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靖国の次は何? 中国権力闘争の道具 [靖国問題]

以下は旧「斎藤吉久のブログ」(平成19年1月26日金曜日)からの転載です


 今月上旬、中国の胡錦涛総書記と公明党の太田代表との会談で決まったかに見えた胡錦涛訪日が急転直下、困難との見方が伝えられています。理由は国内の権力闘争。対日重視派の胡錦涛と強硬派の江沢民との争いではなく、今度は胡錦涛と曾慶紅・国家副主席との権力闘争が白熱化し、訪日どころではないということのようです。
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 だとすると、例のあのことはどうなるのでしょう。つまり、いわゆる靖国問題です。

 胡錦涛政権の成立以来、胡錦涛と江沢民・前国家主席との間ではげしい権力争いが展開されてきたといわれます。政争の具として用いられてきたのが歴史問題、靖国問題で、江沢民派は小泉参拝をきびしく批判し、対日柔軟姿勢をとる胡錦涛政権を弱腰と攻め立てたのでした。

 ところが、意固地とも見える小泉首相のたび重なる参拝で反日強硬派は十分な政治的成果を上げることができず、逆に後退を余儀なくされたようです。

 一方、江沢民の権力基盤である上海市のトップ・陳良宇・市党委員会書記(政治局員)は汚職事件で失脚しました。現職政治局員の解任を決定づけたのは、以前は江沢民と右腕といわれた曾慶紅の裏切りとされますが、昨年5月に起きた胡錦涛暗殺未遂事件で江沢民はしっぽを捕まれたのだともいわれます

 そして舞台はめまぐるしく代わり、今度は、その曾慶紅と胡錦涛との権力闘争が日増しに激しさを増しているというのです。江沢民との闘争には勝利したとはいえ、先の衛星破壊実験を胡錦涛が知らなかったというのは、胡錦涛が国内を掌握し切れていないことを示します。

 曾慶紅は江沢民ゆずりの対日強硬派といわれます。まずは日中首脳外交をめぐる綱の引っ張り合いにはじまった権力抗争は、やがてまたもや歴史問題で火花を散らすことになるのか、それとも今度はべつの刃を手に互いに向き合うことになるのでしょうか。折りしも今年は日中国交正常化35周年、そして盧溝橋事件および南京「虐殺」70年です。

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「反日」江沢民に勝利した胡錦涛の靖国批判 ──友好ムードを演出しつつ、首相参拝に釘を刺す [靖国問題]


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「反日」江沢民に勝利した胡錦涛の靖国批判
──友好ムードを演出しつつ、首相参拝に釘を刺す
(「神社新報」平成19年1月23日号)
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 日本の将棋と中国の将棋(シャンチー)にはいくつかの際立った違いがあります。たとえば日本では相手から奪い取った駒を自分の駒として再利用できますが、中国にはこの「持ち駒」のルールはありません。取った駒は捨てられるだけ、活かして使うという発想はありません。

 ところが面白いことに中国の権力中枢では、相手の得意技を持ち駒にして切り返し、逆に相手を攻め立てるという丁々発止の政治闘争がしばしば見受けられます。

「やられたら、同じ手法でやり返せ」

 という中国流のケンカ殺法でしょうか。


▢ 胡錦涛の持ち駒


 二〇〇二年(平成十四年)の胡錦涛政権成立以来、胡錦涛ら対日重視派と江沢民(前国家主席)ら強硬派との間に激しい権力闘争が展開されてきました。政争の具として用いられてきたのが歴史問題、靖国問題で、強硬派は小泉参拝をきびしく批判し、対日柔軟姿勢をとる胡錦涛政権を弱腰と攻め立てたのでした。

 ところが、小泉首相のたび重なる靖国参拝で反日強硬派は十分な政治的成果を上げることができず、逆に後退を余儀なくされたのでしょう。昨年(平成18年)八月十五日の小泉参拝後、北京の日本大使館に押しかけた反日デモはわずか二十人。反日行動は当局によって完全に封じ込められています。

 一方で、江沢民の権力基盤である上海市のトップ、陳良宇(市党委員会書記、政治局員)は汚職事件で失脚しました。現職政治局員の解任を決定づけたのは江沢民の右腕・曾慶紅の寝返りで、いま上海では三十億円に上る不正蓄財を暴く暴露本が駅の売店などに平積みされていると伝えられます。追い落とし劇は熾烈を極めます。中央が直接指揮する捜査は続き、牙城を切り崩された江沢民は公の場に姿を見せていません。対日強硬派の失墜です。

 しかし靖国批判は止みません。政争の具は江沢民派から今度は胡錦涛派の手へと渡り、いわば持ち駒となったのです。

 胡錦涛は政権発足の当初、歴史問題を後景化させ、日本を政略的に重視する「新思考外交」を展開しました。首脳会談で靖国参拝に触れることもありませんでした。

 胡錦涛が直接、小泉参拝を批判するようになったのは、サッカー・アジア杯の反日暴動から三カ月後、平成十七年十一月の首脳会談が初めてでした。国内を治められなければ、足下をすくわれます。反日が国益にかなうはずはないのに、日本に毅然たる態度を取らなければ「軟弱外交」と批判されます。党・国家・軍の三権を掌握したものの政権基盤が依然として不安定な胡錦涛は靖国参拝批判を持ち出さざるを得なかったのです。

 しかし、いわば強硬派の批判をかわすためのアリバイ証明だった参拝批判は、いまでは逆に強硬派を攻め立て、完全排除する道具として機能しているようです。


▢ 政治的勝利宣言


 日本の政権交代と北朝鮮の「核実験」宣言を絶好の機会として、胡錦涛政権は昨年、安倍新首相の訪中を要請しました。靖国神社に五年間、参拝し続けた小泉前首相をこき下ろし、悪者に仕立て上げることで、雪解けムードを演出し、安倍首相は異例の厚遇で迎えられました。中断していた首脳会談の早期再開を望んでいたのは中国でした。

 首脳会談後の日中共同プレス発表には「戦略的」という言葉が何度も現れます。会談は胡錦涛新外交路線の完全復権ののろしといえます。

 安倍首相と胡錦涛が固い握手を交わしていたとき、北京では中央委員会第六回総会が開かれ、経済成長を第一とした江沢民時代から脱却する

「調和のとれた社会」

 を政策目標とするコミュニケを採択しました。

 しかし小泉時代の終わりと「反日」江沢民時代からの脱却が靖国問題の終焉とはならず、胡錦涛政権による靖国批判は続いています。

 先の首脳会談では、

「靖国神社に行くとも、行ったともいわない」

 という「あいまい戦術」をとる安倍首相に、胡錦涛は

「戦争被害者の人民の感情を傷つけるようなことを二度としないように」

 と参拝中止を間接的に要請しました。

 また昨年(平成18年)十二月には中国国営の新華社通信が発行する雑誌『環球』が日中の歴史問題をテーマとする王毅駐日大使の特別インタビューを掲載し、中国共産党機関紙の人民日報はネットでこれを翻訳し、転載しました。

──いわく、過去五年間、日本の指導者(小泉首相)がA級戦犯をまつる靖国神社参拝したことから日中関係はもっとも困難な局面に陥った。
 戦後の日中関係再建は、日本政府が侵略戦争を認め、その責任を負うことが基礎である。A級戦犯は日本軍国主義の象徴であり、その美化や肯定には同意できない。
 安倍首相の訪中は両国関係に希望の窓を押し開いた。
 日中双方は「歴史を鑑として未来に向かう」精神を堅持し、戦略的互恵関係構築の方向を明確化し、胡錦涛主席が打ち出した「平和共存、世々代々の友好、互恵協力、共同発展」の目標を実現することで合意した。
 政治的障害さえ克服すれば、両国は相互利益の展望を切り開くことができる──。

 あいまい戦術を奇貨とし、対日強硬派がなしえなかった首相参拝中止を表向きだけでも達成できれば、胡錦涛の外交的、内政的な勝利は確定します。政府と党のメディアはその政治的勝利を内外に宣伝したのです。


▢ 微笑外交のカゲで


 小泉内閣時代には首脳外交を拒否する強硬姿勢を続けてきた中国は、安倍政権発足後は一転して「ほほえみ外交」を展開しつつ、訪中した政府・与党関係者に首相の靖国参拝を牽制しています。年が改まり、今月、フィリピンで行われた首脳会談でも、温家宝首相は友好ムードの演出に努めましたが、

「両国関係の発展には困難が残っている」

 と釘を刺すことを忘れませんでした。

 相前後して開かれた自民党大会は運動方針に

「靖国神社参拝を受け継ぐ」

 と明記し、首相参拝への意欲を表明していますが、中国側は春には温家宝首相が、秋には胡錦涛主席が相次いで来日します。靖国神社の例大祭に時期に合わせ、友好を盛り立てるとともに靖国参拝を封じ込める狙いといわれます。

 他方、安倍首相は夏から秋にかけてふたたび訪中し、さらには九月の日中国交正常化三十五周年に合わせて、空前絶後の大訪問団を相互に派遣するとの報道もあります。

 今年は盧溝橋事件および南京「虐殺」から七十年。ある程度のガス抜きは認めるとしても、反日が火を噴いて、政権が脅かされるのを避けたい胡錦涛政権としては、お祭りムードの高まりで、不安要素を吹き飛ばしたいのでしょう。要するに、中国は靖国の神を恐れているということでしょうか。

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「東条が祀られているから参拝しない」 [靖国問題]

以下は旧「斎藤吉久のブログ」(平成18年12月20日水曜日)からの転載です

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「東条英機が祀られているかぎり、靖国神社に参拝しない」

 久間防衛庁長官が、イザベル・レイノルド記者のインタビューに答えて、そのように語ったというロイター通信配信の記事を、台湾のチャイナ・ポストやフィリピンのガルフ・タイムズ、アメリカのサンディエゴ・ユニオン・トリビュート紙などが掲載しています。

 記事によると、先の戦争にもっとも責任がある東条が祀られている神社で拝礼するのは私には困難だ。神社側に東条の名前をはずすよう求めたが、神社側は困難だといわれた、などと久間長官は語ったようです。

 もしこれが事実だとすれば、まったくの思い違いです。

 何度もこのブログで書いてきたように、靖国神社は戦争犯罪を神聖視しているわけでもないし、戦争犯罪人を神とあがめているわけでもありません。東京裁判の被告となったA級戦犯28人のうちの14人を祀っているのは、日本政府が14人の死を公務死と認めたからです。

 靖国神社は、国の非常時に、私を去って公に殉ずる精神を神と考えているのであって、東条という人間を神だと考えているわけでもありません。

 神社側が「東条の名前を外すのは困難」と答えたのは、靖国の神は一座の神であって、部分的に合祀を取り下げることなどできないからです。いったん神として祀ったものを、人間がどうして取り下げることができるでしょうか。たとえば霊璽簿の名前を抹消したところで何の意味も持たないでしょう。

 もし日本政府として合祀に問題があると考えるなら、講和条約発効後、世論の圧倒的な支持と国際社会の決定により、戦犯者が赦免・減刑された歴史を否定し、戦犯者の刑死・獄死を公務死と認めて遺家族を援護してきた日本政府の政策を否定しなくてはなりません。それがものごとの順序ではないでしょうか。

 殉国者を認定できるのは国以外にはありません。戦犯者の合祀は神社が勝手に行ったことではないのです。

 久間長官が靖国参拝に対する個人的違和感を表明していることにも問題があります。公人の参拝は個人の意思で行われるべきものではないからです。「東条が祀られているかぎり……」などいう発言は公人としてはまったく不適当です。
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A級戦犯はなぜ合祀されたのか [靖国問題]

以下は旧「斎藤吉久のブログ」(平成18年11月19日日曜日)からの転載です

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 報道によると、日本遺族会は、「遺族会の歴史を勉強しよう」という古賀誠会長(元自民党幹事長)の提案を受けて、「分祀」論を議論しないという前提で、遺族会と靖国神社との関係などについて、「勉強会」を開催し、検証していくことになったようです。

 また、古賀氏は自民党古賀派でも、靖国神社のあり方についての勉強会を設け、「合祀」問題を取り上げる方針を示しました。

「わだかまりなく参拝できる施設とはどういうものであるか、勉強することが大事だ。(A級戦犯が)どういう経緯で合祀されたか、ほとんど理解されていない。どういう靖国神社がふさわしいか、勉強を積み上げていきたい」

 と述べたと伝えられます。

 古賀氏としては本格的な論議を提起していきたい、という考えのようです。

 ご承知の通り、古賀氏は今年の春にも、遺族会会長という立場で、「分祀」を唱え、政策提言しました。中国、韓国との関係が悪化した現状を指摘したうえで、

「戦没者ではない一部の英霊を分祀することが検討の対象になる」

 と述べたと伝えられます。

 このとき本ブログでは、古賀氏が御尊父様を戦争で失った無念は察するにあまりありますが、その「分祀」論は間違っている、と批判しました。
http://web.mac.com/saito_sy/iWeb/SAITO%20Yoshihasa%20Website/Blog/06997C7F-E25F-11DA-899B-000A95D44250.html

 日本政府は戦争裁判の刑死を公務死と認め、だからこそ遺族援護が行われ、合祀も行われたことなど、4つの理由を、このときは挙げました。

 今回の勉強会の立ち上げは、春に提唱された「分祀」論をそのまま引き継いでいるものなのでしょうか。それとも古賀氏自身、「勉強を積み上げた」うえでのことなのでしょうか。

 いわゆるA級戦犯はなぜ、どのような経緯で、靖国神社に合祀されることになったのでしょうか。

 いま発売中の「正論」12月号に「知られざる『A級戦犯』合祀への道──朝日新聞記事から浮かび上がる七つの真実」と題する論攷を書きました。昭和27〜30年の朝日新聞の記事から戦犯合祀を検証しています。

 ──靖国神社の本殿には外界の喧噪とは隔絶した静寂があり、神気がみなぎっています。ここに神、いませり、と信じ、「国安かれ」と日本国民が日々、捧げてきた祈りの重みでしょうか。それとも、国家存亡の時にかけがえのない命を国に捧げた戦没者を、私を去って公に殉ずる精神を、神として祀ってきた歴史の重みでしょうか。

 殉国者を国家が慰霊・追悼するのは当然の責務であり、慰霊・追悼の中心的施設として歴史的に機能してきた靖国神社に国の代表者が表敬するのはこれまた当然のことでしょう。

 その靖国神社にいま誤解や曲解が集中しています。その最たるものは「A級戦犯の合祀」です。まるで神社が戦争犯罪を神聖化し、戦争犯罪人を神と崇めているかのようないいぶりですが、そのような事実はありません。

「侵略戦争の指導者を祀る神社に首相が参拝することは侵略を正当化し、戦争責任を曖昧にし、偏狭なナショナリズムを刺激する」

 というような議論も的外れです。祭神の合祀は特定の歴史観・戦争観に基づくものではないし、慰霊・追悼と歴史批判は次元が異なるからです。

 いわゆるA級戦犯の十四人が合祀されたのは、東京裁判で絞首刑になった七人、公判中に病死した二人、受刑中に死亡した五人の死を、日本政府が一般戦没者と同様に公務死と認めたからです。戦没者を認定できるのはむろん国以外にはありません。

 刑死した七人は「報復裁判」という批判のある判決を従容として受け入れ、死をもって「罪」を償い、そして死を免れた戦犯は日本政府の勧告、関係各国の決定で、恩讐を超えて赦免・減刑されました。どのようにして戦犯たちは赦免されたのか、なぜ戦犯が、そして刑死者が殉国者と認められるにいたったのか、試みに当時の朝日新聞の記事をめくり、その経緯をトレースすると、注目すべきいくつかの事柄が見えてきます。

 第一点は、戦犯の赦免・減刑の動きは、「敵を愛せ」というキリスト教精神に基づいてフィリピンで開始されたこと、

 第二点は、講和条約発効後、日弁連など民間団体が戦犯赦免の署名運動を展開し、それを受けて日本政府が勧告したのち、連合国側が減刑・保釈に動き出し、インドと台湾(国民政府)が欧米各国に先駆けてA級戦犯釈放を承認したこと、

 第三点は、「戦犯にも恩給を」という国民の強い要望から恩給法が改正され、刑死・獄死した戦犯を公務死と認め、扶助料が支給されるようになり、戦犯合祀の道が開かれたこと、

 第四点は、国民の要望を受けて、厚生省が沖縄・ひめゆり部隊を軍属と認定し、靖国神社に合祀されたことが戦犯刑死者や終戦時自決者の合祀に先鞭をつけたこと、

 第五点は、意外に壁が厚かったのはアメリカで、それでも終戦十年の昭和三十年にはA級戦犯釈放に踏み切ったこと、

 そして第六点は、最後まで難航したのがソ連と新中国で、ここでは戦犯らの洗脳教育が行われ、国交正常化交渉の駆け引きに政治利用されたこと、

 さらに第七点は、朝日新聞がいまでは考えられないほど、戦犯者たちに同情的であったことです。

 これらの事実を振り返るとき、

「侵略の過去と向き合うべきだ」

 と声高な主張とともに靖国批判、首相参拝批判が繰り返されていることがいかに見当違いか、が理解できるでしょう。戦犯は「罪」を償い、殉国者と認められたのです。神社が好き勝手に一般戦没者と戦時指導者を一緒くたに祭り上げたわけではありません。

 一方で、中国による戦犯の政治利用はいまなお一貫して続いています──。

 歴史を謙虚に学ぼうとする古賀氏の姿勢には心から共鳴します。靖国神社はどうあるべきなのか、を考えるためには、歴史を謙虚に学ぶことが出発点になるでしょう。

「正論」掲載の拙文のつづきは、本誌をお買い求めのうえお読みいただければありがたいです。
http://www.sankei.co.jp/seiron/

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殉職自衛官追悼式に参列した安倍首相 [靖国問題]

以下は旧「斎藤吉久のブログ」からの転載です

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殉職自衛官追悼式に参列した安倍首相
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 先月28日、防衛庁の慰霊碑地区(メモリアルゾーン)で自衛隊殉職自衛隊員の追悼式が行われました。安倍首相、久間防衛庁長官、遺族ら330人が参列し、安倍首相は「尊い犠牲を無にすることなく、遺志を受け継ぎ、新たな脅威に対処するため全力を尽くす」と追悼の辞を述べ、献花した、と伝えられています。

 防衛庁の資料によると、今年度の追悼式の「顕彰者数」は12柱。高速走行の訓練中に大型トラックに追突され、死亡した2人など、訓練中の殉職者が対象となり、名簿が碑前に安置され、「捧げ銃」「拝礼」「黙祷」が捧げられたようです。

 ご存じのように、いま防衛庁がある市ヶ谷台は、明治以来、陸軍士官学校があり、昭和になって陸軍省・参謀本部が置かれました。戦後、昭和34年に米軍から返還されたあと、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地として使われ、防衛庁が六本木から移転してきたのは6年前です。

 慰霊碑地区の中心をなしていたのは、以前は雄健神社で、陸軍士官学校出身の戦没者がまつられていました。戦争中に御霊(みたま)は遷され、戦後、昭和31年には靖国神社で昇神祭が行われたようです。いまも榊と水が供えられていますが、正確にいえば雄健神社跡ということになります。

 警察予備隊設立以来の殉職者を対象とする追悼式典は昭和32年以来、庁内の講堂などで行われ、式典後、慰霊碑に参詣するのが恒例だったとされています。歴代首相の出席は32年に岸首相が参列したあとは、37年に池田首相、63年に竹下首相と断続的でしたが、平成7年の村山首相以降は毎年、首相が参列しています。

 「慰霊碑地区」整備の検討が始まったのは森政権時代で、その結果、戦没者をまつっていた雄健神社の社殿は大きく移動され、殉職者をまつる慰霊碑を中心とするメモリアル・ゾーンができあがり、平成15年10月、追悼式典が大々的に行われるようになり、小泉首相、石破長官、遺族ら300人が参列した、と伝えられています。

 職務に殉じた自衛官を慰霊・追悼することは当然ですが、この追悼式は殉職者慰霊からの逸脱が当初から指摘されてきました。

 たとえば、メモリアル・ゾーンはあくまで平時の事故などによる殉職自衛官が対象のはずですが、式典に参列した石破長官は、アメリカの戦没者が眠るアーリントン墓地に言及し、「諸外国に引けを取らない立派な追悼の場を有するに至った」と挨拶しています。

 このため、あたかも戦時の殉国者の慰霊施設であるかのような誤解を内外に呼び、要人が立ち寄れる恒久施設へと制度化されることに危惧の念が表明されてきたのです。

 事実、15年11月にはアメリカのラムズフェルド国防長官が、16年2月には東チモールのグスマン大統領が慰霊碑に献花するなど、海外の要人の表敬がしばしば見受けられます。

 この一方で、あくまで明治以来、国家の非常時に命を捧げた戦没者に対する慰霊・追悼施設として歴史的に機能してきたはずの靖国神社は、首相の表敬参拝さえ批判を浴びています。理不尽というほかはありません。
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マスコミがミスリードする靖国問題 [靖国問題]

以下は旧「斎藤吉久のブログ」からの転載です

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 先週、靖国神社では秋の例大祭が行われました。

 その初日の夜、中国共産党の王家瑞対外連絡部長は、民主党の小沢代表と会談し、安倍首相の靖国参拝について、「強く反対することに変わりはない」「原理原則をつらぬく」「参拝を続けるなら、重大な問題となる」と語った、と日本の新聞が伝えています。

 記事はきわめて断定的ですが、どんな取材をもとにそのような断定をしているのでしょう。まさか記者が同席したはずはありません。

 王家瑞氏は日中与党交流協議会に出席するために来日しました。共同通信の報道によれば、16日に始まった協議会の席上、王家瑞氏は先の首脳会談で日中首脳が「戦略的互恵関係」で合意したことをふまえ、「歴史認識問題を外交圧力にかけるカードには使わない」言明しています。公明新聞は「中日関係は歴史的な転換点にある。歴史の強調は恨み続けるためでも、歴史カードでもない」と強調したと伝えています。

 となると、新聞報道がすべて正しいとすれば、王家瑞氏は、いわゆる歴史問題について、与党と野党で二枚舌を使ったことになりませんか。いくらなんでも、そんな事実はないでしょう。小沢代表との会談での「発言」は、野党の政治戦術によるリークであって、それに乗った日本のマスコミのミスリードなのではありませんか。

 先般のブログでも申し上げましたように、対日重視派と強硬派との権力闘争の終息化とともに、中国問題としての靖国問題は急速に後景化しつつあります。何の意図があって、二枚舌を用い、問題をぶり返すような発言を王家瑞氏がしなければならないのでしょうか。

 こうした記事を書く記者は、一枚岩の中国が靖国問題にこぞって反対している、という先入観からいつまでも抜け出せず、胡錦涛政権発足後、中国の対日重視派と強硬派とが靖国参拝を政争の具として熾烈極まる政争を展開しているという大状況が見えないでいるのではありませんか。

 小泉首相と胡錦涛主席の首脳会談が最初に行われたのは平成14年5月で、小泉首相の靖国神社参拝の4カ月後でしたが、胡錦涛主席は、日本のマスコミの予想を裏切り、靖国参拝に触れることもなく、日中関係を戦略的に重視する「新外交」路線を表明したのですが、日本の報道は相変わらず相互訪問が断絶している「異常さ」にばかり注目しました。

 一昨年の全人代でも、温家宝首相は記者会見で「中国首相、靖国参拝を強く批判」したなどと伝えられていますが、その実態は、温家宝首相がみずから小泉参拝を批判したのではなくて、日本人記者の質問に答えたにすぎません。日本のマスコミが批判をあおっているという図式です。

 かつてないほどに両国関係が緊密ないま、「反日」が一文の得になるはずもなく、胡錦涛政権が「反日」江沢民時代の負の遺産を清算し、両国関係の改善に進むのは当然です。そうした中国側のサインが理解できず、逆に足を引っ張ってきたのが日本の報道ではなかったでしょうか。

 胡錦涛政権の新外交路線は、強硬派の攻撃によって1年足らずで挫折しますが、日本のマスコミは結果として強硬派を援護射撃しています。じつに愚かです。

 ミスリードは続いています。先週の例大祭に関しても、新聞各紙は、例大祭に集団で参拝する国会議員の数を大きな写真入りで伝えていますが、何を目的としているのでしょうか。

 イギリスでは11月の戦没者追悼記念日に政府主催の式典が行われ、国王、政府関係者、退役軍人が参列し、宗教儀式が行われます。韓国では6月の顕忠の日に首相直属の機関が主催して、国を挙げて戦没者を追悼します。

 ところが、日本では国民的追悼施設として歴史的に認められてきた靖国神社に首相が参拝することすら、問題視されています。

 ジャーナリズムが問題提起すべきなのはむしろ、戦後60年、靖国神社の慰霊・追悼に国家が主体的に関われなかったことではないのでしょうか。先週の例大祭に参列した国会議員は見当たりません。

 朝日新聞は、例大祭のあいさつで、南部宮司が富田メモについて触れ、「信憑性の確立していないなか、一方的に昭和天皇のお言葉と断定し、政治利用する意図的な報道で残念」と述べたと伝え、A級戦犯「分祀」論についても「見当違いの空論」と述べている、と批判的です。

 公正な批判は歓迎すべきですが、これは一方的です。

 いわゆるA級戦犯の合祀は、平和条約発効後、世論の支持を受け、日本政府が東京裁判の刑死者などを一般戦死者と同様に戦没者と認めたことが発端です。一座の神として合わせ祀られているものを「分祀」できるはずもありません。

 また、富田メモの報道には「天皇の心」に関する致命的な誤解がありませんか。いわゆる大御心(おおみこころ)とは天皇個人の「私の心」ではなく、時間を超えて、「国平らかに、民安かれ」とひたすら祈られる天皇の御心にほかならないでしょう。天皇統治は統治者個人の心を聖なるものと絶対視する個人崇拝とは異なるのではありませんか。

 メモ報道で日本新聞協会賞を受賞した日経新聞は、16日の日曜、紙面を大きく割いて、受賞について伝えていますが、その中で注目されるのが富田未亡人の談話です。元宮内庁長官の人柄について、夫人は「人に話させるのはうまかった。陛下がいろいろお話になったのも、富田の資質ゆえかも知れません」と語っています。

 聞き上手の富田氏は、晩年の昭和天皇の話し相手になり、ふつうはお話にならない個人的思い出話を聞き出した、ということはあり得るのでしょう。けれども、お好きな力士の名前さえお話にならなかった昭和天皇に「本音」を語らせた元警察官僚の能力は非凡ではあるにしても、それはあくまで一瞬の個人的感慨に過ぎません。

 真の藩塀ならば、お話をメモに記録より、むしろ「陛下のお言葉とも思えません」とお諫めすべきでしょうが、そのようなことを警察官僚に期待するのは酷というものでしょう。協会賞受賞を誇る新聞人もまた同様でしょうか。
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後景化する中国問題としての靖国問題 [靖国問題]

以下は旧「斎藤吉久のブログ」からの転載です

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 中国問題としての靖国問題が後景化しつつあります。

 昨日、都内で始まった自民党と公明党、および中国共産党による日中与党交流協議会で、中国共産党の王家瑞対外連絡部長は、いわゆる靖国問題について、「外交圧力をかけるカードには使わない。(提起は)恨みの継続のためではない」と言明し、先般の首脳会談合意を踏まえて、政党間交流を深めていくことで一致した、と伝えられます。

 3年前、「反日」の権化とも云うべき江沢民に代わって国家主席に就任した胡錦涛は歴史問題を後景化させ、対日改善を呼びかける「新思考外交」を展開しました。ロシアのサンクトペテルブルクで実現した最初の小泉・胡錦涛会談で、胡錦涛は靖国問題に触れることすらありませんでした。中国ウオッチャーは「首脳会談の主役であった歴史問題がその座を降りた瞬間」と表現したほどです。

 けれども、新外交は1年足らずで挫折しました。対日強硬派の攻撃を浴びた末のことでした。

 中国の権力中枢では、胡錦涛の対日重視派と江沢民の強硬派との間で熾烈な権力闘争が展開されていることが分かってきました。政争の具に使われてきたのが歴史問題であり、それがまさに中国問題としての靖国問題の核心でした。

 けれども、小泉首相の靖国神社参拝を猛烈に批判し、小泉政権および胡錦涛政権を追い詰めてきたつもりの江沢民派は、意固地ともいえる小泉首相の度重なる参拝で十分な政治的成果を上げ得ず、かえって後退を余儀なくされたのでしょう。

 今年8月15日の参拝の際、いつものように内外の批判がわき上がりましたが、北京の日本大使館に押しかけたデモ隊はわずか20人で、反日行動は完全に当局によって封じ込められていました。

 しかもその折も折、江沢民派で政治局ナンバー4の賈慶林・政治局常務委員の失脚さえ伝えられました。そればかりではありません。先月末には江沢民の権力基盤である上海市のトップ、陳良宇・上海市党委員会書記が解任されました。

 胡錦涛が江沢民派を排除し、いよいよ権力基盤を強化しつつあるとき、温家宝首相による招待というかたちで安倍・胡錦涛会談はセットされ、安倍首相は異例の厚遇で迎えられました。

 会談後の日中共同プレス発表には「戦略的」という表現が頻出しています。「両国関係は双方にとってもっとも重要な2国間関係になった」と述べ、日本を重視する戦略的な両国関係を築こうとする新方針を表明した胡錦涛政権樹立当初を否が応でも想起させます。

 安倍首相と胡錦涛が固い握手を交わしていたとき、北京では六中総会が開かれていました。六中総会は地域間格差の是正などを目指す「調和のとれた社会」づくりを強調するコミュニケを採択し、閉幕しましたが、「調和社会」の政策目標こそは江沢民時代からの脱却にほかなりません。

 江沢民派との権力抗争の終わりは、中国問題としての靖国問題の後景化を意味します。

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森永さん、あなたもですか [靖国問題]

以下は旧「斎藤吉久のブログ」からの転載です

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「年収300万円時代を生き抜く経済学」で知られる経済アナリストの森永卓郎さんが、先般の小泉首相の靖国参拝を「暴挙だ」と批判しています。
 http://www.nikkeibp.co.jp/sj/column/o/47/index.html

 批判の第一点は、総理大臣としての靖国参拝が憲法に抵触するおそれがある、と指摘されているにもかかわらず、「心の問題」として内閣総理大臣として参拝した。公人中の公人が突然、「人間小泉」に変身してしまうのはおかしい、という指摘です。

 第二点はA級戦犯合祀の問題です。小泉首相はA級戦犯を戦争犯罪人と認めているのに、参拝についてはA級戦犯のために参拝しているのではない、と語っている。矛盾している、というのです。

 第三点は、なぜ8月15日に参拝したのか。中国、韓国が反発し、首脳会談も開かれない状況になっているのに、「自分は友好論者だ」とうそぶき、中韓が悪いと主張しているのは詭弁だ、と批判しています。

 引用はこれぐらいでやめましょう。さて、どこがおかしいのでしょうか。

 第一点目です。国に命を捧げた戦没者に国の代表者が表敬するのは当然のことでしょう。この場合、首相に要請されるのは表敬であり、信仰ではありません。まして靖国信仰の布教ではありません。政教分離原則に違反することはありません。

 ただし、首相といえども、公人といえども、一個の人間に変わりはありませんから、靖国神社にたいして個人としていかなる宗教的感慨をいだこうとも自由です。ちなみに大平首相は熱心なクリスチャンでしたが、表敬参拝しています。

 政教分離原則を厳格に考える森永さんの立場に立つなら、仏式で行われている東京都慰霊堂の慰霊法要はどう理解されるのですか。先日、慰霊堂では秋の慰霊法要があり、副知事が参列し、弔辞を読み上げ、焼香しています。導師を務める僧侶がお題目の唱和を会衆に呼びかけることもあります。

 第二点目、靖国神社は戦争犯罪を神聖視し、A級戦犯を神とあがめているのではありません。もしA級戦犯を神聖視しているのなら、28人全員を合祀しなければなりませんが、靖国神社は刑死した7人と公判中に病死した2人、受刑中に死亡した5人を合祀しているだけです。それは国民の強い要望を受けて、日本政府が刑死・獄死を公務死と認めたからこそ、一般戦没者と同様に合祀されることとなったのです。

 もとより慰霊・追悼と歴史批判とは次元が異なります。自分の親が大泥棒だからといって葬式をしない子供がどこにいるでしょうか。まず慰霊を丁重に行うこと、そのうえで歴史批判を存分に行うというのが順序ではないでしょうか。

 第三点目、中国、韓国が首相参拝に反発している、というのですが、その反発の本質がなんなのか、森永氏はどうお考えなのでしょうか。最近では靖国批判を道具に用いて、中国国内ですさまじい権力闘争が展開されていることが分かってきました。森永氏のエッセイはそのことには触れていません。

 しかも中韓の反発といいますが、今回の参拝のあと、北京の日本大使館にやってきたデモ隊はわずか20人でした。胡錦涛政府は反日行動を完全に封じ込めているのです。なぜなのか、森永さんはお考えになったことがおありでしょうか。

 森永さんは最後のまとめとして、国立施設の建設に賛成だ、とおっしゃいます。小さくても、だれでもお詣りに行ける施設があればいい、とお考えのようです。

 しかし興味深いのは、追悼施設をつくっても参拝者は少ないだろう。首相だけはしつこくお詣りし、海外の要人も招くようにすれば、そのうち人が集まるようになる、という予測です。

 要するに慰霊を目的とする無宗教の宗教的施設を国家が建設し、首相がその伝道師になる、ということでしょうか。それは森永さんが冒頭におっしゃったところの政教分離原則に違反しないのでしょうか。自己矛盾ではないのですか。

 だれでもお詣りできるように、といいつつ、だれもお詣りにこないような施設をなぜつくらなければならないのか、私には理解できません。

 歴史を振り返れば、招魂社時代の靖国神社には神職もおらず、参詣者もまばらで、そのため神社として整備され、参拝者が増えたといいます。国家的慰霊の中心施設して機能してきた靖国神社をさしおいて、なぜ閑古鳥の鳴く施設を新設するのですか。そのことによって戦没者の魂は慰められるのでしょうか。
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靖国問題で胡錦涛派が強硬派に勝利? [靖国問題]

以下は旧「斎藤吉久のブログ」からの転載です

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 ここ数日はじつに憂鬱でした。小泉首相の靖国神社参拝に抗議する耳をふさぎたくなるほどの批判。静謐な慰霊の日であるべき終戦記念日に政治的な喧噪はふさわしくありません。

 国に一命を捧げた戦没者を国が慰霊・追悼するのは当然のことであり、慰霊・追悼の中心施設として歴史的に機能してきた靖国神社に一国の首相が国を代表して表敬するのはこれまた当然のことではありませんか。

 中国、韓国は首相の参拝につよく抗議しましたが、たとえば中国の批判は的はずれです。

 中国外務省の抗議は、「A級戦犯が祀られている靖国神社」「日本軍国主義侵略戦争の被害国人民」「日本軍国主義が引き起こし、実施した対外侵略」などとし、小泉参拝が「国際正義に対する挑発」「人類の良識を踏みにじる」と言いたい放題です。

 過去の歴史をどう解釈するかは自由ですが、事実を曲げるべきではありません。中国外務省は何をもって「日本軍国主義」というのでしょうか。日本が一方的に侵略戦争を計画し、実行したとはいえないでしょう。みずからをもっぱら「被害者」とおく解釈も正確でしょうか。靖国神社に関する理解も間違っています。靖国神社はA級戦犯を神として祀り、侵略者をあがめているというのではありません。

 声ばかりが大きい、トンチンカンな抗議に対して、宮本中国大使が李肇星外相に直接、「見当違い」とつよく反論したのは立派です。 

 参拝に反発するデモも、公安当局の許可を得、参加人数や抗議文の事前検閲を受けた上での小規模なものでした。北京の日本大使館前でのデモはわずか20人だったといいます。反日行動は完全に封じ込められているようです。

 注目したいのは、こんなときかならず現れる「反日」の権化ともいうべき江沢民、そして唐家璇のカゲがないことです。それどころかこのさなかに江沢民派で政治局ナンバー4の賈慶林が失脚し、かわって胡錦涛派・王兆国の就任がいわれています。

 以前から申し上げてきたように、中国の権力中枢では、胡錦涛の対日重視派と江沢民の強硬派との間で熾烈な闘争が展開されてきました。その政争の具に使われてきたのが、日本の慰霊・追悼の聖地である靖国神社なのです。

 日本のマスコミは相変わらずワンパターンの報道が圧倒的ですが、小泉参拝で日本を、そして胡錦涛派を追いつめてきたつもりの中国・対日強硬派が、意固地ともいえる首相の年1回の参拝で十分な政治的成果をあげ得ず、かえって影響力の低下をまねいている、ということなのではありませんか。

 もちろん胡錦涛派も首相参拝反対を叫んでいたことには変わりはありませんが、対日強硬派から「軟弱外交」の批判を受けないためのパフォーマンスでしょう。それは反日デモを徹底して封じ込めていることから明らかです。これほど両国関係が深まっているのに、「反日」に何の意味があるでしょう。表向きは参拝を批判する中国・胡錦涛政権と批判をものともせずに参拝する小泉首相との間に、高度な連携関係が成り立っていたといえるのかもしれません。

 中国に求められているのは、不毛な権力闘争を清算し、国民重視の民主政治を回復することではないでしょうか。

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慰霊・追悼の場に政治を持ち込まないで [靖国問題]

以下は旧「斎藤吉久のブログ」からの転載です

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 韓国、台湾の戦争犠牲者の遺族だという人たちが11日から終戦記念日の15日まで連日、ロウソクを手に、東京都心をデモ行進している。

 小泉参拝を違憲だとして訴訟を起こしている日本人たちが、家族の合祀取り下げを求める韓国・台湾の遺族・支援者、約200人を招いたものらしい。

 東京新聞によると、韓国の国会議員・金希宣氏は「生きている間は強制徴用され、死んでからは魂を靖国に縛り付けられている」と語り、韓国人戦死者の合祀取り下げを訴えたという。

 どこかで聞いた名前だなと思ったら、この議員、2年前、日本統治時代の対日協力者を糾弾する、いわゆる「親日派特別法」を韓国国会で成立させたときの中心人物ではなかったか。

 1943年生まれのキリスト者、どうやら北朝鮮にも近い、筋金入りのウリ党の女性議員である。祖父は独立軍の将軍で、父親は秘密青年党員という抗日独立闘士の家系に生まれ育ち、若くして女性運動、民主化闘争に身を投じ、逮捕・投獄の経験も少なくない。著書の中で平壌を「故郷」と呼んでいるくらいで、「北朝鮮の統一戦線工作に載せられている」と指摘する研究者もいる。

 面白いのは、2年前、この議員の父親がじつは抗日戦士などではなく、満州警察の特務員だった、とある雑誌が報道したことである。独立運動家の娘だというのがまったくのデタラメだと指摘されたものだから、一時は表舞台から去っていたらしい。

 そんな背景を知ってか知らずか、東京新聞はそのコメントを載せているのだが、コメントの内容がまた乱暴きわまりない。

 1919年の「3.1」反日独立運動の闘士たちが、日中戦争勃発後は一変して日本の戦争政策に協力したことは知られている。24万もの朝鮮人青年が志願兵として戦い、うち2万名が落命し、靖国神社に祀られている。

 彼らは強制徴用ではないし、彼らこそ日本の戦友である。民族の違いを超えて靖国神社に祀られているのは、最高の敬意を表するからであり、「魂を靖国に縛り付けている」のではない。

 一方、中国国際放送局(CRI)はさっそくこのデモを、台湾に焦点を当てて、伝えている。いわく「台湾の先住民が日本の植民地時代に残虐行為を受けた人々の写真を手にし、合祀取り消しと小泉参拝反対スローガンを叫びました」。

 なぜこうも中国は政治的なのだろうか。日本の植民地時代にさまざまな不祥事はあっただろうが、残虐行為が歴史の本質であるかのような見方は正確ではないだろう。蒋介石政権が台湾にやってきたあとの血なまぐさい事件が起きたことはよく知られている。

 植民地支配が悪だと単純化することも図式的すぎるだろう。中国大陸では五千年の歴史の中でいくたび異民族の侵入があり、異民族による支配が行われたことか。残虐行為が悪だというなら、まず隗より始めよ、であって、文化大革命の惨劇をこそ正視すべきではなかろうか。

 靖国神社は静謐なる慰霊・追悼の祭場である。なぜそこに醜い権力政治を持ち込もうとするのだろうか。 

 明日は終戦記念日である。
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