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昭和天皇の御陵にお参りされた眞子内親王殿下の異例 [眞子内親王]


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昭和天皇の御陵にお参りされた眞子内親王殿下の異例
(令和3年10月12日、火曜日)
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眞子内親王殿下の御結婚はあまりにも異例続きである。

報道によれば、殿下は今日、雨の中、昭和天皇、香淳皇后がそれぞれ鎮まる武蔵野陵、武蔵野東陵にお参りになり、御結婚の報告をされた。宮内庁によると、皇室の慣例によらず、ご本人の「希望」によるものとされる。

皇室には独自の冠婚葬祭の定めがある。殿下のこれからの幸せを祈りたいのは山々だが、今回の御結婚は皇室が大切にしてきた伝統からほとんど逸脱している。

皇室の婚姻に関する儀礼を集大成した皇室親族令(明治43年)の附式には、
1、納采の儀
2、告期の儀
3、賢所皇霊殿神殿に謁するの儀
4、参内朝見の儀
5、皇太后に朝見の儀
6、内親王入第の儀
と続くことになっている。

むろん戦後、日本国憲法施行とともに皇室令は全廃されたし、したがって皇室親族令も廃止された。しかし、このとき宮内府長官官房文書課長名による依命通牒が発せられ、「從前の規定が廢止となり、新らしい規定ができていないものは、從前の例に準じて、事務を處理すること」(第3項)とされている。

また、この依命通牒について「廃止の手続きはとっておりません」という宮尾盤次長による平成3年4月25日参院内閣委員会での答弁からすると、依命通牒第3項はいまなお効力があり、廃止された皇室親族令に代わる新しい規定がない今日、内親王の婚姻はこれまでと同様、親族令附式に準じて行われるべきものと考えられる。

しかしすでに、今回、「納采の儀等は行われない」と伝えられている。依命通牒は守られず、したがって、皇室親族令附式は無視されている。

そして今日の先帝先后の山陵に謁するの儀である。

親族令附式では、先帝先后の山陵に謁するの儀は、天皇、皇太子の御結婚の場合に行われるべきもので、親王、内親王の場合は行われない。天皇、皇太子の場合も、宮中三殿での儀礼その他すべてが終わったあと、締め括りとして行われ、しかも神宮神武天皇山陵並びに先帝先后の山陵に謁するの儀としてセットで行われることとされている。

附式に予定される皇祖皇宗、天神地祇へのご挨拶がない一方で、附式では予定されていない内親王の儀礼が行われることは異例中の異例といわねばならない。内親王の婚姻としてこれは許されるのか。

殿下の昭和天皇、香淳皇后へのお思いはよくよく理解できる。けれども、皇室がもっとも大切にしてきた「およそ禁中の作法は神事を先にし、他事を後にす」(禁秘抄)という祭祀第一主義が蔑ろにされてはいるのではないかとの疑いがどうしても晴れない。

天皇・皇室の祈りは国と民のための、絶対他者のための祈りであり、私的な祈りではないはずである。内親王は婚姻によって皇籍を離れられるにしても、離れ方に問題があり過ぎるのではないか。これでは皇室の歴史と伝統を否定することになりかねない。

ご挨拶を受けられた昭和天皇、香淳皇后はどのように思われるのだろうか。挨拶のない皇祖皇宗はどうだろうか。逆に、異例を正すため、蛮勇を振るって、殿下に献言するような側近はいないのだろうか。

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「皇嗣」と「皇太子」の違いを強調し過ぎ──高森明勅先生の「立皇嗣の礼」痛烈批判を読む [皇位継承]


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「皇嗣」と「皇太子」の違いを強調し過ぎ──高森明勅先生の「立皇嗣の礼」痛烈批判を読む
(令和3年10月10日、日曜日)
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幻冬社のサイトに、「前代未聞の立皇嗣の礼」と題するエッセイが載っている。筆者は高森明勅氏である。タイトルだけなら私も同意見だが、中身を読むとずいぶんと違う。批判すべき論点が違うということだろうか。

同氏のエッセイは新著『「女性天皇」の成立』の試し読みらしい。編集部が作ったらしいリードは、「天皇が切望し、国民が圧倒的(87%,2021年共同通信の世論調査より)に支持する「女性天皇」を阻むものは何か? 「男尊女卑」「女性差別」社会はいらない。わたしたちの「女性天皇」が日本を変える——。緊急提言」と物々しい。

女性天皇・女系継承容認論のパイオニアとしてのエッセンスが凝縮された著書に、立皇嗣の礼批判の一章が立てられたものらしい。


▽1 皇位継承が確定していない

高森氏は「二つの不審点」を指摘している。「一つは、そもそもこのような前代未聞の儀式を行うべき必然性があったのか、ということ。もう一つは、この儀式が天皇陛下のご即位に伴う『一連の儀式』と位置づけられたことだ」という。

まず「立皇嗣の礼」自体の不可解さについて、高森氏は、「皇嗣」と「皇太子」の違いから説き起こそうとする。つまり、「皇嗣」とは「皇位継承順位が第一位の皇族」であり、「その皇嗣が皇子である場合」に「皇太子」と呼ばれる。

今上天皇の場合、平成時代は「皇太子」、つまり、「次の天皇になられることが確定したお立場」だった。その事実を内外に宣明するため、立太子の礼が行われた。

ただ、「皇太子の場合、お生まれになった瞬間、又は父宮が即位された瞬間に、次の天皇になられることが『確定』する。儀式はただ、その既定の事実を『宣明』するまでのこと」と高森氏は説明し、「ところが」と続け、「『傍系の皇嗣』の場合はどうか」というのである。

つまり、「儀式の『前』に、すでに皇嗣のお立場になっておられる点では、皇太子と事情は変わらない」けれども、「次の天皇になられることが必ずしも『確定していない』という点で、大きく異なっている」というのだ。


▽2 「立皇嗣の礼」が行われた論理

高森氏は秩父宮雍仁親王殿下の実例を取り上げる。

殿下は大正天皇の第二皇子で、明治35年6月25日にお生まれになった。昭和天皇が皇位を継承されたとき皇子はなく、昭和8年12月23日に昭和天皇の第一皇子がお生まれになるまでの8年間、殿下が皇嗣であり続け、その後は皇嗣ではなくなった。

「このように、傍系の皇嗣は継承順位の変動がありうるお立場だ。その点で皇太子とはまるで違う」と高森氏は説明し、「ならば、『立皇嗣の礼』を行わなければならない必然性はないだろう」と畳みかけている。

そして、「令和の時代に前代未聞の立皇嗣の礼が行われたこと」の「不可解」を指摘し、「これは憲法上の『国事行為』。なので、『内閣の助言と承認』によって行われ、『内閣が、その責任を負ふ』(第三条)べきものだ。内閣の意思によって行われ、天皇陛下や秋篠宮殿下ご自身のお考えとは直接、関係がない」と言い切っている。

さらに、「立皇嗣の礼というのは、単に前代未聞というだけでなく、客観的には天皇・皇后両陛下が今後、決して『直系の皇嗣』には恵まれられない、という見立てを前提にしなければ行えないはずの行事であることに思い至る。実はかなり非礼で不敬な儀式だったことになろう」と痛烈に批判している。

高森氏の批判には論理の筋が通っている。それならばなぜ、「立皇嗣の礼」は行われたのかである。そこには政府ならではの論理があったものと私は想像する。女性天皇・女系継承を容認する、高森氏とは別の論理である。同じ女系派とはいえ、呉越同舟なのである。


▽3 皇嗣=皇太子である

高森氏は、「皇太子」と「皇嗣」の違いを強調しているが、強調しすぎではないか。そもそも両者に違いはない。『帝室制度史』の「第2章 皇位継承」の「第四節」は「皇太子」ではなくて「皇嗣」と題されている。また本文には、以下のように書かれてある。

「皇嗣は天皇在位中にこれを選定冊立したまふことを恒例とす」
「皇嗣の冊立ありたるときは、その皇嗣が皇子または皇孫なると、皇兄弟またはその他の皇親なるとを問はず、これを皇太子と称す」

皇嗣=皇太子なのである。

皇嗣は皇太子と異なり、皇位継承が確定していないと解釈するのも誤りである。『帝室制度史』は「皇嗣の改替」にも言及し、さまざまな理由から「ひとたび皇嗣冊立のことありて後も…遂に皇位に即きたまふに至らざりしこと、その例少なしとせず」と明記する。

立太子の礼は皇位継承を必ずしも「確定」させるものとはならないし、皇太子ではなく皇嗣だから、次の天皇に確定したわけではないという論理も成り立たない。

『帝室制度史』は、近代以降、皇室典範の制定によって、「皇嗣の冊立」について4つの点で「重要な変革」を遂げたと指摘している。そのうち興味深いのは以下の2点である。

1、旧制では、皇太子の称号は必ずしも皇子に限らなかった。しかし新制では、皇太子の称号は儲嗣たる皇子に限られる。儲嗣たる皇孫の場合は皇太孫と称される。皇兄弟その他の場合は特別の名称を用いない。

2、旧制では立太子の儀によって皇嗣の身分が定められた。しかし、新制では立太子礼は皇嗣の身分にあることを天下に宣示し、祖宗に奉告する儀礼である。傍系の皇族が皇嗣にあるときはこの儀礼は行われない。

秩父宮雍仁親王殿下の立皇嗣の礼が行われなかったのは、近代の改革によるものである。


▽4 似て非なる女系容認論

ならば、今回、なぜ立皇嗣の礼は行われたのかである。次の皇位継承者を早期に確定させることは皇位継承の安定化にはきわめて重要で、であればこそ、御代替わりの一連の儀礼のひとつとして、政府は位置付けたのであろう。高森氏も皇統問題なればこそ、立皇嗣の礼に着目したのであろう。

しかしながら、高森氏と政府・宮内庁では皇統論の目的が異なるのではないか。平成8年以降、宮内庁内で非公式検討が始まり、政府が女性天皇・女系継承容認論に舵を切っていった目的は、国事行為・御公務をなさる特別公務員としての継承の安定化であり、高森氏の考える皇統連綿とは似て非なるものであろう。

政府が、立皇嗣の礼を、御代替わり行事のひとつに位置づけたのも、国家機関としての皇太子の御公務の継承を、御代替わり直後に確定化させる必要があるからではないか。

蛇足ながら、私が今回の立皇嗣の礼に違和感を覚えるのは、立皇嗣の諸儀礼のうち、もっとも中心的な宮中三殿での儀礼が「国の行事」とされなかったこと、おそばにあるはずの壺切御剣の所在が不明であること、などだ。つまり、皇位継承問題と同様に、皇室の歴史と伝統が蔑ろにされているのである。

高森氏は国民の大半が女系継承を支持していると胸を張る。国民の支持は重要だが、皇室のことは皇室のルールに従うべきだろう。そのように啓発するのが知識人の役割というものではないか。


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おいたわしい眞子内親王の御結婚──宮内庁の責任は重い [眞子内親王]

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おいたわしい眞子内親王の御結婚──宮内庁の責任は重い
(令和3年10月2日、土曜日)
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眞子内親王殿下が今月26日に結婚される、と宮内庁皇嗣職が発表した。同時に、「複雑性PTSD」を患っておられるとも発表された。御結婚問題それ自体でさえ気が重いことなのに、何ともおいたわしい限りである。おそばにおられる父君も母君も、さぞ複雑な思いでその日をお迎えになられることだろう。

内親王殿下の御結婚は本来、国民にとっても、心からお祝い申し上げるべき慶事のはずである。しかしどう見てもそうはなっていない。それはやはり藩屏たるべき宮内庁の責任が大きいといわざるを得ない。


◇内親王は私人ではない

人は個人として尊重され、みな平等である。結婚は2人の個人的問題である。一般にはそう考えられるが、内親王の御結婚は国民の結婚とは事情が異なる。納采の儀も結婚式も行われない。一時金も受け取らないといっても、内親王は内親王であり、私人ではない。ところが、宮内庁の説明では、逆に、むりやり私人を装うことで、結婚を成立させようとしている。

公(おほやけ)とは古くは天皇を指したという。「天皇に私なし」といわれ、天皇に姓はなく、固有名詞で呼ばれることもない。昔なら内親王も皇位継承の可能性があったのであり、私人ではあり得ない。ところが、いまや「天皇無私」の大原則が危機に瀕している。枝を矯めて花を散らすがごとしである。

今回、納采の儀が行われないというが、ふつうなら告期の儀、賢所皇霊殿神殿に謁するの儀、参内朝見の儀と続く諸儀式も行われないのだろうか。皇祖神や歴代天皇、天神地祇、そして先帝へのご挨拶もないとすると、前代未聞といわねばならない。

皇室第一の原則は「およそ禁中の作法は神事を先にし、他事を後にす」(禁秘抄)である。皇祖神に始まる歴代天皇との繋がりを否定して内親王の立場はないし、天神地祇への神祭りなくして皇室の存在意義はあり得ない。

かつて天皇が仏教に帰依した時代、もっとも大切にされたのは「金光明最勝王経」である。「王法正論品第二十」では前世とのつながりが説明され、「国を治むるに正法をもってすべし」と教えている。因果応報、悪政には天罰が下り、悲惨な結末を迎えると警告されている。

皇祖天照大神からこの国の統治を委任され、公正かつ無私なるお立場で、「国中平らかに安らけく」と祈り、国と民の統合を第一のお務めとする祭り主が天皇であるという考えと共通するものがある。私人でありようはずがない。


◇日本社会も皇室もキリスト教化した

しかしキリスト教は異なる。「天の父」の教えが強調され、祖先とのつながりは否定される。たとえばイエス・キリストは「タラントンのたとえ」を話された。タラントンとは神が人間個人に与えた才能(タレント)である。キリスト教では人間は個人でしかない。

渡部昇一先生の本には、宣教師に「入信せずに死んだ親は天国に行けるのか?」と質問し、「洗礼を受けなければ天国には行けません」との返答に憤然として宣教師を追放した酋長の逸話が載っている。祖先とのつながりより、キリスト教信仰が優先される。

近代になり、日本はキリスト教世界の文物を積極的に導入した。その先頭に立ったのが皇室であった。キリスト教の社会事業を物心ともに支援したのも皇室である。戦後、ICUが創設されるとき、設立準備委員会の名誉総裁となったのは高松宮宣仁親王殿下だった。

戦前から昭和天皇の側近には多くのキリスト者がいたが、昭和天皇ご自身がキリスト教に染まることはなかった。しかしいまはどうだろうか。日本社会自体、「純ジャパ、半ジャパ、ノン・ジャパ」が入り乱れ、ICU化している。そして皇室もである。

天皇・皇族が皇祖皇宗からの繋がりを失った個人と意識されるようになったとき、「天皇無私」を第一義とし、公正かつ無私なる祭り主を第一のお務めとする皇室の歴史と伝統は、幕を閉じることになる。

それはちょうど、「祭り主」天皇の歴史的意義も、男系継承の伝統的意味も見極めずに、安易に女系継承容認に走る皇位継承論と同じ構図である。25年も前に女系容認に舵を切った宮内官僚が、今回も十分な身辺調査を怠り、引き返すことのできない地点にまで内親王殿下を追い込んだのである。PTSDの原因を作ったのは宮内庁であろう。

藩屏なき皇室、ここに極まれり、ということだが、ここまできた以上、国民はどうすべきなのか。言いたいことは山ほどあれど、ぐっと飲み込んで、見守るほかはないということだろうか。返す返すも宮内官僚が恨めしい。


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「神社界」の閉鎖性が招いた神社本庁「敗訴」の醜態 [神社本庁]

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「神社界」の閉鎖性が招いた神社本庁「敗訴」の醜態
(令和3年9月20日、敬老の日)
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東京高裁は9月16日、神社本庁職舎転売・職員地位確認訴訟について、神社本庁の控訴を棄却した。

今年3月の一審判決では原告職員の地位確認が認められたが、被告の神社本庁は、原告の職員が組織を破壊する意図から、組織の秩序を乱したのであり、懲戒解雇の処分はやむを得なかったなどと主張し、控訴審が始まった。しかし高裁は、主張をすべて退けた。


◇神社は神職集団の占有物ではない

ことの発端は職舎の転売問題だが、(1)売買価格が相当低額で、買主に有利である、(2)価格決定と承認の過程に不審がある、(3)買主は以前から本庁などと有利な取引を行い、利益を上げてきた、(4)本庁総長が原告の職員に売却を示唆したと原告の職員が考え、総長らの背任行為があったと原告が信じたことについて、高裁判決は、相当な理由があると認めている。

神社本庁にとっては一審に続く、無様な全面的敗訴である。日本の民族的信仰を守るべき集団としては、何とも見苦しい限りである。

もっとも嘆かわしいのは、事件および訴訟の過程において、神道信仰の主体である氏子や崇敬者が蚊帳の外に置かれていることである。古来、各地に鎮まるお宮は地域のものであるはずなのに、閉鎖的な神職集団の占有物ででもあるかのように取り扱われていると映ることである。

終戦の翌年に設立された神社本庁それ自体、もともとは内向きな神職組織ではなかった。皇典講究所、大日本神祇会、神宮奉斎会の民間三団体が糾合して創立されたことは何よりの証明である。初代事務総長は内務官僚だった宮川宗徳で、宮川は翌年創刊の神社新報初代社長ともなった。神社新報の編集主幹兼社長代行者となった葦津珍彦もまた「背広の神道人」であった。


◇自己改革しなければ先人を裏切る

ところが、年月が過ぎ、神社本庁は同業者組合と揶揄されるまでになっている。まさにそのことがさまざまな混乱の原因ではないだろうか。今回の職舎転売にしても、密室で、身内の論理で、物事を決めてしまう排他的姿勢が、結果として世間に醜態を晒す結果を招いたのであろう。

以前ならチェック機能を果たしたであろう神社新報も同様に、「本庁べったり」の姿勢に甘んじている。宮川宗徳は「言論機関は独立の立場に置くべし」と考え、本庁広報課から株式会社組織に移管させたと聞くが、その英断は顧みられなくなっているのではないか。

今回の判決を前にして、神社新報は、裁判をめぐって神社界の内部対立が先鋭化することを憂え、「斯界の大同団結」を訴える論説を載せている。もっともなことではあるが、「神社界」「斯界」と連呼する姿勢が問題を解決するどころか、深刻化させ、遠のかせるとは思い至らないのだろうか。ギルド社会の殻を破り、自己改革しなければ、75年前に神社本庁設立に奔走した先人たちを裏切ることになるだろう。


【関連記事】天下国家は何処へ?──佐野和史宮司の「神社新報」投稿を読む〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2021-05-06
【関連記事】小川寛大さんの神社本庁批判に異議あり。もともと上意下達の組織ではない〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2020-06-27
【関連記事】神社本庁創立の精神からほど遠い「金刀比羅宮の離脱」〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2020-06-21

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河野太郎・総裁候補の非「保守」的皇位継承論──天皇を論ずる資格がない [皇位継承]


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河野太郎・総裁候補の非「保守」的皇位継承論──天皇を論ずる資格がない
(令和3年9月12日、日曜日)
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10日に自民党総裁選立候補を表明した河野太郎・行政改革担当大臣が記者会見で、持論とする女性天皇・女系継承容認を封印したという。

「日本を日本たらしめているのは、長い歴史と文化に裏付けられた皇室と日本語だ。そういうものに何かを加えるのが保守主義だ」と語り、「保守主義」に基づいた政治を強調したと伝えられる。

持論は持論として、現実主義的な路線変更の姿勢を示すことで、党内の不安感を払拭し、支持を広げようという姑息な選挙戦術は明らかである。


▽1 「皇男子孫継承」を明記した明治人の英断

報道によれば、河野氏は2日前の8日には、安倍晋三・前総理と会談し、立候補の意向を伝えるとともに、「男系で続いてきているというのが、日本の天皇のひとつのあり方なんだと思う」と語った。さらには、青山繁晴参院議員ら党内保守派議員とも会談し、「自分は女系容認論者ではない」と述べ、不安解消に余念がない。

しかし、一年前の昨年8月、インターネット番組に出演した際には、当時は安倍政権の防衛大臣だったが、明確に女系継承容認論を展開していた。男系継承主義に疑問を投げかけ、「女性宮家」創設、「愛子さま天皇」待望論を開陳していた。

君子は豹変したのである。

持論とされる女性天皇・女系継承容認論の詳細は、河野氏の公式サイトに載っている。「皇室の危機を回避する」(ブログ「ごまめの歯ぎしり」2016年10月19日)がそれである。〈https://www.taro.org/2016/10/皇室の危機を回避する.php〉

河野氏は冒頭、「皇室はかつてない存続の危機に瀕している」と言い切っている。「天皇陛下より若い皇族男子は、皇太子殿下、秋篠宮文仁親王殿下、秋篠宮悠仁親王殿下の3人しかいらっしゃらない。将来、悠仁親王家に男子がお生まれにならなければ、男系の皇統が絶えることになる」というわけである。

しかし何度も書いてきたことだが、「存続の危機」はいまに限ったことではない。ほかならぬ女系派が「危ない綱渡りを繰り返してきた」(高橋紘・所功『皇位継承』)と述べているし、明治憲法制定当時こそ、女帝の認否は「火急の件」だった。明治天皇には皇男子はなく、皇族男子は遠系の4親王家にしかおられなかったからだ。

それでも明治人は「万世一系」「皇男子孫継承」を憲法に明記したのだ。河野氏は明治人の英断をどこまで理解しているだろうか。


▽2 なぜ男系継承が固持されてきたのか

河野氏はブログで、皇室の男系継承の歴史を認めている。その一方で「しかし、(今後)維持できるかどうか」と疑問を投げかけている。「現実は容易ではない」というのだ。

河野氏は男系維持のための3つの方法を取り上げ、検討し、そして男系主義を否定している。

ひとつは旧皇族男子の婿入りで、新宮家を創設し、男子が皇位を継承する方法だが、内親王、女王に結婚を強制できないし、旧宮家は「600年近く、現皇室との間に男系の繋がりはなく、その男系が皇室を継ぐことが国民的に受け入れられるだろうか」と疑問を投げかける。

しかし、皇室の歴史においては、しばしば「婿入り」はある。ただ、河野氏の「婿入り」と違うのは、光格天皇の例で明らかなように、先帝の崩御後、親王家から養子となり、皇位が継承された。そして先帝の内親王は中宮となった。

国民が受け入れるかどうかではなく、それが皇室のルールである。

ふたつ目は側室の復活、3つ目は人工授精など医学的方法を用いる方法だが、いずれも現実的でないと否定し、男系維持を主張するなら、国民に広く受け入れられる具体的な方法を提示せよ、と男系派をけしかけている。

しかし天皇は天皇であり、皇室は皇室である。皇室の皇位継承の鉄則は国民に受け入れやすいかどうかではない。むしろ河野氏は皇位が男系で維持されてきた理由を追究すべきではないのか。「綱渡りを繰り返して」さえ、古来、男系継承が固持されてきたのは何故なのか。

けれども河野氏は逆に、皇室の歴史と伝統を弊履のごとく捨て去り、「男系、女系に関わらず皇室の維持を図るべき」と論理を飛躍させている。明治人が「万世一系」と表現した「王朝の支配」の意味を忘れているのである。


▽3 女系継承容認どころか祭祀の変更をも要求

そして、あまつさえ、「皇統断絶」より「皇室のあり方を変えよ」と訴えている。皇位が男系主義で紡がれてきたこと、女帝は容認されても、夫があり、もしくは妊娠中もしくは子育て中の女帝が否定されてきたことの意味を理解しようとせず、典範改正、長子継承への変革を要求するのである。

しかし、その目的は何だろうか。男系主義を否定した皇位継承は皇位継承に値しないし、それでも「皇統」を強弁するのは何のためなのか。

さらに河野氏は「継承ルールの変更の議論を速やかに始めよ」と急かしている。そしてさらに、「長子継承なら、天皇家の祭祀の変更が必要かどうか、確認せよ」と迫っている。女性天皇には祭祀がお務めになれないなら祭祀を変えよとのご託宣である。

つまり、河野氏の皇位継承論とは革命論に等しいということだろう。世界の王室を見ても、それぞれに独自の王位継承法があるが、固有の歴史と伝統を無視して、根底からの変革を要求するのは下剋上にほかならない。

繰り返しになるが、歴史上、8人10代の女性天皇が確かに存在するとはいえ、夫があり、あるいは妊娠中・子育て中の女性天皇はおられない。その理由は、皇室がもっとも重視する「祭り主」天皇論に根拠があることは明らかである。「およそ禁中の作法は神事を先にす」(禁秘抄)である。

女系継承を容認し、祭祀の変更をも要求する河野氏の天皇論は、保守主義とは無縁のものである。

最後に河野氏は、「宮内庁の改組」に言及している。皇室の危機を放置してきた責任、宮中祭祀や陵墓等の情報公開に消極的だった宮内庁の責任を問いかけているのだが、荒唐無稽で論評に値しない。政府・宮内庁が25年も前に女系継承容認に舵を切ったことが今日の混乱の原因であることなど知らないのだろう。皇位論を論ずる資格がないのではないか。お調子者の素人論議である。


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皇室の品位は何処へ──内親王殿下「駆け落ち婚」を黙過する現代宮内官僚たちの憲法観 [眞子内親王]


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皇室の品位は何処へ──内親王殿下「駆け落ち婚」を黙過する現代宮内官僚たちの憲法観
(令和3年9月5日、日曜日)
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眞子内親王殿下が「駆け落ち婚」をなさるという話題で持ちきりだ。「愛」を貫き通す女性の強さにあらためて驚かされる一方で、皇室の品位を保つために周囲の努力がどこまでなされたのか、疑いが晴れない。宮内庁の責任は大きいはずなのに。

「駆け落ち婚」の可能性は、すでに昨年の皇太弟殿下のお誕生日会見で示されていた。殿下は「結婚することを認める」と明言されていた。

一般の国民であれば、結婚は自由である。殿下が引用されたように、憲法には「婚姻は両性の合意によってのみ成立」するからである。しかし内親王の婚姻は民間人の婚姻とはまったく異なる。皇室および国の権威に関わるからである。「本当に素晴らしい男性」では済まない。

しかしそれを強く言えば、皇太弟殿下ご自身の「学習院の恋」にも疑問符が付く。であればこそ、父君はよほど悩まれたに違いない。おいたわしい限りである。


▽1 身辺調査は十分だったのか

以前、書いたように、古くは皇族女子は皇族に嫁するのが常例だった。時代が下がるにつれ、婚家の対象は拡大し、内親王が臣家に嫁する例が開かれたものの、江戸末期まで10数例を数える内親王降嫁はほとんどが摂関家と徳川家に限られた。明治の皇室典範は「皇族の婚嫁は同族、または勅旨によりとくに認許せられたる華族に限る」と制限を明確にしている。

一般の民間人と結婚することなどあり得なかったが、戦後は制限が失われ、先帝も今上も皇太弟も民間に婚家を求められた。そして清子内親王も眞子内親王もである。とりわけ先帝陛下の「テニスコートの恋」は自由な恋愛結婚の先駆けとなり、「開かれた皇室」の象徴ともなった。そして自由への憧れはますます強まっているかに見える。

だが、早計である。軽井沢の最初の出会いこそ偶然だったとはいえ、その後は側近によってアレンジされていたことが分かっている。当時の宮内庁長官は「恋愛説」を国会で否定している。そこが今回とはまるで異なる。「ICUの恋」の場合、側近たちの関わりがまるで見えてこない。

世間を騒がすことになった原因はそこにある。警備を担当する皇宮警察は何をしていたのだろうか。やがて天皇となる皇太子の結婚と、いずれ皇籍を離脱する内親王の違いがあるにしてもである。宮内庁はどの程度、身辺調査したのだろうか。あるいは、調査らしいことはしなかったということなのか。いずれにしても責任は重い。


▽2 皇祖神へのご挨拶はどうなるのか

先帝陛下のころは、「公事か私事か」が国会でしばしば議論された。野党は憲法を盾に「私事」説を訴えた。しかし「公事」なればこそ、国家予算が投じられ、宮中三殿での結婚の儀ほかが「国の儀式」(天皇の国事行為)とされた。

しかしいまは完全に違う。内親王の婚姻はもはや「公事」ではなく、「私事」と考えられているものらしい。昨年暮れ、西村宮内庁長官が介入し、「説明責任を果たすべき」と発言したのは、逆に異例なのだろう。それだけ側近たちの姿勢が「テニスコート」時代とは一変したのである。

今回は、一時金が辞退されるだけではなく、納采の儀(結納)も行われないと伝えられる。だから「駆け落ち」と称されるのだが、忘れてはならないもっとも重要なことは、皇祖神へのご挨拶がなされないらしいことである。

内親王の結婚の儀は、天皇や皇太子、親王とは異なり、そもそも賢所大前では行われない。それでも納采の儀ののち、告期の儀、賢所皇霊殿神殿に謁するの儀、参内朝見の儀、皇太后に朝見の儀、内親王入第の儀と続くことがが皇室親族令附式に規定されている。結婚の礼の前に、内親王は賢所皇霊殿神殿に謁することとされているのだ。それがどうやら行われないらしい。

古代律令には、天皇の兄弟および皇子が「親王」とされ、皇女もまた同様に「内親王」とされると定められ、皇祖神のご神意次第によっては皇位の継承もあり得るお立場だった。時代が変わったとはいえ、皇祖神へのご挨拶なしに済まされるものなのかどうか。「およそ禁中の作法は神事を先にす」(「禁秘抄」)が皇室のしきたりのはずなのにである。

といって、宮中祭祀は「宗教」だという観念、および憲法の政教分離主義にとらわれた現在の官僚たちには、何の助言もできないだろう。皇太弟殿下がますますおいたわしく思われる。


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かつて安倍官房長官と対決した高市早苗・前総務大臣のいたってまともな皇位継承論 [皇位継承]


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かつて安倍官房長官と対決した高市早苗・前総務大臣のいたってまともな皇位継承論
(令和3年8月28日、土曜日)
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自民党総裁選に出馬を表明した高市早苗・前総務大臣が、雑誌インタビューに応え、皇位継承問題について、男系継承の維持を強調した。「万世一系という2000年以上の伝統は、天皇陛下の『権威と正統性』の源だ」と語っている。きわめてまともである。

高市氏が男系継承維持を訴えたのは、今回が初めてではない。高市氏の個人ブログには、15年前、2006年(平成18年)2月1日更新の「皇室典範問題について」と題するコラムが載っているので、ご紹介したい。〈https://www.sanae.gr.jp/column_detail256.html

ちなみに、皇室典範有識者会議が「女性天皇・女系天皇への途を開くことが不可欠」との報告書をまとめたのが前年11月で、悠仁親王の御誕生はこの年の9月。皇位継承の根幹が覆りかねない、危なっかしい時期だった。


▽1 皇室典範有識者会議直後の国会で質問

高市氏のコラムは、内閣府職員の来訪で始まっている。1週間前の1月25日、皇室典範一部改正のための法律案概要についての説明がその目的だった。まだ条文化されていない、ごく簡単なペーパーには、以下のような「改正のポイント」が綴られていた。

(1)皇位継承資格者に、皇統に属する女子及びその子孫の皇族を含める(現行では、皇統に属する男系男子に限定)。
(2)皇族女子は、婚姻しても皇室にとどまる(現行では、皇族女子は婚姻により、皇室を離れる)。
(3)皇位継承順序は、直系の長子を優先することとする(現行では、直系・長系・近親優先)。

要するに、「女性天皇容認」「女系天皇容認」「第1子優先」が皇室典範一部改正の骨子だった。有識者会議の直後であれば当然だった。

しかし高市氏は一読して「不安に思った」。とくに、「皇族女子が婚姻後も皇室にとどまる」とすれば、「皇室予算にも変化が生じる」。そこで高市氏は、2日後の1月27日の衆議院予算委員会で急遽、質問することにした。

当時は第三次小泉純一郎内閣(改造)で、この案件の担当閣僚は安倍晋三官房長官だった。短い割り当て時間で、ほかにもテーマはあったから、関係項目はわずか2点。結局、安倍長官の考え方を聞くにとどまったが、その後も続いてきた議論の核心をつく本質的な内容だった。


▽2 官僚の作文を読まされた安倍長官?

高市氏はまず女系継承への危惧を語った。

「私自身は、『女性天皇』には反対しないが、『女系天皇容認』と『長子優先』については、慎重に検討していただきたいし、党内でも議論を深めたいと希望している。
 恐れ多い例えではあるが、仮に、愛子様が天皇に即位されたら、『男系の女性天皇』になられる。そして、愛子様が山本さんという皇族以外の方と結婚されて、第1子に女子の友子様が誕生し、その友子様が天皇に即位されたら、『女系の女性天皇』となられる。
 この友子天皇の男系の祖先は山本家・女系の祖先は小和田家ということになるから、今回の法改正により、2代目で天皇陛下直系の祖先は女系も男系も両方民間人になる可能性がある。
 また、男親から男の子供、つまり『男系男子』に限って正確に受け継がれてきた初代天皇のY1染色体は途絶する。
 男系の血統が125代続いた『万世一系』という皇室の伝統も、『天皇の権威』の前提でもあると感じている。
 官房長官は、皇位が古代より125代に渡って一貫して『男系』で継承され続けてきたことの持つ意味、皇室典範第1条が『男系男子による皇位継承』を定めている理由は何だったとお考えか?」

高市氏は言及していないが、近代以降の終身在位制のもとで、女帝が立てられる状況というのは近代以前とは異なり、けっして「中継ぎ」ではないから、女性天皇容認は取りも直さず女系継承容認を意味し、万世一系の歴史と伝統を侵すことになる。

その暗黙の前提に立って、政府は男系継承主義の意味に配慮したうえで、皇室典範の一部改正案を提出しようとしているのか、と問いただしたのである。これに対して、安倍官房長官の答えは不十分だった。

「憲法第2条に規定する世襲は、天皇の血統につながるもののみが皇位を継承するということと解され、男系、女系、両方が含まれる。
 皇室典範第1条が男系男子に限定してることについては、過去の事例を見る限り男系により皇位継承が行われてきており、それが国民の意思に沿うと考えられること、女性天皇を可能にした場合には、皇位継承順位など慎重な検討を要する問題があり、なお検討を要すること、男性の皇位継承者が十分に存在していること、この3つが当時の国会の論点だった。
 男系継承の意義については、学問的な知見や個人の歴史観、国家観に関わるもの。私は官房長官として政府を代表する立場なので、特定の立場に立つことは差し控えたい。
 いずれにしても、政府としては、男系継承が古来例外なく維持されてきたことの重みを受け止めつつ、皇位継承制度の在り方を検討すべきものと考える」

安倍氏の答弁を読むと、少なくとも当時の安倍氏は、「保守派」との評価とは全然異なり、男系継承の基本をまるで理解していない。「皇位の世襲」とは単に血がつながっていることだと言わんばかり。官僚の作文を読まされただけなのか。


▽3 「皇位継承の安定化」の目的は?

次に高市氏が質問したのは、政府が皇室典範改正作業を急ぐ理由である。

「昨年11月下旬に提出された有識者会議報告書が法案のたたき台だと思うが、まだ多くの国会議員は報告書を入手していない。国民の皆様の理解も進んでいないと思う。
 また、『女系天皇』が即位される可能性は、皇太子殿下が『男系男子の天皇』として即位され、現在4歳の愛子様が『男系女子の天皇』となられた後、数十年先に即位されるかもしれない天皇のことなので、まだ十分に検討の時間はあると思う。
 今国会で急いで皇室典範一部改正法案を提出される理由は?」

これに対する安倍長官の答弁が興味深い。政府が考える「皇位継承の安定化」の本当の目的を図らずも暴露している。

「皇位継承は、国家の基本にかかわる事項。天皇が内閣の助言と承認のもとに内閣総理大臣や最高裁長官の任命、国会の召集など重要な役割を担う以上、どのような事態が生じても、安定的に皇位が継承されていく制度でなければならない。
 皇太子殿下の次の世代に皇位継承者が不在であるという不安定な状態は、早期に解消される必要があると、政府は考えている。
 将来の皇位継承者には、それに相応しいご養育を行う、いわゆる帝王学だが、その必要を考えれば、緊急の課題である。
 このような認識から議員各位や国民の皆様のご理解を賜りながら、今国会に法案を提出していく考えだ」

つまり、政府にとっての「皇位の安定化」は、これまで何度も指摘してきたように、「皇統連綿」でも「皇室弥栄」でもなく、あくまで「国事行為の安定化」でしかない。要するに、政府にとって、天皇は国事行為をなさる特別公務員という位置付けに過ぎない。

しかし、高市氏はそこを追及することはしない。「なぜ急ぐのか?」「なぜ今国会か?」と問い続けるばかりであった。

「まだ40代の皇位継承者が複数おられる中で、今国会で慌てて提出される必要があるのか。
 私たち日本人にとって、祖先が守り続けてきた非常に大切な伝統をどう変えるのか、守るべき伝統は何で、変えるべき伝統は何なのか、という議論も深めたいので、十分な議論の時間をいただきたいと希望する」

なぜ皇位は男系で紡がれてきたのか、そもそも皇位とは何か、を議論するには時間が短すぎたのであろう。質疑はここで終わっている。平行線である。


▽4 安倍官房長官の路線継承はあり得ない?

他方、高市氏のコラムは続き、「いずれ法案が条文化されたら、党の内閣部会などで、安定的な皇位継承の対案も含めて、積極的に議論に参加したい」と希望を述べ、次のような意見を表明している。

「これは、単純に『男女平等』などという価値観で判断してよい問題ではない。
 私は、『女系』『長子優先』には幾つかの懸念を覚えるものの、決して『女性天皇』に反対しているわけではないが、現実的には女性が皇位を継ぐということ自体も、肉体的には大変なことなのだろうと想像している。
 多くの国事行為、外国賓客への対応、宮中祭祀など、お休みの間もなく過密なご日程ををこなされている天皇陛下。皇位につかれた女性天皇が、激務をこなしながら、お世継ぎを妊娠し、出産されるということも、肉体的にも精神的にも想像を絶する大変なことなのだろうと思う」

たしかに現代の天皇は激務である。御公務は無限に増えていくが、生身の天皇には肉体的限界がある。だから先帝も「譲位」を表明せざるを得なかった。

それはそれとして、高市氏はいま「アベノミクス路線の継承」を明らかにしている。けれども、安倍氏の官房長官時代の皇位継承論の「継承」はあり得まい。

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皇室伝統の皇位継承法に従うことが「宗教派」なのか──日経編集委員の解説を批判する [有識者会議]


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皇室伝統の皇位継承法に従うことが「宗教派」なのか──日経編集委員の解説を批判する
(令和3年8月15日、日曜日)
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8月13日の日経新聞(電子版)に、井上亮編集委員による「宗教派と世俗派の相克 皇位継承、有識者会議の方向性」と題する解説記事が載りました。皇位継承有識者会議が7月に第10回目の会合を開き、皇位継承に関する「整理の方向性」を示したことについての解説でした。〈https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUE110Z20R10C21A8000000/

それにしても、「宗教派vs世俗派」とはずいぶんと大仰な二項対立の図式です。いったい何をおっしゃりたいのでしょうか。もしかして、何か大きな勘違いをなさっておいでなのではありませんか。


▽1 180度違う対策案

井上さんの記事によれば、安定的な皇位継承を確保するために、有識者会議が打ち出した対策案は、(1)女性皇族が婚姻後も皇室に残る、(2)戦後に皇籍を離脱した旧皇族の子孫の男系男子を皇族の養子とする、(3)旧皇族の子孫を皇室に復帰させる──の3つです。

このうち、最重要課題の皇位継承にかかわるのは、(2)と(3)で、従来から男系維持の保守派が主張してきた案だと、井上さんはまず説明します。

しかし、井上さんの解説は、「これは同じ問題を討議した2005年の小泉純一郎内閣での有識者会議最終報告とは百八十度違う。同報告は男女を問わない長子継承と女性・女系天皇の容認を打ち出した。旧皇族の復帰は、そもそも男系継承は安定性を欠くとして否定された」と続きます。

井上さんによれば、「宮内庁幹部、関係者の間では、このときに議論は尽くされている」「皇位継承制度の安定性を考えれば、長子優先しか選択肢がない」「長い目で見ると男系継承の不安定性は明白である」とすれば、なぜ結論がこうも変わるのかという疑問が湧いてくるのは当然です。

「当時は上皇さまの孫世代に皇位継承者が一人もいない切羽詰まった状況」だったが、「今回の有識者会議は、同世代で皇位継承者が悠仁さま1人の状況」だという「違いはある」。「天皇の長い歴史と伝統は合理と数字だけで割り切れないのは確かだ」。だから、「ヒアリングの第1問にそもそも天皇とは何かを問う「天皇の役割と活動」を置いたのだろう」という展開は、私も理解できないことではありません。

問題は次です。


▽2 天皇は人間を超えた存在とみなしたい「宗教派」?

井上さんは「識者の回答は2つに集約できる」と言います。つまり、「天皇の正当性を神話に由来する祭祀王であることに求めるか、象徴として国民を統合する存在と定めた日本国憲法とするのか、である」というのです。

そして、この両者は、「天皇は人間を超えた存在とみなしたい『宗教派』と、国家機関としての役割を負った人間と見る『世俗派』ともいえよう」と仰せなのでした。「戦前から長く続いてきた天皇観の相克であり、これが皇位継承の考え方に強く影響している。大まかに見れば、前者に男系維持、後者に女系容認の論者が多い」と解説しています。

井上さんの解説は続き、「宗教派から見れば、世俗派は千数百年続いてきた天皇の伝統を戦後約70年にすぎない憲法と男女同権など現代の観念だけで論じていると映る」。他方、「世俗派は、男系は明治以降に確定した観念であり、神話や実証的歴史学では実在しない天皇を持ち出す宗教派は非合理的。継承確率の低い男系への固執はひいきの引き倒しで、皇統断絶を招き寄せると考える」と説明されています。

有識者会議は「国論を二分することは避けるべきだ」と警鐘を鳴らし続けているのに、「すでに国民の天皇観は分裂している」と井上さんは断定しています。

井上さんは「有識者会議の整理の方向性は宗教派に歩み寄った」けれども、「伝統は大事だが、現実社会との調整がなければ空論に終わるだろう」と警告しています。「皇室が悠仁さま1人になり、皇位継承者がいない状況にならなければ制度変更は無理だろう」という声も聞かれるというわけです。

さて、それでは批判です。

そもそも皇位継承法というものは、海外の王室と同様に、皇室独自のルールがあるのであって、国民的議論には馴染まないということが本来あるべき基本でしょう。有識者会議方式が誤っているのです。つまり、ネックは憲法の国民主権主義です。

井上さんが仰せのように、小泉内閣時代の皇室典範有識者会議は「皇位の安定的な継承を維持するためには、女性天皇・女系天皇への途を開くことが不可欠」(報告書の「結び」)と結論づけましたが、その過程において、皇室の天皇観についてはまったく検討されませんでした。天皇の地位は「主権の存する日本国民の総意に基づく」からでしょう。


▽3 「祭り主」天皇への誤解と偏見

寛仁親王殿下は「一度切れた歴史はつなげない」と男系継承が破られることに警鐘を鳴らされました。井上さんは「男系は明治以降に確定」と書いていますが、皇位は古来一貫して男系主義で貫かれてきたのです。それなのに、なぜいま否定されるのか、歴史と伝統というものはそれほど軽いのか、議論すべきなのはそこでしょう。

ついでながら、古来の男系主義は女性天皇を否定していません。認められなかったのは、夫がある、もしくは妊娠中・子育て中の女性天皇です。明治になって女性天皇が否定されたのは終身在位と関わっています。終身在位制のもとで女性天皇が即位すれば、当然、女系継承を容認することになります。万世一系は終焉します。

皇室典範有識者会議は「皇位継承の安定的維持」を目的に掲げていましたが、これには大きな疑いがあります。平成8年ごろ宮内庁で開始されたという水面下の検討は、むしろ国事行為をなさる特別公務員たる天皇の安定的継承、つまり国事行為の制度的安定が目的だったのではありませんか。皇統より憲法が優先されています。

たとえば国会を召集するのに男女の別はあり得ません。憲法体制の維持のためには皇室の皇位継承ルールは無視されて当然ということになります。

井上さんの記事にもっとも欠けているのは、男系継承が歴史上、「綱渡り」だったにもかかわらず、固守されてきたのはなぜか、という問題意識でしょうか。

井上さんは、「天皇は人間を超えた存在とみなしたい『宗教派』」と男系派を決めつけていますが、天皇=神だから男系継承が守られるべきだなどという主張を、誰がしているのでしょうか。天皇は神として祀られるのではなく、神々を祀るお立場であり、それが「祭り主」というものです。

私に言わせれば、男系継承主義が「祭り主」天皇論から必然的に導かれるとして、天皇の祭りなるものは逆に、国家的儀礼としてもっとも現実的、世俗的な社会的要求のなかから生まれたのだと想像しています。

昭和天皇が「現人神」とされることを嫌われたように、「天皇は人間を超えた存在」は完全な誤解だとして、天皇が皇祖神ほか天神地祇を祀り、米と粟を捧げて祈られることと男系継承主義がどう関わるのか、そこを男系派は説明していない。そこに最大の弱点があるということをこそ、井上さんはきびしく指摘すべきではないのでしょうか。

井上さんには、「祭り主」天皇への大きな誤解と偏見があると思います。

最後に蛇足ながら、井上さんは「神風が吹いた例はまずない」と記事を締め括っていますが、皇位継承は皇祖神の御神意に基づくというのが伝統派の信念です。事実、皇室と国民の祈りが通じて、悠仁親王殿下はお生まれになったのではありませんか。


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【関連記事】基本を忘れた女系継承容認論──小嶋和司教授の女帝論を読む〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2011-12-31
【関連記事】血統主義と徳治主義の調和──西尾論文批判の続き〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2008-09-16
【関連記事】女系は「万世一系」を侵す──「神道思想家」葦津珍彦の女帝論(「論座」1998年12月号特集「女性天皇への道」から)〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/1998-12-01

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「膠着」どころか、着々と進む靖国神社に代わる「国の追悼施設」──日経編集委員の靖国論に反論する [靖国神社]


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「膠着」どころか、着々と進む靖国神社に代わる「国の追悼施設」──日経編集委員の靖国論に反論する
(令和3年8月14日、土曜日)
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明日の終戦記念日を前に、一昨日8月12日の日経電子版に「靖国・千鳥ケ淵・新施設…戦没者追悼の道筋なお見えず」と題する大石格・編集委員の記事が載りました。「戦没者をどう弔うのがよいのか」について、いわゆる靖国問題の経緯を振り返り、問題提起が試みられています。〈https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCD1091R0Q1A810C2000000/

結論として、大石さんは、現状を「膠着状態」と捉えています。政府内には、「(靖国神社に代わる)新施設を推す動きはまったくない」し、「首相の公式参拝の復活は外交的にほぼ無理」だからです。

けれども違うのです。靖国神社に代わる国の追悼施設は着々と既成事実が積み上げられているからです。大石さんの見立てた「膠着状態」はむしろ、大石さん自身の頭脳内に腰を据えているのではありませんか。どういうことなのか、以下、説明します。


▽1 靖国神社は「宗教」なのか

大石さんは戦後史から書き起こしています。政府主催の戦没者追悼式も千鳥ヶ淵墓苑も「無宗教」だが、靖国神社は「宗教法人」だ、というのが議論の前提です。この論理こそ「膠着状態」の第一原因です。

靖国神社の歴史が幕末・明治維新期に遡ることは大抵の人は知っています。大石さんが戦後の歴史から書き起こしているのは「宗教法人」に着目するからでしょう。しかし創建史を無視してはいけません。

もともとは官軍の招魂社でしたが、靖国神社と改称列格されたのは、国に一命を捧げた国民の慰霊・追悼施設として確立されたことを意味しています。それは日本が近代国家として生まれ変わったことと同義です。殉国者の慰霊追悼は近代国家の責務です。慰霊追悼は宗教的行為です。

しかし国家による慰霊追悼はいかなる意味での「宗教」なのか。靖国神社は近世の義人信仰を源流としているとはいえ、一般の神社とは多くの点において異なっています。一律に「宗教」だと認めるべきでないことは、上智大学生靖国神社参拝拒否事件のときにバチカンが示した公式見解から明らかです。

ちなみに欧米で戦没者追悼の国家的儀式が行われるようになったのは、日本より遅く、第一次世界大戦休戦直後のイギリスからで、キリスト教の宗教的伝統に基づいて、いまも続いています。それに対して、政教分離の観点から批判があるとは聞きません。

大石さんは、国に命を捧げた戦没者への慰霊追悼は国が行うべきこと、それは宗教的伝統に従って行われるべきこと、政府が非伝統的儀礼を創設することは新たな国家宗教の創始であり、政教分離原則と矛盾すること、に思い至らないのでしょうか。

慰霊追悼は宗教行為そのものですが、政教分離に抵触するのかどうか。政教分離主義の源流とされるアメリカなら、同時多発テロの犠牲者の追悼ミサも、歴代大統領の葬儀も、「全国民のための教会」ワシントン・ナショナル・カテドラルで、キリスト教形式で、政府主催で行われます。ちなみに戦後の戦没者追悼式が靖国神社で行われたこともありました。それがなぜ「膠着状態」に至ることになったのか。


▽2 靖国問題の本当の核心

戦後は、たしかに大石さんが仰せのように、靖国神社は「宗教法人」となりました。しかしみずから進んで宗教法人化したわけではありません。

いわゆる神道指令発令ののち、宗教団体令の改正で、一方的に期限を示されたうえで、「宗教法人」とならなければ「解散」されたものと見做される、という切羽詰まった状況下での苦渋の選択によるものでした。靖国神社は国家的慰霊追悼の存続のため、やむを得ず宗教法人化したのです。

そして、まさにその原因となった「神道指令」です。靖国神社を標的にしたかのような指令がなぜ発令されるに至ったのか、です。国際法違反は明白なのに。

日本の敗戦はポツダム宣言の受諾によりますが、同宣言に明記された「軍国主義・超国家主義」が曲者です。アメリカはその源流を「国家神道」と見定め、その中心施設こそが靖国神社であり、その経典が教育勅語であると信じていたようです。そのことは戦時中にアメリカが新兵養成のために製作したプロパガンダ映画を見れば明らかです。

であればこそ、占領軍は靖国神社を敵視し、爆破焼却しようとも考えていたようです。しかし同社は生き残りました。靖国神社の神職が侵略戦争を指導していたと本気で考える人たちもいたようですが、実際には一兵卒として応召していたことを知って驚いたGHQ職員がいたとも伝えられます。

つまり、「国家神道」こそ幻なのです。

であればこそ、占領後期になれば、GHQの政教分離政策は限定主義に転換され、吉田茂総理の靖国神社参拝も認められています。にもかかわらず、戦後何十年も経って靖国問題が浮上し、政教分離の厳格主義が幅を効かせ、いつまで経っても問題が解決できない「膠着状態」に立ち至ったというところに、問題のほんとうの核心があるのでしょう。

アメリカでさえ卒業したはずの「国家神道」論を日本人が克服していないということです。


▽3 国にスルーされる靖国神社

大石さんは「富田メモ」を取り上げていますが、富田朝彦宮内庁長官は「無神論者」を自認する人だったことが知られています。個人の思想は自由とはいえ、宮内庁のトップでありながら、天皇の祭祀には「不参」のことが多かったと聞きます。根っからの宗教嫌いなのでしょう。

だとすれば、「富田メモ」もその前提で読み直されるべきです。

国に命を捧げた国民に対して、慰霊追悼の誠を捧げられるのは国以外にはあり得ません。それを戦後、半世紀以上も、民間任せにしてきたところに根本的問題があります。

大石さんは靖国神社当局による戦犯合祀に膠着化の原因があるかのように書いていますが、いわゆる戦犯を「戦没者」と認め、援護政策の対象としたのは日本政府です。靖国神社は政府の決定に基づいて、合祀したのです。合祀に異議があるのなら、戦犯者を戦没者と認定した政府を批判し、取り消しを要求すべきです。

靖国神社はいまも、本来、国がなすべき慰霊追悼の誠を、国に代わって、日々、捧げています。それは宗教儀礼というより国家儀礼というべきものです。昨日は現職閣僚の参拝がありましたが、宗教行為というより公人の表敬行為と見るべきでしょう。私人による参拝だから政教分離に違反しないとする政府の憲法解釈も誤っています。公人だからこそ表敬することに意味があります。

さて、大石さんは記事の最後で、「膠着状態はいつまで続くのか」と問いかけていますが、事態は水面下で着々と進んでいることにお気づきにはならないのですか。

つまり、大石さんも言及している、宗教法人靖国神社内の人間臭いゴタゴタに目を奪われている隙に、千鳥ヶ淵墓苑、防衛省メモリアルゾーンには、皇族方や総理ほか政府要人、外国政府代表者が定期的に参詣し、事実上、靖国神社に代わる国の追悼施設へと既成事実が積み重ねられています。

近代以降、唯一の国家的戦没者追悼施設である靖国神社が、ほかならぬ国によってスルーされているところに最大の問題があります。


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半井小絵先生、和気清麻呂のご子孫とは知りませんでした──6月7日の有識者会議「レジュメ+議事録」を読む 2 [有識者会議]

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半井小絵先生、和気清麻呂のご子孫とは知りませんでした──6月7日の有識者会議「レジュメ+議事録」を読む 2
(令和3年8月11日、水曜日)
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前回の続きです。今日は2番手、半井小絵氏です。気象予報士・女優と紹介されています。NHK時代からのファンも少なくないでしょうが、なぜこの方が「有識者会議」に招請されるのか、理解に苦しむところです。半井氏自身、「一国民」としての立場を表明しています。

しかし興味深いのは、半井氏が自己紹介する、その出自です。なんと「和気清麻呂の子孫」だというのです。古代において皇統の危機を救った忠臣の子孫とあれば、考えを改め、傾聴しなければなりません。


▽2 半井小絵氏──「しらす」までご存知とは

半井氏はきわめて謙虚です。「皇室のことを話すのは恐れ多い」「しかし、日本そのものの存続に関係する重要なことだから、勇気を振り絞り、発言させていただいている」とみずからを鼓舞しています。

かつての半井氏は「和気清麻呂の子孫」と両親や祖父母から聞いていたものの、興味はありませんでした。「柿本人麻呂の子孫」と誤って理解していたほどでしたが、数年前、ニュースのコメンテーターをすることになり、歴史を学び直しました。

そして、祖先の歴史を知るようにもなりました。清麻呂の姉・和気広虫は女官として天皇に仕え、日本ではじめて孤児院を開いた人物ともいわれます。

以前は「女性天皇」と「女系天皇」の違いも知らない半井氏でしたが、皇室を知るために、皇居の勤労奉仕にも参加し、御会釈を賜る機会にも恵まれました。「国民の幸せと世界の平和を祈ってくださっている天皇陛下のいらっしゃる、この国に生まれた幸せを実感した」「両陛下を、お父上、お母上と思ってしまうような親しみも湧いてきた」とそのときの印象を語っています。

じつに謙虚で、素直な人柄が伝わってくるエピソードですが、問題はそのような半井氏の理解と現下の皇位継承問題との関わりです。


◇「祭り主」天皇論の立場で

半井氏は、皇室の伝統的な天皇観である「祭り主」天皇論の立場で、話を進めています。

問1の「天皇の役割や活動」については、ほかの憲法学者たちとはまったく異なり、「天皇陛下はつねに我が国と国民の安寧を祈ってくださる有り難い存在である」「日本の長い歴史の中で育んできた伝統・文化をすべて背負ってくださっている存在である」と位置付けています。

つまり、半井氏によれば、歴代天皇は「日本そのもの」であり、「現代に生きる我々とその先祖の生きてきた証である」ということになります。とすれば、皇位継承について軽々に論ずることはできず、ヒアリングの場で意見を表明することは「恐れ多い」と思わずにはいられないことになります。

しかし、まことに残念ながら、天皇はなぜ「祭り主」なのか、具体的にいかなる「祭り」をなさり、そのことがいかなる意味を持つのか、少なくともこのヒアリングでは追究と説明がありません。

もっともそのことは半井氏だけの弱点ではありません。保守系の知識人はどなたも似たり寄ったりだからです。

なかには天皇は「稲の祭り」をなさると固く信じている神道学者さえいます。天皇が大嘗祭、新嘗祭で米と粟の新穀を供えて祈られるという事実を知らないばかりでなく、天皇の祭りが「稲の祭り」なら畑作民が疎外感を覚え、国と民を統合するスメラミコトたり得ないという想像性さえ持っていません。

半井氏は勤労奉仕の体験から、両陛下を「お父上・お母上」と感じたと振り返っていますが、なぜそういう思いが、「祭り主」天皇論から生まれるのか、ぜひ考察を深めてほしいものです。


◇常識的な皇位継承論

半井氏の意見は、保守派としては、きわめて常識的です。

「皇族の役割でもっとも大切なのは、皇統を引き継いでいかれることにある。皇統が途絶えるということは、日本そのものが終わるということである」
「どの天皇も父方をたどると神武天皇につながるということに大きな意味がある。女性皇族が婚姻に伴い皇族の身分を離れる現行制度は、民間の男性との皇位継承争いを引き起こさないためにも意義ある」
「女系天皇への拡大は我が国の歴史上ないことで、日本を混乱させる原因となり、許容できない」
「内親王・女王が婚姻後も皇族の身分を保持されることは、避けるべきだ。配偶者を皇族とすることはあってはならない。皇位継承は従来の伝統を崩してはならない」
「今後の変更で女性皇族も皇位継承資格を持つようになられたとしても、内親王・女王が結婚された場合は、従来どおり皇籍を離脱するべきである」
「婚姻により皇族の身分を離れた元女性皇族が皇室の活動を支援することについては、大使的な役割として、皇室の公務を担っていただくことには賛成である」
「現行の皇室典範では皇族に認められていない養子縁組を可能とすること、皇統に属する男系男子を現在の皇族と別に新たに皇族とすることは、共に賛成である」
「皇統を守るための方法は1つに絞らず、皇統を引き継いでくださる方が多いほど、安定的な皇位継承につながる」
「民間人として生まれ、皇籍に復帰し、天皇となられた醍醐天皇の例もある。旧宮家の男系男子の皇統復帰は、皇統の安定継承のためにも今すぐにでも実現する動きに入らなければならない」
「悠仁親王殿下に男子のお子様がお生まれになれば、旧宮家の男系男子の皇籍復帰は必要ないという意見もあるが、私はそうは思わない。もし男子がお生まれにならなければ、皇統の継承の危機となる。また、同世代に御相談できる男性皇族がいらっしゃるというのは、きわめて重要なことだ」
「皇室について国民が深く知り、理解することが必要である。学校教育でも表面的にしか教えない。日本は天皇陛下の『しらす』国である」
「いまのこの時代に2000年以上、大切にしてきた先人からの習わしを崩していいものかと思っている。できる限りの方法で守っていくということを希望している」


◇謙虚で素直な人たちばかりではない

いくつかのポイントを考えてみます。

ひとつは「皇族」です。皇位継承問題が混乱するのは、以前も指摘したように、「皇族」概念が定まらず、揺らいでいるからです。

もともとは皇統に連なり、皇位継承資格を有する血族の集まりが「皇族」のはずですが、明治の皇室典範以来、民間出身の皇后、皇太子妃までが「皇族」とされるようになり、現在では、血統ではなくて、天皇の御公務を「分担」できる特別公務員が「皇族」と認識されています。

政府・宮内庁が「安定的な皇位継承を確保するため」と称して、「女性宮家」創設=女系継承容認に舵を切ったのも、じつのところ国事行為・御公務の「安定」が目的であって、古来の皇位継承の存続は最初から念頭にはなかったのです。議論が混乱するのは当然です。

政府がまず取り組むべきことは、御公務の見直しです。御負担軽減に失敗した宮内庁の責任を問い、失敗の原因を探ることです。それをせずに、皇位継承に手を付けるのは論理の飛躍であり、不遜です。

ふたつ目は、半井氏は「皇族」に「大使的な役割」を期待していますが、現行憲法は皇室外交を予定していません。皇族の役割は「皇統の備え」に尽きます。

3つ目は、皇室の伝統を重視するのは当然として、「伝統」だけで現代の女系派を説得できるのかどうかです。半井氏のような謙虚な、素直な現代人ばかりではないのです。

それにしても、半井氏の口から「しらす」の解説が聞かれるとは思ってもみませんでした。


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