに違いありません。改善への一歩を踏み出すために、同憂の士を心から求めます。
https://www.change.org/p/%E6%94%BF%E5%BA%9C-%E5%AE%AE%E5%86%85%E5%BA%81-%E5%BE%A1%E4%BB%A3%E6%9B%BF%E3%82%8F%E3%82%8A%E8%AB%B8%E5%84%80%E7%A4%BC%E3%82%92-%E5%9B%BD%E3%81%AE%E8%A1%8C%E4%BA%8B-%E3%81%AB

 さて、以下、拙著『検証「女性宮家」論議──「1・5代」天皇論に取り憑かれた側近たちの謀叛』からの抜粋を続けます。一部に加筆修正があります。


第2章 有識者ヒアリングおよび「論点整理」を読む

第6節 もっと聞きたい、園部参与との丁々発止──提唱者を標的にしない八木秀次高崎経済大教授の反対論


▽7 共通する立脚点
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 つまり、2点目として指摘されるのは、八木教授の「女性宮家」反対論は、皇室の歴史と伝統を重視するようでいて、じつのところ、園部参与と同じ「御活動」なさる近代的天皇・皇室論の立場に立っているように見えることです。

 歴代天皇は「御活動」なさるのではなく、国と民のために無私なる祈りを捧げることを、第1のお務めとして継承してこられました。祭祀王こそが天皇の本義です。125代の歴史的天皇制度の視点からは、つねにみずから行動し、積極的に社会的活動をなさる天皇・皇室論は生まれてこないはずです。天皇・皇族がとくに社会的活動に励まれるようになったのは、すぐれて近代的な現象といえます。

 政府サイドの園部参与が、「御活動」なさる近代的天皇論の立場から、「女性宮家」創設にコミットするのは何の不思議もありませんが、歴史に前例のない女系継承容認=「女性宮家」創設に反対を唱えているはずの八木教授自身がヒアリングの意見発表で、「女性宮家」を創設しなくても、内親王・女王の称号の継続と予算措置によって、「皇室の御活動」をサポートしていただくようにすればよい、と結論していることには、違和感を覚えずにはいられません。

 天皇の歴史と伝統を重んずるという立場なら、「皇室の御活動を安定的に維持する」という「女性宮家」創設の目的論に、むしろ批判の矛先が向けられるべきなのに、八木教授は問題性をまったく感じないかのように、最初から「皇室の御活動」維持論に与(くみ)しています。

「御活動」なさる近代的天皇論の立場に立つのなら、立脚点は「女性宮家」創設論者と変わりません。論理の一貫性を欠くことになります。行動する近代的天皇論の立場に立つのなら、立脚点は「女性宮家」創設論者と変わらないことになるでしょう。

 近代以前の天皇は文字通りの祭祀王でしたが、近代の天皇は祭祀王の側面と欧米列強に対抗できる立憲君主としての側面を併せ持っていました。現行憲法下の天皇にも両面がありますが、民主党政権下で進められた「女性宮家」創設は、いずれをも否定した非宗教的な名目的君主制度への変質を促しているように見えます。同時並行的に宮中祭祀が改変されていることからも明らかです。

 これに対して、八木教授の反対論は十分な抵抗力を発揮し得ていないようです。

「右手に憲法、左手に広辞苑」

 というジャーナリスティックな指摘では足りません。

 3点目は、これに関連して、「女性宮家」創設の目的が、「皇室の御活動」維持論から、天皇の「御公務」論に、政府関係者によって、しばしば言い換えられていることです。政府が手をつけたいのは天皇の「御公務」を制度化し、その一環として「女性宮家」を創設するということなのでしょうか?

 以前にも申し上げたように、憲法は天皇の国事行為については規定しています。けれども、「御公務」と呼ばれる陛下の公的な御活動は憲法に規定がないどころか、憲法には「天皇は国事行為のみ行う」と明記されています。まして皇族方の「御活動」は法的に定められているわけではありません。

 それでいながら、既述したように、たとえば陛下御不例中の24年2、3月、臣籍出身で、歴史的には「みなし皇族」というお立場の皇后陛下に、政府・宮内庁は、海外に赴任する日本大使夫妻との「お茶」、離任する外国大使の「ご引見」を設定しています。

「お茶」や「ご引見」は本来、天皇陛下が皇后陛下を伴われてなさる「御公務」であって、両陛下が共同でなさる「御公務」ではないはずですが、宮内庁のHPでは「両陛下の御活動」とされています。

 つまり、「上御一人」の「御公務」が、八木教授が指摘するように、戦後の憲法と戦後の常識とに立脚して、実態面においてすでに、「男女平等」「一夫一婦制」天皇制度に変質しています。皇室という「王朝の支配」に対する挑戦ともいえます。

 それなら、皇室の基本法である皇室典範を改正し、歴史的に存在しない「女性宮家」なるものをも創設してまで、維持しなければならない「皇室の御活動」とは、具体的に何でしょうか?

 八木教授は、皇位継承論に目を奪われ、より重要な議論を避けているようにさえ、私には見えます。


以上、斎藤吉久『検証「女性宮家」論議』(iBooks)から抜粋。一部に加筆修正があります
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