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「依命通牒」と「女性宮家」は無関係か? ──依命通牒の「廃棄」をご存じない? 2 [女性宮家創設論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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「依命通牒」と「女性宮家」は無関係か?
──依命通牒の「廃棄」をご存じない? 2
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 拙著『検証「女性宮家」論議──「1・5代」天皇論に取り憑かれた側近たちの謀叛』からの抜粋を続けます。一部に加筆修正があります。


第4章 百地章日大教授の拙文批判に答える

第2節 依命通牒の「廃棄」をご存じない?


▽2 「依命通牒」と「女性宮家」は無関係か?

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 百地先生はこう書いています。

「氏によれば、『依命通牒の廃棄』(?)という事実を知らなければ、女性宮家問題の本質は分からない、ということらしい。しかし、『依命通牒』と『女性宮家』とは無関係である」

 私の連載は、戦後の皇室関係行政史全体の流れを追い、「女性宮家」創設論誕生の経緯を追っています。つまり、ポイントはこうです。

(1)昭和22年5月の日本国憲法施行に伴い、皇室祭祀令など皇室令が廃止されたものの、同時に宮内府長官官房文書課長の「従前の例に準じて」とする依命通牒第3項によって、天皇の祭祀の伝統は辛うじて守られた。

(2)しかし40年代以降、皇室の伝統より憲法を優先する考えが行政全体に蔓延し、宮中祭祀の伝統が無原則に破壊されていった。

(3)一大転換をもたらしたのは、50年8月15日の長官室会議であり、依命通牒第3項の「破棄」であった。

(4)宮中行事の明文的根拠が失われたことで、御代替わりの諸行事は大きな影響を受けた。

(5)125代続く皇室の伝統を二の次にする考えは、女性天皇・女系継承を容認する皇室典範改正へと引き継がれ、女性天皇容認と一体のかたちで「女性宮家」創設論は生まれた。

 戦後の官僚たちは、憲法の規定、とりわけ政教分離の厳格主義を金科玉条とし、祭祀王としての天皇を否定し、祭祀を簡略化し、天皇を名目上の国家機関である「象徴」とする道を求めてきた。その中に「女性宮家」創設は位置づけることができるし、依命通牒の「廃棄」こそ、皇室行政史上の画期です。

 百地先生はなんでも断定することがお好きなようですが、

「『依命通牒』と『女性宮家』とは無関係である」

 と断定すべきではありません。

 先生は第2回しか読んでいないために、そのように反応するほかなかったのかもしれません。(5)は「文藝春秋」2002年3月号の森暢平元毎日新聞記者の記事が根拠になっていますが、そのことは連載の第2回ではなく、第1回に書きました。


以上、斎藤吉久『検証「女性宮家」論議』(iBooks)から抜粋。一部に加筆修正があります


☆ひきつづき「御代替わり諸儀礼を『国の行事』に」キャンペーンへのご協力をお願いいたします。このままでは悪しき先例がそのまま踏襲されるでしょう。改善への一歩を踏み出すために、同憂の士を求めます。
https://www.change.org/p/%E6%94%BF%E5%BA%9C-%E5%AE%AE%E5%86%85%E5%BA%81-%E5%BE%A1%E4%BB%A3%E6%9B%BF%E3%82%8F%E3%82%8A%E8%AB%B8%E5%84%80%E7%A4%BC%E3%82%92-%E5%9B%BD%E3%81%AE%E8%A1%8C%E4%BA%8B-%E3%81%AB

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