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臨時職員が任命された大嘗祭の古例 ──平成の御代替わり「2つの不都合」 4 [御代替わり]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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臨時職員が任命された大嘗祭の古例
──平成の御代替わり「2つの不都合」 4
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 赤堀又次郎『御即位及び大嘗祭』(大正3年3月)は、大礼使官制を掲載したあと、古例について説明しています。
昭和の大嘗宮.png
 以下、これを全文引用します。(漢字を開くなど、適宜編集しています)

「古例、即位の礼は、臨時のことなれども、その儀式だいたい正月元日の恒例の朝賀と同じければ、とくに職員を任命せらるること少なく、大臣、叡旨を承りて、殿上に侍する侍従4人と少納言2人とを定め、その当日、門外のことは外弁1名、閤外(こうげ)大臣、門内のことは内弁1名閤内大臣これを掌り、百官の進退は典儀これを令し、賛者ありてこれをたすく。
 事務は式部省その他に掌る。これ中古のさまなり。
 近世は即位も大嘗祭も、摂政関白にてこれを総裁し、伝奏(てんそう)にて事務を統括し、行事官等をもって調度を備へしものの由なり。即位の礼に内弁典儀等をもって式場を整理せられしは、中古と同じかりしなり。
 大嘗祭は、臨時の儀式にして、かつその事務、即位よりもなほ繁雑なれば職員を任命せらるることも夥しかりき。
 中古には大納言、中納言のなかにて2人と、参議1人とを悠紀所、主基所の検校に補せらるるは大礼使長官の如く、四位五位のなかにて4人の行事をおかるるは事務官、典礼官等のごとし。
 その神事に親しく仕ふるものは、みな卜(うらなひ)をもって定められしは、今日と大いに事情の異なるところ、悠紀、主基の両国に重きをおかれしは費用支出の関係より起こりたるなり。
 しかして徳川時代、武人は、表面にはけっして大礼に関係なかりしものなり。その由は前の条に述べしがごとし」

 以上、赤堀によれば、歴史的にみると、即位の礼では特別の機関が置かれなかったが、大嘗祭では職員が臨時に採用されたようです。

 このような歴史に倣い、大正の御代替わりでは大礼使が置かれることになったということでしょうか。

 大正の大礼では、大礼使官制に基づき、大礼使総裁に貞愛親王殿下(伏見宮)が、長官には原敬が勅命されました。

 昭和の御代替わりも同様で、総裁には閑院宮載仁親王、長官は近衛文麿が就任し、ある書物によると、大礼使職員は総裁以下510人を数えたとのことですが、日本国憲法下で初めてとなる平成の御代替わりでは、大礼使は置かれませんでした。

 憲法と同格の法的地位にあった明治の皇室典範には「第11条 即位の礼および大嘗祭は京都において、これを行ふ」と定められていましたが、一法律に過ぎない戦後の皇室典範には「天皇が崩じたときは、大喪の礼を行う」と規定するのみで、大嘗祭への言及すらありません。

 そして職員はひたすら眠い目をこすり、長時間勤務に耐えつつ、御代替わりに携わることになったのです。

 東京・横網の都慰霊堂は、都の外郭団体によって管理され、関東大震災と東京大空襲の犠牲者を悼む春秋年2回の慰霊法要には、都の職員が多数協力しているようです。また、阪神淡路大震災の被災地・兵庫県では、県知事を会長とする県民会議が組織され、官民合同で「安全の日のつどい」などが行われています。

 前者は仏式の法要で、都内の5つの仏教寺院の持ち回りで行われています。皇族代表や都知事も焼香に訪れます。後者の追悼式典ではキリスト教音楽が奏でられ、一昨年の20式典は天皇陛下が皇后陛下を伴い、ご臨席になりました。

 だとしたら、即位の礼・大嘗祭を「国の行事」とし、官民を挙げてお祝いする現代的な方法が見出せないものでしょうか。

タグ:御代替わり
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近代化に伴う改革 ──支離滅裂な「論点整理」 3 [女性宮家創設論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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近代化に伴う改革
──支離滅裂な「論点整理」 3
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 私は運動家ではありませんが、やむにやまれぬという思いから、組織も資金もないなか、「御代替わり諸儀礼を『国の行事』に」キャンペーンを、1人で始めました。現状では悪しき先例が踏襲されるに違いありません。改善への一歩を踏み出すために、同憂の士を心から求めます。
https://www.change.org/p/%E6%94%BF%E5%BA%9C-%E5%AE%AE%E5%86%85%E5%BA%81-%E5%BE%A1%E4%BB%A3%E6%9B%BF%E3%82%8F%E3%82%8A%E8%AB%B8%E5%84%80%E7%A4%BC%E3%82%92-%E5%9B%BD%E3%81%AE%E8%A1%8C%E4%BA%8B-%E3%81%AB

 さて、以下、拙著『検証「女性宮家」論議──「1・5代」天皇論に取り憑かれた側近たちの謀叛』からの抜粋を続けます。一部に加筆修正があります。


第2章 有識者ヒアリングおよび「論点整理」を読む

第7節 支離滅裂な「論点整理」──変更された制度改革の目的意識


▽3 近代化に伴う改革
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 このような改革はなぜ起きたのでしょうか。

『皇室制度史料』は、明治19年の皇族叙勲内規制定に関する『明治天皇紀』の文章を引用しています。

「皇族叙勲のこと、従来、成法なし。欧州諸国にありては皇族の品秩おのずから備わり、生まれながらにしてその国最高勲位を帯ぶるものとす。しかれども本邦においてはまたおのずから皇族待遇の慣例あり。概して欧州の法にならうべからずといえども、外交、日に熾旺なるに際し、彼我の権衡を得しむることまた必要なりとす……」

 日本の皇位継承とヨーロッパの王位継承を比較すると、ともに世襲でありながら大きく異なるのは、父母の同等婚という原則の有無です。

 たとえばイギリスやスペインで女子の王位継承を可能にしているのは、父母がともに王族だからで、女系子孫に王位が継承されれば王朝が交替し、新たな父系の継承が始まります。

 しかし日本の天皇は父母の同等婚を要求しない代わりに父系の皇族性を厳格に求めてきたのです。万世一系という原則上、女系が認められるはずはないからです。

 別ないい方をすれば、日本では臣家の女子が皇太子妃や皇后となる可能性が大いにあります。近代の日本はその場合、欧米列強に伍していくために、たとえ臣家の出身であったとしても皇族待遇とした歴史に学んで、皇后や皇太子妃を皇族扱いとし、近代の皇室制度を整備したものと思われます。

 宮内庁のHPも同じですが、政府の「論点整理」は「天皇皇后両陛下の御活動」として、「国事行為など」「行幸啓」「外国御訪問」などを説明し、「宮中祭祀」までが「両陛下の御活動」とされています。伝統的概念からの逸脱はいうに及ばず、現行憲法にも違反する疑いがあります。

 すでに指摘したように、たとえば平成24年2月、今上陛下がご入院されたとき、「見なし皇族」であるはずの皇后陛下がお一人で、フィジーなどに赴任する日本大使夫妻と「お茶」に臨まれ、3月には離任するペルー大使を「ご引見」になりました。

 その延長線上に、皇族身分を失った女性皇族による「皇室の御活動」の「御分担」論が生まれているのでしょう。

 そして、「まとめ」では、こう結論づけられています。

「象徴天皇制度の下で、皇族数の減少にも一定の歯止めをかけ、皇室の御活動の維持を確かなものとするためには、女性皇族が一般男性と婚姻後も皇族の身分を保持しうることとする制度改正について検討を進めるべきであると考える」


以上、斎藤吉久『検証「女性宮家」論議』(iBooks)から抜粋。一部に加筆修正があります

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