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全体が見渡せない ──依命通牒の「廃棄」をご存じない? 1 [女性宮家創設論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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全体が見渡せない
──依命通牒の「廃棄」をご存じない? 1
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 拙著『検証「女性宮家」論議──「1・5代」天皇論に取り憑かれた側近たちの謀叛』からの抜粋を続けます。一部に加筆修正があります。


第4章 百地章日大教授の拙文批判に答える

第2節 依命通牒の「廃棄」をご存じない?


 2月11日は建国記念の日ですが、一般全国紙には、少なくとも電子版では、関連記事がほとんど見当たりません。
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 しかし平成25年の同日づけ産経新聞は、きわめて異色なことに、じつに「主張」(社説)で取り上げ、政府主催の式典開催を求めています。

 戦前の紀元節は国民の一致団結を呼びかける意味があったが、敗戦後、GHQによって廃止された。昭和42年に「建国記念の日」として復活したが、市民活動家らはいまも「国家主義の復活」などと訴えている。理解に苦しむ。いまこそ建国の歴史を学び、誇りを取り戻すときだ、というのです。

 訴えたいことはきわめてよく理解できますが、なぜ占領軍は紀元節を廃止することになったのか、もっとも重要な、その視点が欠けています。

 戦前が悪で、戦後が善だという単純な歴史論が成り立たないように、その逆も同様に成り立ち得ないと思います。

 昭和20年暮れにいわゆる神道指令が発せられました。「国家神道」の中心施設とされた靖国神社の爆破計画さえありました。日本語のローマ字化も考えられました。「国家神道」の教義とされる教育勅語は廃止され、文部省がまとめた『国体の本義』は焚書となりました。歌舞伎の忠臣蔵も上演できなくなりました。日本の戦争は「侵略」とされました。

 なぜなのか、アメリカが考えていた「国家神道」とは何だったのか、が解明されなければなりません。

 アカデミズムもジャーナリズムも歴史的事実の追究が十分とはいえません。保守派も左派も同様です。学問的な研究が浅く、目の前の現象ばかりを追いかけ、観念的な政治運動が幅を利かせることになり、一方、マスメディアは政治的に黙殺しています。

 その点、産経新聞が果敢に取り上げていることは敬意に値しますが、お寒い社会的現実を考えれば、産経が「主張」する政府主催の式典開催は国を一致させるどころか、分裂を招きかねません。

「国民の一致団結」は重要です。「誇り」も必要です。しかしそのためには、まず学問研究の深化・発展が不可欠ではないでしょうか?


▽1 全体が見渡せない


 さて、「建国記念の日」を話題にしたのには、理由があります。

 前節から、なぜ百地章先生が激怒したのか、を考えていますが、「建国記念の日」と同じことがいえると思います。

 高校時代、幾何学の得意な同級生がいました。冴えない風貌で、いつもは目立たないのですが、難問に立ち往生する私たち凡才たちを尻目に、彼が一本の補助線を引くと、教室にどよめきが走りました。天才だと私は思いました。

 たった1本の補助線で問題の核心が瞬時に明らかになる、というのは数学の世界だけではありません。

 私が月刊「正論」の連載で恩義ある3人の先生を取り上げ、あえて批判したのは、いわゆる「女性宮家」論議の混乱ぶりを憂え、解決への方向性を著名な先生たちの研究者としての良心に期待したからです。

 けれども、私の意図は完全に裏切られました。百地先生はすさまじい剣幕で、私を「粗雑な頭脳」と罵っています。

 なぜ先生は逆ギレしたのか、を解明する補助線は、前にも書いたように、そして先生自身がカミング・アウトしているように、「闘い」の人だということです。学問研究より、政治運動が優先されているということでしょう。

 格闘技では、リングに現れた目の前の敵を倒すことが、レスラーにとっての王者の印です。しかし相撲の世界でいえば、平幕の力士ならいざ知らず、横綱ともなれば、目の前の敵と戦うことより、相撲道を志し、角界全体の発展を考えるようになります。

 百地先生の逆上は完全な読み違い、思い違いによるものだ、と私は確信しますが、その原因は、連載全体を読まずに第2回しか読まない、民主党政権下での皇室制度改革が「女性宮家」創設問題としてしか理解できない、つまり問題の全体ではなく、目前の敵しか見ない、目に映らない、という政治運動家的な性向に由来するのではないでしょうか?

 いままではそれで済んでいたのでしょう。いみじくも先生は「闘い」の成果を勝ち誇っています。

 成功体験があればなおのこと、私が訴えたような戦後皇室行政史の全体を見渡すことなど、もしかすると先生には思い浮かばないのかもしれません。

 依命通牒に関する先生の反応には、そのことが余すところなく示されているように、私には見えます。


以上、斎藤吉久『検証「女性宮家」論議』(iBooks)から抜粋。一部に加筆修正があります


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